夏の終わりに




 夏も終わりかけの――ある日の夜。


 紫乃宮伯爵邸の庭、ある程度開けたその一角には、竹で作ったベンチのような椅子と、流しそうめんの一式とが用意されていた。


 ……なぜこんなことになったのか。一応の説明をすると、まずはいろはが流しそうめんをやってみたいといい出した。それならばということで、翔太と詩乃を招待すると、それぞれの兄と姉がくっついてくることになったのだ。

 それだけなら、明るいうちに流しそうめんを終えて解散だったろうが、紅瀬波兄弟の本日の手土産が、何をとち狂ったのか『花火』だった。

 当然のように、みんなで花火をしようという流れになり……のんびりと流しそうめんを食べて、夕涼みをして、そして夜というわけである。



 今日のいろはは、藍染めの浴衣。圭人としては、華やかな赤や黄色の浴衣もそれなりにいいとは思うが、やはり浴衣というものは藍染めだろう。

 圭人も、自邸ということで浴衣姿だった。

 ……そして、花火を持ち込んだ紅瀬波兄弟も当然のように浴衣。

 それを見て、今日は洋装だった神衣姉弟は一度着替えのために帰宅したのだった。


 和桜国の夏を語る上で欠かせないもの――すいか、そうめん、浴衣、そして花火。

 和桜国の人間は、地面から生えている花も、花器に生けられた花も好きだが――焔の花も大好きなのである。



「随分種類が多いな……」

 紙袋に入った花火を一つ一つ取り出しながら圭人がぼやくと、それを買ってきた当の本人である紅瀬波優太は「多いほうが面白いだろ」とよく冷えたスイカを食べながら応えた。よく冷えたスイカが美味いのはわかるのだが、せめて食べる手を止めて応えてほしかったところだ。

「……まぁ、とっておいても、しけってしまうだけだから……今日で遊びきってしまわなくてはな……」

「圭人、圭人! 花火! 花火もう始めるの?」

「始めましょうよ、圭人先生!」

「あ、僕はこの小さい線香花火がいいですね」

 口々に勝手なことを言いながら、わらわらと花火に群がる若者たち、というかむしろ子どもたち。


「お前たち! まずは火種を用意するから少し離れてなさい!!」


「「「はぁーい」」」



 なぜ自分がこんなことを、とぼやきながらも、大きめのろうそくに“発火”の魔法で火をつけて、平たい庭石の一つに固定しておく。

 その間に、真希子が竹のベンチの上に各種花火を広げておいてくれている。……先程からスイカを食べる手を一切止めない優太にはもう期待していない。

 胡蝶らメイドが、遊び終わった花火を捨てておくための、水の入った大きなバケツを運んでくる。



「さ、準備出来たぞ、やけどしないように遊べよ。わかっていると思うが、ふざけたりしたら、すぐ花火終了させるからな?」

「ん、もう。わかってるよぅ」

「わかってます」

「はぁーい」


 それぞれに花火を選んで遊び始めた、いろはと翔太と詩乃。

 圭人はやれやれと竹のベンチに腰掛けて、彼らを見守る。

「おほほほほ、圭人様。お疲れ様でしてよ」

 貴族街とはいえ、住宅街の屋外ということを考慮してか、いつもの高笑いではない少し抑えめの声の真希子。どうして本当にこんなに配慮ができてまともなのか。

「あぁ、真希子もな」

「えぇ、さて……私も線香花火でもいたしましょうかしらね」

「神衣家は線香花火が好きなのか」

「だって綺麗ですもの。それに意外と、あの小さな焔も長持ちするものですわよ」

 すると、スイカを食べるのにひとまず満足したらしい優太も話に入ってきた。

「俺は打ち上げ花火なんかが好きだなぁ、花火大会でいっぱい打ち上げられる派手で豪華なヤツ」

「おい、ここは大きな河原じゃなくて、あくまで貴族街だぞ。住宅街でそんな花火出来るわけ……ん……いや…………」

 圭人は顎に手を当てて考え込む。

「お、これは……なんか出来そうな流れか?」

「まぁ、出来たしても後でな。とりあえず、今はお前たち兄弟が持ち込んだ花火の消費を手伝え」

「りょーかいっと」



 なぜか大量に、十個以上あったへび花火を消費しようと一気に火をつけてみて、なんとも言葉にし難い微妙な思いになったり。

 誰が一番線香花火を長持ちさせられるか、全員で競争してみたり。

 いろはが、手持ち花火をくるくる回して『魔術師さんみたいでしょ!』などと言い出したり。

 翔太がうっかりと火をつけてしまったねずみ花火ふたつに包囲されて、大慌てしているところで、優太がげらげらと薄情にもそれを笑っていたり。

 

 そんなふうに、ほとんどの花火を消費し終えた。

 一体、紅瀬波兄弟はいくら花火店の売上に貢献してきたのだろうか、と呆れるぐらいの量だったが、とりあえずあとは小さな花火が数えるぐらいしか残っていない。


「さて、俺はちょっと触媒を取りに行ってくる。火事を起こさないように遊べよ」

「お、やっぱなんかするのか?」

 竹のベンチから立ち上がって邸内に戻ろうとすると、優太が話しかけてくる。

「あぁ、お前の意見を取り入れたわけではないが――夏の締めくくりには、アレがなくてはな」

「お、やるのか。……でも大丈夫か?」

「大丈夫なようにやってみるさ」



 持ってきたのは、ミントの葉、矢車草の花びら、紅薔薇の花びらに、今回の魔術式の核として用いるための、小さな黒水晶など。

 

 庭の、ある程度開けたところで『それ』を描き始める。

 小さな黒水晶を真ん中に埋め込み、その外側にぐるっと紅薔薇の花びらでとりかこむ。そしてさらに外側には、青が美しい矢車草の花びらを。そして最後に一番外周はミントの葉でぐるりと取り囲む。


「圭人、それって……もしかして」

 ここまでくれば、魔法には明るくないいろはにも、圭人が何の魔法の準備をしているのか、だいたい分かったらしい。

「ま、これも夏の風物詩だしな。せっかくだ、この際『音』もつけておくか」

 そう言ってから『それ』の上に銀色に輝く粉を少しだけ落として――圭人は魔術師の杖ステッキを構えた。


 詠唱するのは――“幻影”の魔法。今回は音も発生させるので、ちょっとだけ呪文が長くなっている。

 それを唱え終わると――触媒で描いた『それ』が、輝き出す!

「それじゃ、存分に咲いてこい」

 圭人のその声が合図であるかのように――光が上空に向かって、飛び出していく。

 すこしだけ遅れて、ひゅるひゅるひゅる……という音もする。

 そして。


「わ……ぁ……!」

「打ち上げ花火だ!!」

「……花火、綺麗だねぇ」


 空に、色とりどりの大きな焔の花が、咲く。

 周囲を振動させるほどの音も、すこしだけ遅れて響く。


「一発じゃないからな、ちゃんと見ていろ」


 その後も、どんどん花火は空に咲く。単発で咲くだけではなく、複数の花火を重ね合わせるように咲かせたりもしてみた。

 圭人はさすがに花火の専門家ではないので、あまり魅せ方のバリエーションは無いのだが、それでも充分のようだった。


「お疲れ様ですわ、圭人様」

 魔法が成功している様子にほっとしていると、真希子が話しかけてくる。

「あぁ。……それにしても、夜にこんなことをして近所迷惑になっていやしないかと、今更ながらに思うわけだが……一応、音と振動だけはこの邸内の敷地内でなければ感じとれないモノではあるんだが…………夜に大きな光を打ち上げられて眩しいと、緑河侯爵か白雪侯爵あたりに文句を言われそうだな……」

「あら、文句を言う方が居るとすれば――この風情も粋も雅も解さない方ぐらいでしてよ、それに――」

「それに?」


「それにここは、和桜国の誰もが恐れ畏れる“宮廷魔術師主席”のお屋敷なのですものね――」

「……あぁ、そういえばそうだった。ははは」


 


 涼しい風が吹きぬける。

 夏も、終わろうとしていた。

 



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