いろはの日記より(その五)




「それで。圭人様は茴香屋を覗いてみたはいいけれど、女性客の多さにあっぷあっぷして、すぐに逃げ帰ってしまわれた……というわけですか」

 口元を両手で覆って、笑いをこらえている様子の詩乃。

 翔太はさっきから、ご愁傷様、といった顔だ。

「仕方がないだろう。……客も店員も女性だけというのが、あんなにも居心地が悪いとは思わなかった……」

「ぷっ……あはははははははははははは!!」

 とうとう、応接間に詩乃の笑い声が響いた。



 今日はいろはの茴香屋は初めてのお休みの日、圭人も休日をとってくれていた。

 そこに遊びに来たのが、詩乃と翔太。

 その二人にさっきまで茴香屋開店初日の楽しかったことやアクシデントなども含めて、いろいろ話していたところなのだ。

「いや……でも、わかりますよ、圭人先生。あの空気は……ドア開けてすぐに回れ右して帰りたくなりますよ……なりましたから、俺」

 フォローするように翔太が言うが、詩乃はまだ笑い終わっていない。

「二人は、開店二日目に一緒に来てくれたよね。あのときはあまりお話できなくて、ごめんね」

 いろはは、とりあえず話題を変えてみようと詩乃と翔太が来店したときの話を始める。

「あぁ、あれね……翔太も店に入る前からもう怖じ気づいちゃって……ふふっ」

「逆になんでお前は平然としていられたんだ、詩乃。お前も男のはずだろうが」

「そーだそーだー」

 圭人の言葉に、同意する翔太。

「ふふ。そりゃあ、ぼくはこの見た目と格好ですし。あぁ、なんなら圭人様と翔太も振り袖着てみるかい?」

 両の頬に両手を当てて、いかにも「可愛い」ポーズをしてみせながら、詩乃がいかにも愉快で馬鹿馬鹿しい提案をする。

「「着るわけないだろうが」」

「「えー」」

 否定の声は、二人分。

 落胆の声も、二人分。詩乃と、それにいろはのもの。

「お前たちはなんで今の提案で通ると思ったんだ!!」

「というか、いろはさん!? なんて貴女まで!!」

「「あはははははははははははははははははは!!」」



 しばらくいろはは笑い続けていたが、胡蝶が新しいお菓子を運びに来たところでようやく落ち着いた。

 テーブルにセットされたお菓子は、詩乃の持ってきた手土産。今日は秋らしく、りんごとさつまいもを使ったタルトだ。

 新しく注がれた紅茶はセイロンのウバをストレートで。ウバはいい具合の渋みと爽やかな香りの茶だ。今日のりんごとさつまいものタルトにはよく合うことだろう。

「ふむ、りんごと甘いも……さつまいもの組み合わせか……」

 ああ見えて甘いものが大好きな圭人が、初めて見る菓子に眼鏡の奥の瞳を輝かせてフォークを構えている。

 そんな圭人の様子に微笑みをこぼし、いろはもフォークを手に取った。


 結局、圭人はタルトを二回おかわりした。

 ……ちょっと……食べ過ぎのような気もしなくはない。

 圭人は平気で明け方まで起きていたり、ときには徹夜をしたりもするし、食生活の方も自分の好きなものしか食べないし、運動らしい運動も特にしない。

 それでよくあの体型を保っているものだと関心しなくもないが、外見はよろしくても、体の中がどうなっているかまではわからない。

 圭人に、食習慣や生活習慣のことを注意するようなひとがいないから――

 そこまで考えて、いろはは――自分が、そうなりたいと思っていることに気がついた。

 ……そんなことして、どうするの。

 …………私は、ただの、ただの、小娘で、このお屋敷に「住まわせてもらっている」だけ、なんだから……。



「いろはちゃん?」

「あ……えっと」

 どうやら、詩乃に話しかけられるまで、いろははぼんやりしていたらしい。

 詩乃の、完璧な和桜国式美少女の顔が自分を覗き込んできているのは、どうにも心臓に悪い。

「なんでもない……あ、でも、もしかして、お店のこととかで、ちょっと疲れてたのかも」

「ん、そっか……」

「それより、ゲームしようボードゲーム! 今日こそは詩乃ちゃんに勝つから! ね?」

「……うん!」














(田原いろはの日記帳より抜粋)


 今日のできごと。


 今日は、茴香屋がお休みの日です。

 圭人もそれに合わせてお休みをとってくれました。

 今日はのんびり過ごすと、決めていたのです。


 そして、翔太君と詩乃ちゃんが遊びに来てくれました。

 詩乃ちゃんの今日の手土産は秋らしく、林檎とさつまいものタルトです。これがまた絶品でした……この秋のうちに、また食べたいなぁ……。

 圭人もすごーく美味しそうな顔をしていました。

 でもちょっと食べ過ぎだと思います。


 

 翔太君と詩乃ちゃんは、茴香屋に来店したときのお話をしてくれました。

 ……詩乃ちゃんはともかく、翔太君には、茴香屋は女の人ばっかりでちょっと居心地が悪かったみたいです。……このあたりは、なんとか改善したいと思います。贈り物を買いに来た男の人なんかが居心地が悪かったとしたら、申し訳ないものね。


 茴香屋は良いお店です。

 圭人たちがしっかり選んでくれた場所なだけはあります。

 圭人たちがしっかり選んでくれた従業員さん達なだけはあります。

 圭人たちがしっかり選んでくれた商品内容なだけはあります。


 

 でも、茴香屋をこれから経営していくのは……私なのです。


 茴香屋の開店のために圭人から借りたお金を返せるように……ちゃんとやっていかないと。

 せっかく『前評判』のおかげで、順調な滑り出しなんですからちゃんとそれを活かさないとね。








 あとは、四人でボードゲームをして遊びました。

 相変わらず詩乃ちゃんは強いです。

 

 そういえば、翔太君が今度、紅瀬波家で舞踏会が行われる予定だということを話していました。

 圭人にもきっと招待状が行くだろうって。

 ……圭人のダンス、見てみたい気がします。

 

 圭人は、圭人は、誰と……どんなふうに、踊るんだろう。



(このページは、ぐしゃぐしゃと線が引かれていて何が書かれていたか不明)



  

 そろそろ、眠たくなってきました。もうベッドに入ることにします。

 おやすみなさい。また明日。 





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