星の宝石




「いろは、何か欲しいものはないか。ようやく茴香屋も開店したんだし、祝いに何か記念になるようなものを贈ろうと思うのだが」


 そう圭人が言い出したのは、夕食後の紅茶を楽しんでいたときだった。

 茴香屋の開店祝い――という名目で、以前からいろはが欲しがっていた薔薇か金木犀きんもくせいでも庭に植えてやろう、そんな気持ちからの言葉だった。

 最近は少しずつ、自分のほしいものを言うようになってきているいろはだが、基本的にはモノに対する欲というものがない。

 ……と、思っていた圭人にとって、いろはの返事は意外なものだった。


「何か、って……もしかして、好きなもの、何でもいいの?」

「ん、あぁ。さすがに一つだけ、にしてもらうが」

「えぇと、それなら…………――が欲しいんだけど……いいかな……」

「……ん?」



 

「指輪が欲しいの」







 次の日――

 圭人はいろはを赤い車に乗せて、デパートメントストア八越へと向けて運転していた。

 当然、指輪を購入するためである。


「まさか、いろはが流行のものを欲しがるとはな」

「だ、だってだって、雑誌のどこをみても指輪のことばっかりなんだもの。詩や、連載小説のコーナーまで指輪のこと書いてるし、相談コーナーは『どんな指輪を選ぶべきでしょうか』とか『どうすれば指輪を買ってもらえますか』とか……」

 助手席で、両手の指をもじもじと動かしながら恥ずかしそうにうつむいているいろは。

「ははは、それでとうとう、いろはも流行の指輪が欲しくなったわけか」

 いい傾向だ。と、圭人は思う。

 世間一般の親からすれば、やれ無駄使いだの、やれ若い娘に宝飾品はぜいたくだのと言うかもしれないが、いろはのように欲が無さすぎても、よろしくない。はずだ。

「それで――どんな指輪が欲しいか、もう決めてあるのか?」

「えーと……んーと、んーと、んーと……まだ!」

「……まだなのか。せめて、どんな宝石のものかぐらいは……」

「赤く輝くルビーも、青くてきらきらのサファイアも、凛とした光のアメジストも、涙の雫みたいな白い真珠も、みんな綺麗なんだもん、決められなくて……だから、見て決めようと思って」


 


 文明開花、そして明磁以降、国が豊かになるにつれてさまざまの贅沢もまた一般大衆へ広まっていった。

 宝飾品も、そのひとつだ。

 特に女性の間では、指輪が大流行し、それは大人の女性だけにとどまらず、ある程度裕福な階級の若い女性――女学生にまで広まった。

 さすがに学校に着けていくことは禁止されているらしいのだが、今、女学生の間では宝石をあしらった指輪は必須といってもいい品らしい。



 そんな事情もあってか、デパートメントストア八越の宝石売り場で、指輪が置かれている場所はかなり広くとられていた。

「あまり来たことはないが、随分と多いのだな」

「そりゃあ、ねぇ……それにしても……すごいねぇ、みんなきらきらしてる……」

 ショーケースの中の輝く指輪たちを見ていると、すぐに笑顔の女性店員が近づいてきた。

「指輪をお探しですか? 気に入った品があれば、お出ししますので、どうぞお申し付けくださいな」

 ショーケースの中に見入っているいろはの代わりに、圭人が応える。

「この子が指輪を欲しがっているのだが、どんなものが良いだろうか。まだ宝石の種類も決めていないようなのだが」

「そうですね、こちらのお嬢様のようなお若い方でしたら……ルビー、アレキサンドリア、ピンクのサファイア、あるいは真珠などがお勧めですね。いくつか品を出してみましょうか」

「あぁ」



 女性店員が出した指輪は、ルビーと黄金の指輪、アレキサンドライトと黄金の指輪、ピンクのサファイアとプラチナの指輪、真珠とプラチナの指輪。

 いろははそのほっそりした指に、ひとつひとつ指輪をはめては感嘆の声をあげていた。

「こちらのピンクサファイアの指輪は、台座の部分の繊細な彫刻が特徴ですね。こちらのルビーの指輪はとくに若い女性に人気のあるかたちで――」

「……どうしよう……どれも、綺麗……」


 いろはが色とりどりの指輪を前に悩みはじめたようなので、圭人は一人で店内をぶらつくことにする。といっても、以前の轍を踏まないようにいろはから充分見える範囲のショーケースを見て回るだけだ。

 ショーケースには、さまざまの指輪。

 ルビー、真珠、サファイア、エメラルドにガーネット、サンゴ、オパール。

 と……その中でも、ひときわ輝く一角があった。

 それは、ダイヤモンドの指輪たちが展示されているショーケースだ。

 ……その中にある、一つの指輪が圭人を『呼んでいた』のだ。

「……!」


 すぐに圭人は、いろはのところに戻った。

「……いろは、あっちのダイヤモンドの指輪にしないか」

「え……でもダイヤモンドって、その、すごく……高いんだよね?」

「高くても構わん、あの指輪がお前には似合うはずだ」

「……わ、わかった……」


 女性店員に件のダイヤモンドの指輪をショーケースから出してもらう。

 その指輪は、どちらかというとシンプルなデザインだった。

 プラチナの輪に、大きめのダイヤモンドがひとつと、それをとりまくとても小さなダイヤモンドたち。

 けれど、その指輪はいろはの指におさまると、まるでふたつとない星のように輝いた。


「……」

「圭人、圭人、圭人、あの……っ、これにしていい? ううん、違う。私、この指輪が良い!」

「あぁ、というより、俺はもうそれ以外は買う気がないからな」

「ふあぁ……ありがとう、圭人!」


 もういろはは指輪を外す気も無さそうだったので、店員が値札だけを外して会計を行った。

 サイズも、直す必要すらないほどにぴったりだったのだ。





「ありがとうね、圭人……その、買ってくれたことだけじゃなくて、この指輪を見つけて、薦めてくれたこと……」

 帰りの車の中でも、いろはは愛おしげにその指輪を眺めて撫でて、何度も圭人に礼を言っていた。

 それを聞いていると、圭人は――なんだかこそばゆくて、照れくさくなってくるのだ。


「ちゃんと、普段は仕舞っておくんだぞ。眺めてばかりいるなよ。あと、手入れも怠らないように、な」

「うん!」



 それにしても――たしかにいろはにぴったりではあるが、この指輪はなぜわざわざ圭人に『呼びかけ』てきたのだろうか……?

 そんな小さな疑問を抱いた圭人だが、すぐに今日の夕食メニューのことを考えはじめ、そんな疑問はどこかに飛んでいってしまったのである。



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