招待状




 どこか控えめな印象のノック音が、圭人の書斎に響く。


 音だけで、誰なのかわかる。この音は執事の征十郎だ。

「入れ」

「失礼いたしますぞ、圭人坊ちゃま」

 書斎に入ってきた征十郎は、トレーを捧げ持っていた。あれは、圭人あての手紙や書類が入っているトレーだ。使用人が主人にものを手渡しするのは、基本的には『ありえない』ことのため、こういった品を用いるのだ。


「本日のお手紙でございます。それと……こちらはいろは様宛のお手紙でしたが、私めの勝手な判断でまずはこちらにお持ちいたしました」

「ほう?」

 ということは、どうせよろしくない事態だろうと思いつつ、そのいろは宛だという手紙を手に取り差出人名を見る。

 と、同時に圭人は目を見開いた。

「紅瀬波……侯爵…………?」

 差出人は、侯爵そのひと。……何回どうやって角度を変えて見ても、侯爵本人の名前が書かれている。

「なるほど、征十郎がまずはこちらに持ってきたわけだな」

「……それと、圭人様にも、紅瀬波侯爵よりのお手紙が」

「ふむ」

 ――となると、思っていたより事態はマシな話なのかもしれない。

 そう思いつつ、圭人はペーパーナイフを手に取り、まずは自分宛の紅瀬波侯爵からの手紙を開けた。


「…………ふむ。これは」

「……」

 征十郎自身は顔にも態度にもまったく出さないが、いろはのことを案じている様子だけは圭人にも伝わってきたので、わざと声に出して手紙を読み上げる。

「――――西洋では聖なる日と呼ばれるその夜に、当家で舞踏会を執り行います。つきましては、宮廷魔術師主席である紫乃宮圭人伯爵にも参加していただきたく、うちの愚息どもも望んでおります。――――それに、紫乃宮伯爵家の可愛らしいレディの卵・茴香屋のオーナーである少女も参加して貰えれば、当家の舞踏会もより華やかになりますかと――――」

「……これは」

 征十郎が目を極限まで見開いている。

 彼が、職務の途中でこのように感情をあらわにし、驚いた顔をするなどなど、そうそうめったに見れるものではない。

「まぁ、いろは宛の手紙の内容も、これでだいたいわかった、な」

 

 そう呟いて、圭人は無造作にトレー上のいろは宛の『招待状』を手に取る。

「今、いろははどこにいる?」

「あ……あぁ……えぇと、只今は……ピアノの練習をしておいでのようでした」


「そうか」


 椅子から立ち上がると、ゆっくりとピアノルームに向かうため、歩きはじめる。

「あの子に、これを――招待状を届けてくる」

「……はい、行ってらっしゃいませ……圭人坊ちゃま」




 ピアノルーム、そう便宜上呼んでいる部屋が紫乃宮伯爵邸にはある。

 魔法による完全防音が施されたその部屋は、ピアノを始めとする楽器が用意されており、小さくはあるが舞台まで備えていた。

 いろははその部屋のピアノを弾いていたが、圭人の来訪に気がつくと慌てた様子でピアノの蓋を閉めてしまった。

「続けていてよかったのだがな」

「そんなわけにも――いかないでしょ。それにまだまだ下手っぴだもん」

「そうひどかったか?」

「……そうだもん、下手っぴだもん。だから、圭人には聞かせられないの」

 そう言って、つんと横を向く今日のいろはは、和装姿。クリーム色の地に、赤薔薇を始めとした洋花が描かれたモダンな着物に、小鳥が刺繍された帯、木の実が彫刻された帯留め。それらを、自然に着こなしている。

 ……服に着られていたあの頃と比べるまでもなく、ずいぶんと華やかで美しい娘になった。

 そう思っていても、圭人が本人にそれを言ってやることは、ありえないのだが。

 

「お前に手紙だ」

「……お手紙?」

 きょとんとした顔のいろはが、手紙を受け取る。

「あぁ、手紙だ。……紅瀬波家からだな」

「紅瀬波家? というと、翔太君かな……あ、でも違う……誰だろ」

 ペーパーナイフを探そうともせず、手紙をそのまま破り開けるいろは。……手紙はペーパーナイフを使って開けなければいけないものなのだと、あとで教えないといけないだろう。

「……えぇっと……?」

 いろはは手紙を読みはじめる。難しい言い回しも多いが、今のいろはなら問題なく読むことが出来るはずだ。

「……圭人、つまりこれって」

「……舞踏会の招待状、というやつだな」

「…………こういうのってさ」

「ん?」


「おとぎばなしの中にしか、無いと思ってた」


 圭人は小さく苦笑いをこぼす。まったく、いつまでたってもこの子は。

「また、随分な言い方だなぁ」

「だってだって、このお屋敷だって、まるでおとぎばなしのお城みたいだし、貴族とか女王陛下なんて、まるで……わたしから見ると、そういう世界の住人みたいで……圭人なんて正真正銘の魔法使い……魔術師さんだし……」

「……そうか」

「えっと、それでこれは……どうするの? 圭人」

 さすがのいろはにも、自分の意志だけで舞踏会の参加不参加を決めれるとは、もう思ってはいないらしい。

「参加しようと思っている。いろはが嫌でなければな」

「えっ……」

「侯爵家の屋敷で開かれるものではあるが――舞踏会を経験しておくのは、レディ教育に必要なことだろう」

「えっと、えっと、それじゃあ。参加できる……の?」

「あぁ、それまでやることは、多いがな。まずはダンスの特訓、あとは舞踏会の礼儀作法の訓練と――――それからドレスやアクセサリーの注文だな。流石に俺でも、灰まみれのぼろ服を宝石が縫い付けられた最新流行のドレスに変える魔法は難しいからな」

 

 いろはは、圭人の言葉に頬を上気させて何度も何度も頷いた。


「うん――うん!! がんばる……! 圭人と一緒に舞踏会、行きたい……! だから、がんばるね……!!」





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