靴音を響かせ舞い踊る
招待状を受け取った次の日には、舞踏会に向けていろはのダンスの特訓が始まった。
ダンスの講師からの報告によると、いろははかなり筋がよく、初心者とは思えないほどによく動ける……らしい。
まぁ、このあたりは当たり障りのない言葉や、あからさまな褒め言葉しか使わない講師もいるので、実際に見てみないことにはいろはがどの程度できるのかわからないだろう。
というわけで、休みの日にいろはのダンスの練習に付き合うことにした。
「えっと……今日は圭人がダンスの練習、みてくれるんだよね?」
「あぁ」
紫乃宮伯爵邸も一応は貴族の屋敷ということで、それなりの大きさのダンスホールはある。まさかまともに使う日がくるとは思っていなかったが。その中央で、いろははなぜかいかにも嬉しそうにくるくると回った。
「それじゃあ――今日はよろしくおねがいします!」
「あぁ、よろしく」
今日のいろはは、飾り気の少ない白のワンピースドレス。靴はダンス用のかかとが高めの白いぴかぴかの靴だ。髪が邪魔にならないようになのか、白いカチューシャを頭につけている。
「まずは一度、一人で踊ってみろ」
「わかった、えぇっと……」
「曲はどれが良い?」
大きな蓄音機前にあるレコードの箱を確認しながら、圭人は尋ねる。
「んーと、どれでもいいんだけど……私が好きなのは……『さらば、愛しき野薔薇の姫君』か『ぜんまい仕掛けの妖精人形』かなぁ」
「ふむ、その二曲なら……とりあえず『野薔薇の姫君』の方にしておくぞ」
自分の手でレコードを取り替えることはあまり無いので、すこし手際が悪かったが、とりあえずちゃんと音楽が流れはじめた。
この曲――『さらば、愛しき野薔薇の姫君』は元々は西洋の旧い伝承を元にした舞台劇から生まれた曲なのだという。
それが、長い時を経て東の海の果てにある和桜国でこうして舞踏曲として親しまれているのだから、芸術というものの偉大さを感じないでもない。
いろはは、ダンスホールで 一人 舞い踊る。
曲にあわせて、高いかかとが鳴る。
あの頃に比べて、随分と長くなった手足がしなやかに躍動する。
『真白き野薔薇の姫君、美しき姫君、孤独の姫君――』
『姫君は知らない、永遠を知らない、愛を知らない、世界を知らない、何もかもを知らない――姫君が知るのは、豪華なこの四角い部屋と――冷めきった茶』
『穢れなき真白き野薔薇の姫君の前に、現れ出たるは、悪魔。彼は甘く優しく、とろけるほどにあたたかく囁いた――この部屋から、出してあげましょうと。あぁ、それは誘惑、どこまでも甘く優しく、あたたかな、誘惑――』
くるくると、いろはがダンスホールの中を大きく回る。
今、彼女は野薔薇の姫君なのだ。
『あぁ、あぁ、ぬくもりに飢えたる姫君は――すっかり悪魔に魅せられて』
『王冠を、玉座を、御旗を、国家を――何もかもを、悪魔に譲り渡してしまった』
『姫君では無くなった彼女は――宝石で飾られた靴を脱ぎ、裸足でどこまでも続く緑の大地を踏みしめる――』
『彼女のその手を握るのは、あの悪魔――』
いろはが、今は存在しないパートナーの手を取る仕草をした。
……ずきりと、胸が痛む感覚がする。
それがなぜなのか、なぜこんなに痛いのか、圭人にはもうわかっていた。
『悪魔は、彼女に甘く優しく、とろけるほどにあたたかく囁く――どこまでもどこまでも一緒だと――』
『あぁ、かくして――真白き野薔薇の姫君は、もうどこにもいなくなってしまった、ここにいるのは、ただ悪魔に魅せられた、一人の罪深き女性であった――』
自分は――紫乃宮圭人は、彼女に恋をしている。
『さらば、愛しき野薔薇の姫君――願わくば、きみが蘇ることなかれ――』
ゆっくりと、いろはが動きを止める。
……曲が止まるのと同時だ。
とてもダンスを習い始めて数日とは思えない動きだった。
圭人には、昔この舞台劇を観たときの台詞までもが聞こえてくるかのようだった。
「……ど、どうだった!?」
曲が終わって、すぐにいろはが詰め寄ってきた。圭人から見ての出来不出来が気になるらしい。
「どうもなにも……良かったとしか」
「良かった、ってことは……合格?」
「まぁ、合格も合格だな。なにせ、この曲をつかった舞台劇の台詞まで聞こえてきそうなダンスだったからな」
「えっ……!? えぇと、圭人、それ、褒めすぎなんじゃ」
「本当だ」
突然、いろはが高く飛び上がった。ここまで飛び上がれるものなのか、垂直跳びというものは。と、いうぐらいには高く。
「やったぁーーーー!!」
「お、おい、いろは」
「圭人も踊ろう! 踊ろう! 今度は一緒に踊ろうよ!」
ぺたぺたとまとわりついてくるいろは。
それに対して圭人はため息をつきながらも、いろはの手を取る。
「先に言っておくがな、俺はお前ほどは動けんぞ」
――先程と同じ曲を四回、それから曲を変えて、三回。
蓄音機の操作は魔法で行ったから、ずっと踊り通しだった。
「……ちょ……待て、流石にもうこれ以上は動けん」
七回ぶっ通しで踊って、圭人の体は限界を訴えていた。ダンスがこれほどまでの肉体労働だったとは。
「うん! ちょっと休もうか」
いろはの方は、けろりとしたものだ。
この子は、タフすぎる。
圭人が二十代後半で、いろはが十代半ばということもあるだろうが、それでもいろははとてつもなくタフで、頑健で、強靭だ。
ダンスホールの隅にある椅子の一つに倒れ込むように腰掛けて、胸ポケットに入っているハンカチーフで顔の汗を拭う。
いろははまだ一人でのんびり踊っていた。本当に、何で出来ているのか不思議になるほどに強靭だ。
圭人の方はと言うと、眼鏡にも汗がしたたり落ちている。
そこで、眼鏡を外すと――いろはが、あっ……と声をあげた。
「……どうした?」
「えっと……圭人が、眼鏡外すの、初めて見た、から……」
「あぁ、そういうことか」
眼鏡を普段かけている人間がそれを外すと、まるで印象が違うこともある。その逆に、かけていない人間が眼鏡をかけても、印象は変わる。
いろははそれに驚いたのだろうと、圭人は勝手に納得する。
「ねぇ、なんで圭人って眼鏡かけてるの? 眼鏡なくても見えるんでしょう?」
「まぁ……それほど視力が低い方ではないな。俺が眼鏡をかけているのは――目つきの悪さを隠せればと、思ってな」
「……ふぅん」
「まぁ、実際目つきの悪さを隠せているかは、微妙だが。もうかけるのが癖になっているからな」
圭人はそこで眼鏡を吹き終わったので、再びかけ直した。
「あーーーー!!」
「なっ!?」
「せっかくの圭人の素顔時間、もう終わりなの!?」
「なんだそれは!!」
するといろはは、隣の椅子に座ってこんな風に懇願してきた。
「ねぇもう一回、もう一回眼鏡外してよーー! 今度は近くで見るの!!」
しかし、なぜだろうか、そういわれると急に外したくなくなるのは。
「眼鏡はそうほいほい外すものじゃない!!」
圭人の怒鳴り声が、ダンスホールに響いた。
あぁ、まったく、なんで、俺は、こんな女性に恋をしているのだ。
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