薔薇のつぼみのドレス




 それは――まるで咲く直前の薄紅色の薔薇のような。

 そのドレスのことは、そう呼ぶのがふさわしいと思えた。

  

 生地は、ふんわりとやわらかそうなピンクの布を重ねている。ところどころにビーズが縫い止められていて、きらきらと輝く。

 襟ぐりは大きく四角に開いていて、そこから日焼けしていない白い肌が覗く。胸元にも、輝くビーズが刺繍されていた。

 ウエストは少し高めの位置で、きらきら光る石が縫いとめられた細いサッシュでゆったりと絞られ、そこからはまるで薄紅色の薔薇の花びらを思わせるスカートが何枚も重なって、ゆるやかに広がっている。

 袖は、季節が季節であるので長袖にさせたのだが――袖の中央部分にはスラッシュきれこみが入っていて、なめらかな肩と二の腕が見えるようになって、袖口は和服の袖のように広がり、ふうわりと広がる。

 ほっそりした首には、ペリドットとピンクトパーズを豪華にあしらったチョーカーが巻きついていて、耳はペリドッドの緑色の輝きが。そして左手首には、金鎖からペリドッドが雫のように下がっているブレスレット。

 短い髪はゆるやかに巻かれていて、ビーズが光るヘッドドレスには色鮮やかな大きな鳥の羽が飾られている。


 そして――ほっそりした指には、圭人が贈ったあのダイヤモンドの指輪が星のように輝いていた。



「……どう、かな」

 いろはがドレスの裾をつまんで足を少しだけ膝を曲げる礼をして、そう尋ねる。

 どうもこうも、なかった。

 これはもう――完璧な、新時代のご令嬢だ。


 圭人は少しだけ考えるそぶりをしたあとに、こう応えた。

「……まぁ、綺麗だとは思うぞ」

「本当に?」

 圭人のそばに寄って、見上げてくるいろは。そのかんばせはほんの薄くではあるが、化粧が施されている。それに、ほのかにかおる香水、これはいろはがこの日のために作っていたものだということを、圭人は知っている。空気が動くたびにふわりと、優しく薔薇ローズのかおりがする。



 圭人は無言でくるりと振り返り、そのまま部屋を出た。

「征十郎、車の支度は出来ているか」

「全て整っております、圭人坊ちゃま。本日はこの征十郎めが運転手を勤めさせて頂きますぞ」

「あぁ、頼んだ」

 舞踏会――パーティともなれば、ワインやカクテルといった西洋酒を勧められることが多い。そういった勧めを全て断ることもできなくもないが、それなりに居心地は悪い。

 そういうことで、今日は信頼する執事である征十郎に運転手を任せることにしたのだ。

「圭人ー、待ってってばー!」

「いろは様、いろは様、そのドレスのままで外は寒うございます! こちらをお召しくださいませ!!」

 圭人を追いかけてくるいろはと、そのいろはを追いかけて毛皮のコートを抱えて走る胡蝶。

「いろは……まずはコートを着なさい。さすがにその薄いドレスでは外に出られないだろう」

「あ……はぁい!」

 追いついてきた胡蝶によって、首周りと袖口がもこもことボリュームがあるデザインの毛皮のコートを着せられるいろは。さすがに室内だと少し暑そうにも見える。

「それじゃあ、行くか」

「行ってらっしゃいませ……お早めのお帰りを」

 胡蝶が、頭を下げる前の一瞬だけ鋭く厳しい目をしていたのを、圭人は見逃さなかった。

「今日はいろはがいるからな、遅くならないうちに帰るさ」




 車は、貴族街をなめらかに移動する。

 今夜は車を使ってはいるのだが、紫乃宮伯爵邸から紅瀬波侯爵邸はあまり遠くはない。行こうと思えば徒歩でも充分行ける距離だ。ただ、普段の日ならともかく――舞踏会の招待を受けているのに、乗り物なしで行くというのは……少々どころではなく、格好がつかないだろう。

 今日は征十郎が運転手をしているので、二人とも後部座席だった。

 硝子窓から見える貴族街の屋敷はどこも明かりが煌々と灯っていて、それぞれに美しかった。


「お二方、そろそろ紅瀬波侯爵家に到着でございますぞ」




 紅瀬波邸は、眩しくきらめいていた。

 あちこちに魔法の明かりが灯されているのはもちろんだが、招待客たちがそれぞれに纏う輝きとでもいうべきものが、邸内をより眩しく明るくしていた。


 カクテルグラスを手に、何事か話している老紳士たち。

 誰か何か冗談でも言ったのか、上品に笑う中年の紳士淑女のグループ。

 一人の若い貴公子を取り囲んで、きゃあきゃあと黄色い声をあげている着飾った少女たち。


 だが、いろははそのだれにも興味を示す様子はなかった。

 彼女はわずかにうつむいてから、圭人を見上げてこう言ったのだ。

「こういうのは礼儀には反していると思うんだけど……えぇっと。……紫乃宮圭人伯爵さま、私と一曲ダンスを……お願いします」

 圭人は、苦笑いをひとつ浮かべて――それからいろはの手をとった。



 二人がダンスホールの中央に進み出ると、招待客たちの話し声が聞こえてくる。

 

 ――宮廷魔術師主席様が……ということは、あの少女が例の……


 ――かの茴香屋という店には陛下もお墨付きを与えたという噂が……


 ――うちの娘達も、茴香屋の新作ポプリを買い求めることに夢中で……


 ――それにしても、華のある少女だ……


 ――あの少女の事を、女王陛下は随分と気にかけておいでの様子で……

 


 いろはにも聞こえていないはずはないだろうに、彼女はきらきらとした瞳で圭人を見つめているだけだった。

 

 曲が始まる。

 それは、何度も二人で踊った曲『さらば、愛しき野薔薇の姫君』だ――


「圭人」

「……あぁ」


 二人は、踊る。


 踊る 踊る 踊る

 こんなに楽しいダンスなど、きっともうない。

 

 ふわり

 ふうわり

 いろはの薔薇のつぼみのようなドレスの裾が、花開いてゆく。


 今のこの瞬間だけは――いろはは野薔薇の姫君で、圭人は誘惑の悪魔だ。


 ふわり

 ふうわり

 

 薔薇の花――いろはの薄紅色のドレスの裾がゆっくりとつぼみに戻ってゆく。


 ――曲が、終わった。



 ゆっくりと、パートナーから離れる。

 いろはは――微笑んでいたけれど、今にも泣きそうな瞳をしていた。

 

「いろは……」

「素敵なダンスをありがとう、紫乃宮伯爵様――――本当に、楽しかった」

 それはとても小さな、だけどはっきりとした声。



 いろはが、ゆっくりと礼をすると――いくつもの拍手が上がる。

 それは、一人の少女を淑女レディとして迎えようという意志の拍手だった。

 


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