香りを学ぶ



 真希子が訪れてから、三日が過ぎた。

 いろは自身も、レディ教育で忙しい身であるため、オレンジポマンダー作りはまだオレンジにクローヴを刺す作業の途中であった。もちろん、刺しおわったものは香料の粉をまぶして風通しのいい場所に吊るして乾燥させてある。



 あの日以来、圭人はいろはの座学の科目に「香料学」を新たに加えた。

 教師はいまのところ圭人本人だ。和桜国に古くからあった香料ならばともかく、西洋渡りの香料の知識も持っているいい教師がなかなか見つからなかったためだ。

 レディに必要な教育というわけでもないが、本人が学びたがっていて、なおかつ適正があるとなれば学ばせない理由は圭人にはない。


 

「ローズ――薔薇は西洋では特に人気のある花だな。見た目もそうだが、香りも好まれている。……まったく、西洋人の薔薇好きときたら、和桜国人の桜好きにも匹敵しそうな勢いだぞ。かつて中東のとある錬金術師が、錬金術の奥義に至らんとしてその結果ローズの花精油エッセンシャルオイルの製法を確立させた話はあまりにも有名だな。魔法の世界でも、逸話には事欠かない。魔法的にも重要な植物だ」

「ふぅん、だからこの家でも育てているの?」

 説明の合間、いろはがメモを取りながら疑問を投げかけてくる。

「いや、あれは観賞用だな。魔法用でもなければ香料用でもない。そもそも、観賞用の薔薇というのは見た目を重視して品種改良が進められ、本来持っていた薔薇の香りが薄れているそうだ。香料の世界での薔薇の立ち位置だが、まさに女王と呼ぶにふさわしい存在だ。香りの世界には欠かせない存在ともいえるだろうな。ポプリ作りに最適なのはダマスクローズなどの香りの強い、いわゆる古い品種の薔薇だな」

「ねぇねぇ、ここでも育てようよー、香料用の薔薇!」

「いらん、必要な分を買ってくればよかろう」

「私がちゃんと面倒みるからー!」

「だめだ。どうせすぐにメイド任せになる。……っと脇道にそれたな……次はラベンダーだ」

 そう言って圭人は、薄紙に包まれた細長いものをテーブル上に置いた。

「開けてみろ」

「うん」

 かさかさと音を立てて現れたのは、可憐なラベンダーの紫色の花穂。

 それをひとつつまんで、いろはは匂いを嗅いだ。

「この前も思ったけど、いい匂いで可愛い花だよね、つぶつぶしてて」

「いや、いろは――じつはこの部分は花ではないんだ。この部分はガクで、この先にさらに薄い青紫の花が咲く――らしい」

 すると、いろはは大きな瞳をさらにまんまるにして、驚きの声をあげた。

「これ、こんなにいい匂いがするのに、花じゃあないの?!」

「あぁ、花はすぐに枯れておちてしまうから、ラベンダーを育てている環境でもないとお目にかかれな……」

 すぐに圭人は自分の失言を悟った。

 なぜなら……いろはが目をきらきらさせていたからだ。


「ラベンダー育てようよ! ここのお庭で育てようよーーー?!」

「ダメだーーー!!」





 ……このように、いろははすっかり西洋渡りの花や、香草ハーブ香辛料スパイスに魅せられていた。

 胡蝶に聞いた話によると、かなりの夜中まで圭人が与えた香草ハーブの本を読んでいたこともあったという。

 それにポプリを作りたい、ポプリに関する本を読みたいからと、最近では外国語の勉強までしたいといい出した。香りといえば薫香であった和桜国では、ポプリに関する本は、まだ訳されていないのが現状なのだ。

 いろはが勉強のやる気を出してくれたはいいが、圭人としては複雑な心境である。





 そして数週間後……桜都もすっかり冬になった頃に、真希子が部下を伴ってやってきた。

 商品――つまりいろはの作ったオレンジポマンダーを受け取るためである。


「何も部下を連れてこなくてもよかったろうに、いろはが緊張しているぞ」

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! こちらの品物はいちおう壊れ物ですから、普通に馬車などで運ぶことは難しいでしょう?!」

「あぁ、そういうことか、だからこの人選か。アレを使う気か」

 圭人の言うアレとは――魔法のことだ。“見えざる光の袖”と和桜国では旧くから呼ばれる魔法で、一種の異空間への小さな扉を開き、その中に物品を収納しておける、というものだった。ちなみに神衣家の魔術師が特に得意とする魔法でもある。


「えぇ。というわけで……まずは品物の質を見せてくれますか? いろは嬢」

「は、はい……こちらになります」

 恐る恐る、といった様子でいろはが真希子にリボンの掛かったオレンジポマンダーをひとつ差し出す。

 真希子はそれをじっくりと眺めて、香りも確かめてから、こう言った。

「これなら桜宮おうきゅう魔術局まじゅつのつぼねに置くに値いたしますわね、それで、収められそうな品は何個ほどに?」

「えっと、腐らずに済んだのは、いま真希子さんが持っている物もふくめると百と、七つ出来ました……」

「……」

「え、えっと、少なかったですか……?」


「おーーーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! この私、神衣家の真希子が見込んだだけのことはありますわね!! 上出来も上出来でしてよ!!」

「ほ、本当に……」

「えぇ、本当ですわよ!! この神衣真希子、慰めの嘘などつきませんわ!!」

「や、やった……圭人、やったよ!!」

 いろはが半泣きになりながら、喜んでいる。

 まったく、泣くのか笑うのかどっちかにしてほしい、あまり顔面を酷使するのも良くないだろう。

「あぁ、良かったな」

「うん……!!」



 大量のオレンジポマンダーを“見えざる光の袖”に収納し終わって、真希子は封筒をいろはに差し出した。

「さぁ、いろはさん。こちらはオレンジポマンダーの代金でしてよ!! いろはさんの正当な報酬ですわ!!」

「……ほ、本当に、いいんですか?」

「正当な報酬に、いいも何もありませんわ、さぁさぁさぁさぁさぁ!!」

「わ、わかりました!」

 いろはは震える手を伸ばし、その封筒を掴んだ。

 そして素早くくるりと後ろを向いて、中身を確認する……多分、彼女が手にしたことのない大金のはずだ。……ひょっとすると、彼女の親ですらも手にしたことのない金額の現金。


「多すぎやしないか?」

 幼い子供にあまり多額の現金を与えるのはどうかという思いから、つい圭人は口をはさんでしまう。

「あのぐらいでちょうどいいのですわ――そろそろ、そういう季節ですしね」

「……季節? ……時期ではなくて、か?」


「主席様。そのあたりはちゃんとどうにかなりますから、主席様はいろは嬢を信じてお待ちになってくださいな」





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