オレンジポマンダーを作ろう



 古来より、香りというものは魔術とは切っても切り離せない存在だった。

 それは魔法革命後の今日も変わることはない。

 西洋では宗教施設で乳香フランキンセンスの香を焚いたり、力ある石パワーストーンをホワイトセージの煙で燻すことで浄化を行ったりする。

 東洋でも似たようなことは行われた。

 そして、和桜国でも同様に。

 古くから海の外の国との交易で、香料がさまざま取引され、各種の香が発明された。

 とある宗教家曰く――善き香りは心身全てに作用する。香料は我が身を燃やして、人に香りを授け、その人を幸せにする、これすなわち人に尽くす心を示している、と……。


 そして――そんな考えは今日の和桜国でも変わらない。





「というわけですわ。ざっくりとした説明でしたけれど、大丈夫でしたかしら?」

「は……はい、大丈夫です、多分」

「魔術師としての初歩だな。香料は触媒としてだけではなく、薫香にしても力を持つ」


 いろはが「悪戯」をしでかして数日後。

 本当に真希子は香料その他を持って紫乃宮伯爵邸を訪れた。

 しかるべき報酬は払うので「オレンジポマンダー」を大量に作って欲しい、とのことだった。

 細かい雑務は普段、次席である真希子に任せきりなので圭人がどうこう言うことではないかもしれないのだが、それでも釈然としない物がある。

「魔除けのオレンジポマンダー作りぐらい、誰でもいいだろうが、下っ端魔術師とかいるだろうに」

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! 主席様、他に任せられる仕事は他に回すべきでしてよ!! そして私ども宮廷魔術師は本来のお役目にあたる。そのほうが合理的でありませんこと?」

「あぁ、まぁそうなんだが……なんでいろはに。レディ教育もあるというのに」

 言い返せばさらに数倍になって返ってきそうなので、口の中だけで文句を言う。

 いろはは文字を順調に覚え、本もそれなりに読めるようになり、せっかくレディ教育も軌道に乗って来たというのに、今さら横から口を挟まれるのが少しばかり圭人としては気に入らないのだった。



「さて、ではオレンジポマンダーの説明と、作り方をお教えしますね」

「はい! えっと……そのポマンダー、っていうのもこの間私が作ったようなポプリの一種なんですよね?」

「いちおうそういうことになりますわね、見た目は全然違いますけど」


 そう言って、真希子はなにか丸い塊を、三個ばかり取り出す。


「これが、オレンジポマンダーでしてよ」

 そのオレンジポマンダーは……見た目ははっきり言うと……古釘らしきものがすきまなくびっしり刺さった丸いなにか、でしかない。正直言って見た目がいいとはいえない、いっそ不気味ですらある。

「……これ、なんですか……釘?」

 いろはもおっかなびっくり、それを色んな角度から眺めている。

 真希子もその反応は予想の範囲内だったらしい、苦笑いしながら、匂いを確かめて見るようにといろはを促す。

「大丈夫、変なものじゃありませんし、変な匂いもないはずでしてよ」

「……う……はい……」

 行儀わるくいろはが、それが載っているテーブルに顔を近づけて、鼻をくんくんさせた。……手に取りたくない気持ちはわかるが、行儀の悪さはあとで叱っておかねばならない。

「……わ! ……なにこれ……お蜜柑ぽい匂いと……あとはこれは……香辛料スパイスなのかな? 他にも樹木ぽい匂いとかも……!」

「そう、これは……オレンジポマンダーというのは西洋の柑橘類――オレンジに、丁字クローヴというスパイスを原型のままびっしりと埋め込んで、香料をまぶして乾燥させたものでしてよ」

「こっちとこっち、見た目が同じなのに香りが違うのはどうして?」

「ちゃんとそこもわかるとは流石ですわね!! これはまぶしてある香料の違いですわね、いろは嬢が最初に嗅いだのは白檀やシーダーを粉末にしたものが中心で、次のものはシナモンやカルダモンといったスパイスを粉末にしたものがまぶされていましてよ!!」

「白檀……シーダー……シナモンにカルダモン……」

 いろはがきらきらした瞳で、真希子からもたらされる知識をひとかけらも逃すまいと熱心に聞き入っている。


「これが、魔除けになるんですか?」

「えぇ、そうですわ。古い西洋の記録にも――枢機卿――ようするに、えらいお坊さまのことですけれど、その方が教区民を訪ねる際にこれに近いものを身に着けていた、とありますわよ」

「真紀子さん、私もコレを作ってみたいです!」

「えぇ、えぇ、ぜひとも作ってくださいな!! ここに材料はいくらでもございますわよ!! おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!!」



 オレンジポマンダーの作り方そのものは単純だ。

 まずはオレンジにリボンテープのようなものをかける。しなくてもいいが(そして実際真希子が持ってきたのはそれをしていないタイプだったが)これをしておくと、出来上がったものを紐などで吊るしておいたりするのに便利なので、あったほうがいい。

 それから、リボン部分を避けて、他の場所に原型のままのクローヴをびっしりと刺し込んでいく。このとき、そのままクローヴを刺すと割れて壊れてしまうこともあるので、竹串などを刺してから、クローヴを差し込むと良いという。

 それがおわったら、壺などに入れて香料の粉をまぶす。全体に混ざるように、ころころと転がしながら。香料の粉のレシピは、今回は白檀とシーダーを中心に、オリスルートにシナモンを少々というものだ。

 そして香料の粉の中で三日間おいて、その間は毎日中で転がす。

 それが終われば、取り出してガーゼなどにくるんで風通しのいいところなどで吊るして乾燥させる――抗菌効果を持つクローヴがオレンジの中の果汁を吸い上げ乾燥することで腐敗はしない……といわれているが、和桜国は西洋の地と違って湿度が高いため、この段階で腐敗する危険もかなり高い。

 かちかちになるまで数週間ほど乾燥したら、クローヴが刺さっていないところにリボンなり紐なりを改めてかけてやって、ようやく完成だ。


 ……作業そのものは単純ではあるが、なんとも時間がかかるシロモノである。



「こんな風に……仮にも食べ物に、こういうことしていいのかと思うよな……」

「同感ですわね……」

「でもなんか楽しいです!」


 というわけで、いろはと真希子、それに圭人で試しに一個作ろうということで、たくさんの穴の空いたオレンジを片手に、もう片手でクローヴをどんどん刺していっているところだった。

 オレンジに穴をあければ、当然皮の汁や果汁が飛び出す。

 そのため、さきほど胡蝶が今にも悲鳴をあげてしまいたいといった顔をしながら、オレンジの汁まみれの白かったテーブルクロスを回収していったところだった。


「こんなに間隔をあけて刺して大丈夫なんですか?」

「オレンジは乾燥すれば縮みますので、そのぐらいあけても大丈夫でしてよ!!」

「くっ……果汁で手が滑る……!」




「さて、これでいろは嬢も作り方は覚えましたわね? では……同じものを期日までに百ほど用意してくださいな。材料は、オレンジがうまく乾燥せずに腐敗してしまったときのことも考えて多めに用意いたしましたわ。きちんと相応の報酬もお出ししますので、お願いしますわね、田原いろはさん」


「は……はい!」



 さて、いろはにとっての初めての『仕事』であるオレンジポマンダー作りは、果たしてうまくいくのだろうか。

 圭人はいろはの初仕事をなるべく見守ってやろうと考えていた。





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