魔術局での評判と女王の視察




 いろはが魔術局まじゅつのつぼねにオレンジポマンダーを納品して、数日後のこと。


「これは却下だ、却下。理由は言わせるな。こんなめちゃくちゃな魔術式で通るとでも思ったのか」

「例の国の大使付き魔術師との会談との準備は進んでいるんだろうな?」

「こっちの魔法陣は効率的ではない、組んである式を書き換えるところからやり直させろ」

「ふむ、葉山男爵が召喚魔法使用の許可を求めていると? この内容なら条件付きで許可といったところだ。魔術局まじゅつのつぼねから中級以上の魔術師を最低二名つけるように」


 圭人は魔術局まじゅつのつぼねにある自分の執務室でデスクワークにあたっていた。

 正直、主席である自分が行わねばならないのか? と言いたくなる内容の書類も時折混じる。

 書類に万年筆でサインを行い、判をそれぞれ押す。

 魔法革命からそれなりに年月がたっているというのに、どうしてデスクワークは百年前からほとんど変わらないのだろうか。その百年で変わったことと言えば、せいぜい筆が万年筆に変わった程度だ。なぜ未だに我々は紙とペンそれにタイプライターで書類仕事をしているのだろうか。そのあたりをもっと便利にするものが生まれれば、あるいは――


 そんなことを考えながらも、部下たちがどんどん持ち込んでくる書類を片付けている。

 仕事も嫌いではないが、魔術師たるもの時間を気にせず研究にあけくれる生活に憧れないでもない。だが、それはずっと先――隠居した後のことだろう。

 

 書類の波が一段落したタイミングで、来客があることを部下が告げる。

「誰だ?」

「近衛隊長の紅瀬波様でした」

「わかった、すぐに通していい。それと茶を二杯淹れるように。茶葉の銘柄は……あいつにはなんでも構わん」



 優太が現れたのはすぐだった。少しもったいつけてみるとか、そういうことをしない男である。

 とりあえず執務室にあるソファに座ってもらう。

「よう、圭人。今日も仕事してるか?」

「してないように見えたのか、それは査定が怖いな」

「冗談だってば。お、今日は緑茶かー。お前のところはいいよな、部下が茶を淹れるのが上手くて」

 そう言って、優太はたいして熱くないはずの緑茶をふぅふぅ言いながら一口。

「で、今日は何の用だ? 近衛隊長どの」

「いやー、いつもどおりだよ。例のレディ・小娘ちゃんに関する報告書の受け取りと……あとは、女王陛下からのランチのお誘いを伝えに来た」

「わかった、報告書を取ってくる」


 圭人が執務机の引き出しから書類の束を持って来ると、優太はソファから立って、壁のコート掛けの金具から下がっているリボン付きオレンジポマンダーを眺めていた。どうしてこの男は落ち着きがないのか。とはいえ優太は犬に似ているので、犬にするように『待て』と言えば待っているのかもしれない。

「持ってきたぞ」

「おぅ。……なぁ、これが、レディ・小娘ちゃんが作ったっていう、例の……」

「オレンジポマンダーだ」

「そうそう、それそれ、オレンジポマンダー。ここに来る前に次席どの――真希子のところとかにも行ったんだが、みんなずいぶん褒めていたぞ」

「……そうか」

「なんだ、随分そっけないじゃん圭人。ようやく例の小娘ちゃんが成果だしたってのにさ。まぁ、これがレディらしいことかどうか言われると……微妙かもしれんがな。でもまぁ、今回のこれが女王陛下のお耳に入ってなー」

「それで、食事のお誘いか」

「だな、まぁ、たまには顔を出してやれ。寂しがってるぞ」

 ちょっと苦笑いをしながら、優太がそんなことを言った。

 圭人は思わず、今の発言を聞いていた部下はいなかったかと、周囲を確認する。

「相手は女王陛下なのだぞ、あまり不敬なことを言うな」

「圭人、陛下はたしかに強いお方だが――まだ二十歳にもならない少女でもあるんだよ」

「優太」

「ま、俺は伝えることは伝えたし、書類も受け取ったんでもう行くわ。女王陛下とのランチ、忘れてすっぽかすなよ?」

「……あぁ、わかっている」





「圭人、よく来てくれましたね。さぁ、わらわの向かいにかけてくださいな」

 女王の執務室――『葉桜の間』に現れた圭人を、女王樹乃花姫このはなひめはにこやかな笑顔で出迎えた。

 女王陛下との食事は、晩餐ではなくランチということもあり、いくらかは気楽な雰囲気のものだった。

「お招きいただき、嬉しく思います、陛下」

「ふふっ、圭人、今日は例の子の話を聞かせてくださいね。やはり報告書だけでは、わからない部分もありますもの」

「女王陛下がそれをお望みでしたら」


 メニューは洋食だった。

 鮭のパン粉と香草焼きがメインで、他は澄んだコンソメのスープやこの時期には貴重な生野菜のサラダ、焼き立てであろうふっくらしたパンなどがテーブル上に並ぶ。


「圭人、例の子が作った……オレンジポマンダーなるものが、魔術局まじゅつのつぼねでずいぶん評判のようですね。あの真希子があれだけ褒めるのは珍しいことですわよ」

「私としては、彼女の『悪戯』から始まったことなので、複雑な心境ですがね」

「……いたずら?」

 女王が小首をかしげて、不思議そうな顔をしている。

「えぇ。彼女が書斎に入り込んで、魔法用の触媒である薔薇の花びらや香草ハーブ香辛料スパイスなどを勝手にいじって――ポプリを作ったのがそもそもの始まりでした」

「あらまぁ、それは素敵ないたずらでしたわね」

「すっかり彼女はポプリ作りに夢中ですよ」

 ついつい愚痴っぽくなる圭人に、女王はにこやかにこう言う。

「夢中になれることや、特技があるというのは素敵なことですわよ、圭人。……そうですわ、午後は桜宮の視察がありますので、魔術局まじゅつのつぼねに立ち寄った時は例のオレンジポマンダーを見せてくださいな」

「陛下。そこまでせずとも、オレンジポマンダーぐらいこちらに持ってき……」

「それは駄目ですわ、ちゃあんと現場でその場にあるもの見ませんと、ね」


 楽しみです、と言いながら女王樹乃花姫はまっすぐな黒髪を揺らして微笑んだ。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る