ともだち



「圭人、おかえりなさい!」

「……あぁ、今戻った。ただいま、いろは」


 帽子と冬用のマントを征十郎に預けながら、圭人が深くため息をつく。

「あれ、どうしたの? 今日はまた一段とお疲れ……みたいだね」

「いや、なに、女王陛下が突然に魔術局まじゅつのつぼねを視察にな……お前の作ったオレンジポマンダーも見ていかれたぞ。かなりお褒めになっていた」

「じ、女王陛下が……! えっと、それ……本当なの?」

「本当だ」


 ――まぁ、素敵な、いい香りね。わらわも欲しくなってしまいますわ。


「などとおっしゃっていたから、明日にはその話が社交界を走り回って、貴族たちがこぞってお前のポプリを手に入れようとするかもしれんな」

「女王陛下が一言おっしゃっただけで……そ、そんなに?」

「あぁ、そういうものだ。というわけで、征十郎、胡蝶、いろはに会いたいといってくる妙な貴族がいても『丁重』に…………追い返せ」

「かしこまりました」

「えぇ、かしこまってございます」




 ところが事態はそう簡単に収まってくれそうになかった。

 圭人のところに、いろはの作ったポプリを譲ってくれと言いに来る連中も現れたのだ。

 ……普段は恐れて近寄りもしないくせに、こういうときだけ調子のいい話だ。と思いながら、某国の大使付き魔術師との会談――といっても実際はお互いの勉強会に近い――を済ませて、この日の仕事は終わりのはずだった。


 いつものように車に乗り込み、エンジンに魔力を注いで――

「主席様!! いえ、圭人様!!」

 車を発進させようとしたとき、真希子が走ってこちらに向かってきた。あれは“速度上昇”の魔法まで使っている。何事か、まずいことでもあったのだろうか。


「何かあったのか、真希子」

 真希子が息を整えるのを見計らってから、圭人は尋ねる。

「いえ……圭人様、明日あたりにうちの詩乃うたのを連れてそちらのお屋敷にお邪魔してもよろしいかしら? と今日中に聞いておきたかったのですわ」

「あぁ……そうだな、そんな時期だったな、では明日にでも」

 それを聞くと、真希子は心底安堵したかのように顔を緩ませた。この女性には珍しいことに。

「よかったですわ……詩乃うたのは最近ずっと調子がわるかったので……」

「いろはもお前に会いたがっていたから、なるべく時間を長く取ってこい」

「えぇ、ありがとうございます。圭人様。それではごきげんよう!!」

「おぅ」




 次の日は、冬にふさわしく桜都はうっすらと雪化粧の風景だった。

 

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! お邪魔いたしますわ、圭人様、いろは嬢!! ……ほら、詩乃うたのも挨拶を」

「ご、ごきげんよう。紫乃宮伯爵。それにはじめましていろは嬢」

 玄関ホールで高笑いをしながらも挨拶をきっちりとする真希子は今日は和装姿。黒地で裾に鮮やかな赤で椿の花が描かれたモダンなコートに、狐の襟巻、中の着物は裾を見るとグレーの地のようだった。

 その隣の詩乃も、和装姿。薄紫色のかわいらしい道行コートに、なにか柔らかそうな毛皮の襟巻、着物はピンクがかったグレーに、大輪の薔薇が描かれたもの。

 十五歳だという詩乃だが、華奢なためかもっと幼く見える。瞳が大きくまつげが長く、いかにも儚げな風貌をしている。真希子と並ぶとまるでだ。

「あぁ、ゆっくりしていけ」

「こんにちは、真希子様、それに……はじめまして、!」


 そのとき、時間が凍りついた。


「えぇと……?」

 いろはが明らかに戸惑っている。あの顔は、初対面でちゃん付けはまずかったか、やはりさん付けか、様付けにしておくべきだったかなどと考えている顔だ。

「いろはさん、ありがとう。でもは男なんだよ。……この格好は小さい頃からやってる魔除け代わりみたいなものかな。とはいえ、この格好もぼくはきらいじゃないんだけど」

「え……って……ええええええええええええええええええええええ?!」



 いろはの驚きが一段落してから、真希子たちを応接間に通す。

 まだいろはは信じられない顔で、詩乃の髪や顔を眺めていたが。……あまり人をじろじろみることも、レディらしからぬことだと教えておかねばならないだろう。


「それじゃ、詩乃。さっそく調整してくるから、それを外してくれ」

「はい、圭人様」

 そう素直に応えると、詩乃は両手に付けられた精霊銀の輪を丁寧に外す。

「調整の間は、予備のこっちをつけていてくれ」

「はい、お願いします」


 その一連のやりとりが不思議だったのか、いろはが部屋を退出しようとする圭人を追いかけてきて、袖を引っ張ってきた。

「ねぇ、圭人。あの、それって……」

「詩乃は生まれつき魔力が大きかったが、体が弱くてな……そういう場合は、そのまま成長しても十歳かそこらで魔力に飲まれて、体を保てない……死んでしまうんだ。この腕輪は、魔力を抑えておくためのもので、一年に一回ぐらい俺が調整しているんだよ。魔力さえ抑えておけば、寿命は少しは伸びるからな……神衣伯爵家の者は、昔からとくにこれで死ぬ者が多かった、らしい」

「そんな……それで、圭人が……」

「仕事ではなく、真希子あいつの友人として作ったものだがな、まだ学生時代に作ったものだから、完璧なものとはいかなくて――まぁ今でも完璧とは言えないシロモノなのだが――こうして詩乃の成長に合わせて調整している」

「そう……だったんだ……」

 圭人は、いろはのあたまを撫でてやる。栄養状態が良くなったためか、春に比べればだいぶ背がのびたが、それでもまだまだ小さなその姿。

「詩乃は学校にも行けなくて、友人もいないそうだ。だから……よければお前が友人になってやれ。神衣伯爵家の者は、変わり者だが信用がおけるからな」

「……うん!」


 ぱたぱたと、いろはは走って応接間に戻っていった。

 やれやれ、レディは廊下を走らないということも、また教えておかねばならない。





 腕輪の調整を終えて応接間に戻ると、いろはと真希子と詩乃が西洋すごろくで遊んでいるところだった。この西洋すごろくは、圭人がいろはに買い与えたもので、圭人も何度か付き合わされたことがある。

「あ、圭人。お疲れ様!」

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! お疲れ様でしてよ、圭人様!!」

「圭人様、今回もありがとうございます」

「あぁ、調整は終わった。次の一年もこれで大丈夫だろう」

「……ありがとうございます」


 詩乃は神妙な顔で、精霊銀の腕輪を受け取った。


「ねぇねぇ聞いて圭人、詩乃ちゃんすごいんだよ、すごろく強いの! もう全然勝てないの!」

 負け続けであることを、何故かにこにこと妙に嬉しそうに報告するいろは。

「ずっと家にいるから……大抵の遊びはやり慣れてるんだ。そうだ、今度来る時はいろんなボードゲーム持ってくるよ。遊び方教えるから、一緒にあそぼう、いろはちゃん」

「……うん!」

「その代わり、その……えっと……雑誌見せて欲しいな。うちの両親、振袖とかドレスは買ってくれるんだけど、少女雑誌までは買ってくれなくて……」

「うん、いいよ! 一緒に読もうね!」



 そんな二人の様子を、ちょっと離れたところで紅茶を飲みながら圭人と真希子は見守っていた。

 今日のお茶はルフナ紅茶のミルクティー。濃厚だが、まろやかで優しい。焼き菓子に合う風味だ。


「あの二人、すっかり仲良くなったようですわね」

「そうだな……ちょっと複雑なものもあるが、まぁ、良かったと思う。いろはもこれで……」

「これで?」

「……いや、なんでもない」

 いろはも、同性(……に限りなく近い)友人を得たのだ。これでメイド見習いなどと親しく話そうとすることも減るだろう。


「そういえばですけど、いろは嬢にポプリを作って欲しいという声が私のところにも」

「またか……この様子だと店でも開いたほうが早いんじゃないか」

 愚痴じみた圭人の一言に、真希子はぽん、と手をうつ。

「それですわ!」

「それ?」


「いろは嬢のお店ですわ!」




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