出仕




「圭人坊ちゃま、お車の支度はもう済んでおりますぞ」


 広い食堂での朝食の後、濃い目に淹れられたミルク入りアッサム紅茶を飲んでいると、この屋敷の執事を任せている征十郎せいじゅうろうがやってくる。征十郎は圭人の実家である紫乃宮侯爵家に長いこと仕え、長い経験を持つ使用人だ。相応に年も重ねているのだが、かっちりと執事服を着こなし、しゃんと背を伸ばしている姿からは老いを感じさせない……そんな男だった。

「そうか、なら出るとするか」

「お気をつけて、いってらっしゃいませ。圭人坊ちゃま」

「いってらっしゃいませ、圭人様」

 征十郎とメイド長の胡蝶が丁寧に頭を下げると、その場に居た給仕の使用人たちもまた深々と頭をさげて、主を見送った――



「さぁて、今日のご機嫌はどうか……っと」

 圭人はガレージの真っ赤な『車』に一人乗り込み、早速魔力を注ぎ込んでエンジンを稼働させる。

 彼の乗る車は、人力車でもなければ、馬車でもない。

 魔力エンジンを搭載した『自動車』だ。


 この自動車も、偉大なる魔法革命のもたらした恩恵の一つであると言えるだろう。

 もっとも、和桜国はある事情からその魔法革命に乗り遅れて、ひどいことになったのだが――それも、もう昔の話だ。穢土えど明磁めいじも終わったこと。

 今はもう大晶たいしょうの五年にもなるのだから。

 

「よし……今朝はまた随分とご機嫌麗しいようで……それじゃ、行こうか」

 圭人は自ら自動車のハンドルを握り、運転してガレージを出る。

 運転手も付き添いも居ない。

 こんなものを自ら運転して、宮廷に出仕する貴族は和桜国でもまだ圭人ぐらいのものだろう。大抵は人力車か、あるいは小型の馬車だ。




「いよっ、お前は相変わらず魔素臭いもん乗り回してんなぁ!」

 桜宮おうきゅうに到着し、いつもの決められた場所に車を止めていると妙に親しげに圭人に話しかけてくる若者が一人。

「魔術師に魔素臭いとは……褒め言葉だな。優太ゆうた

「やれやれ、何もお前も自分で運転しなくったっていいだろうになぁ」

 紅瀬波くぜなみ優太ゆうたはあきれた様子でそんなことを言う。

 優太はその文字通り優しげな名前に似合わず、身長六尺を越えるがっしりした大男だ。しかし、やや茶色っぽい髪をまるで尻尾のように長くしているのと、いつも朗らかな笑みを浮かべているので大型の洋犬のような――そんなどこか安心できる雰囲気もある男だ。

 その鍛えられた身体を包むのは、いくつも勲章がついた和桜国の軍服。彼は二十六歳にして女王の近衛隊長を努めているのだ。

「そうか? 運転もなかなか面白いものだぞ。お前だって乗馬の時は自分で馬を乗りこなすだろうに。それと一緒だぞ」

「えー。乗馬は乗馬だろうが。車とはまた違うものだろう?」

 優太はぴかぴかの真っ赤な車体を眺めながら、呆れのため息まじりにこう続ける。

「だいたいコレ、一体いくらかかったんだよ。舶来モノの自動車を二台も三台も四台も」

「まだ三台だ。黒いのと紺色のと、この赤いのと」

「お前な……いくらなんでも自由に買いすぎじゃないか? 本当いいよなぁ、ぱーっと散財して家にかえっても口うるさい家族がいないやつは」

「仕方ないだろう、国産には俺好みの車がないんだ」

「うわ。……そんなに散財してたら、嫁さんこねぇぞ」

「お前に言われたくもない。だいたい俺は嫁など貰わん、必要ない、女なぞ口うるさくて稼いだ金を浪費するだけの…………」


「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! ごきげんよう、おはようございます! 主席様! 近衛隊長様! よき朝ですことね!」


「……おはよう」

「よう、お前も今日も朝から飛ばしてんな―」

「一日の計は朝にあり!! すなわち、朝をきっちり過ごさなければ、よき一日はすごせないというものですわ!!」

 優太曰く『飛ばしている』この女性。一応……一応言っていることはまとも極まりないのだが、テンションの高さがそう思わせないあたりが損をしているとしか思えない。

 艶やかな黒髪をラジオ巻きに美しくまとめ、いかにも職業婦人といった女物のスーツの上に高位宮廷魔術師のマントを纏った彼女は、神衣かむい真希子まきこ

 圭人の部下で、宮廷魔術師次席だ。二十四歳とかなり若いが、その魔法の腕は確かなのである。……圭人からすれば、こう見えても、一応、という言葉も付け足したくなるのだが。 

「さ、このようなところでたむろなさっている場合ではありませんことよ。早く女王陛下に朝のご挨拶を」

「はいはい」

「主席様! はい、という言葉は一度でいいのですわよ」

「お前は本当に常識的なのに何故……いや、常識的だからなのか、損してるぞ」

「だなぁー……」




 三人組は桜宮の『葉桜の間』へ向かう。

 この『葉桜』というのは和桜国女王の執務室だ。この国の王宮――桜宮ではそれぞれの部屋や部署には植物などの名前が付けられる。特に、女王のおわす場所は桜に関連した名前だ。例えば謁見の間のことを『春咲桜の間』といい、女王のお休みになる私室を含む寝室のことは『冬枝桜の間』と呼ぶ。女王が身内の喪に服す間過ごす間というのもあり、それは『墨染桜の間』と言う。

 こんなことを外国人たちに説明すると、和桜国の人間は国名にも桜を持ってきている上に、どこにでも桜を持って来るのだな、桜の花が好きすぎるだろうなどといかにも面白そうに笑う。

 だが、それも和桜国の人間からしてみれば当たり前のことだった。

 なぜならば――我らが和桜国の女王陛下には桜女神の血が流れているのだから。

 それは和桜国の旧き神話。美しき桜女神はとある英雄と結ばれて――そしてひとりの姫君を産んだ。

 そして、その血を神代のころより絶やすことなく受け継いだ当代の女王。そのお方こそが圭人たちの仕えるあるじである女王・樹乃花姫このはなひめであった。



「あぁ、来ましたね……。楽にして構いませんよ。おはよう、わらわの大事な家臣達」

 当代の樹乃花姫このはなひめである美しい少女がまさに花のような可憐な微笑みを湛えて挨拶をする。

 その唇ははなびらのような色であり、まっすぐさらさらとした髪は美しい漆黒。白い春物ドレススーツに包まれた身体はいかにも和桜国の女性らしく、華奢で小柄。

 この女王に対面した外国の要人は、誰もがみな、信じられないといった顔をする。

 彼女は十二歳の幼さで即位し、今年で十七歳という、いわゆるところの少女王だった。

 だが少女の身でありながら、今や諸外国とも対等以上に張りあえるような力を持った和桜国を見事に治めてみせているのは、他ならぬこの女王陛下なのだ。


「おはようございます、陛下」

 一礼してから、圭人も女王に朝の挨拶を返す。

 今日の女王陛下はずいぶんとご機嫌麗しいようだった。

「ふふ、今日はきれいに晴れてようございました。あぁ、それとも……私の宮廷魔術師主席どのが天候を晴れにする魔法でも使ったのかしら?」

 ころころと笑いながら、いかにも若い少女らしい冗談を言い笑う女王。

 ちなみに――天候を晴れにする魔法などは、圭人は用意していない。


「今日は折角の観桜会ですもの。それも、列車に乗っていくでしょう? お天気が良いほうがきっと車窓からの景色も素敵だわ。あぁ、楽しみ……」


 白い手袋に包まれた手を頬にあてて、うっとりと夢見るような瞳で、和桜国女王はそう呟いた。





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