一年目の春と夏
まずは身繕い
「ほらさっさと歩け、いつまでも
圭人は今現在、みすぼらしい小娘こと田原いろはの手をかなり強引に引っ張って、正面玄関までの道を歩いていた。
「ちょ、無理、こんなおっきなお屋敷なんかに住むとか嘘でしょう?! 嘘って言って……あ、多分あれだ、住み込みの下働きってことで住まわせてもらうとかそういう」
「レディに育てなければいけない対象を、下働き扱いなぞするわけなかろう、いいからさっさと入れ!!」
「無理だってば! なんか入り口にものすごいぱりっとした洋装の人とか待ち構えてるし!!」
「あぁ、あれは出迎えの
「やだ、もう……貴族様怖い……貴族様怖い…………!」
いろはがなにを怖がって騒ぎ立てているのか圭人にはよくわからないが、とにかく屋敷に入らないことには話が進まないので、無理やり手を引っ張って連れて行く。
「征十郎、今帰った。遅くなったが……」
「おかえりなさいませ、圭人坊ちゃま。お仕事でのことはすでに報告をうけてございますぞ」
「あぁ、話が早くて助かる」
「やーーーだーーー!! むーーーりーーー!!」
まるで、いろはの悲鳴を封じ込めるように、紫乃宮伯爵邸の正面玄関扉は非情に閉じた。
玄関ホールでは、メイド数名とメイド長の胡蝶が待ち構えていた。
「おかえりなさいませ、圭人様」
「「「おかえりなさいませ」」」
「あぁ、帰った……ん?」
「……」
何故だろうか。さっきまで無理だのなんだのと騒ぎ立てていたはずのいろはが、急に大人しくなっている。
圭人の背中に隠れて、もじもじと胡蝶らメイドの方を見ていた。
「いろは、挨拶は」
ぽん、と背中を軽く叩くと、いろははもじもじしながらも前にちゃんと出た。
「……田原、いろは……です」
そして、やはりもじもじと下を向いてしまう。
「あー……もう
「かしこまりました」
と、胡蝶は表情一つ変えずに丁寧な礼をいろはにして、そしてこう言った。
「なんなりと、お申し付けください。いろは様」
「……よ、よろしく、お願いします……」
圭人にはなぜなのかさっぱりわからないが、とりあえずいろはがおとなしくなったので、胡蝶らメイドにこれからのことについて指示をする。
「まずはいろはの部屋を整えろ。客間……いや、ここは俺の部屋の近くのほうが都合が良さそうだな、適当な部屋に客間の家具類を運ぶように」
「かしこまりました、すぐに」
「あと、それと」
圭人はちらりといろはを見た。
お世辞にも清潔が保たれているとはいい難い状態である。レディが、いやそれを無しにしたとしても、若い娘がこれではあんまりだろう。
「こいつを風呂にぶちこめ、今すぐにだ」
「かしこまりました、すぐに。……お前たち、いろは様を浴室にお連れしなさい。お体のすみずみまで洗ってさしあげるように」
「はい」
「はい、胡蝶様」
「ではいろは様、浴室に参りましょうか」
いままで無表情だったメイドたちが、うふふうふふと笑っていろはの両腕をつかむ。
「ちょ……待って、お風呂って、お風呂?! 待って、私一人でちゃんと体洗える……!!」
「ご心配なく、ぴかぴかに磨き上げてごらんにいれますわ」
「待って! お願い、ちょっと待ってーーー!!」
そうしてメイドたちによってずるずると引きずられるように、いろはは悲鳴を残して浴室に連れて行かれた。
あとに残っているのは、圭人と征十郎と、それに胡蝶。
胡蝶が、すこしだけ遠慮がちに圭人に伺いを立てる。
「圭人様、お風呂でお体は清潔にはなりますが、お召し物はいかがいたしましょう。元のお召し物では……」
「みなまで言わなくともいい、さすがにあのボロ着物のままというわけにもいくまい。とはいえ……この屋敷にいろはの体型に合う服があるか?」
「屋敷には体型が似た見習いのメイドもおります。彼女にいくらか金なりを与えて、私服を借りてくる、ぐらいでしょうかね」
「もう夜中ですので、今日のところは出入りの商人を呼びつけるわけにもいきませぬからのう」
「服も用意しなければいかんし、年頃の娘に必要なものもいろいろあるだろうし……頭が痛いことだ……」
圭人はやれやれ、と頭をおさえる。
人間一人預かることもそうだが、あの娘は立派なレディとして育成しなければいけないのだから、必要なものは多い。
「明日にでも出入りのものを呼びつけろ。洋品店、呉服屋に、宝石商と小間物屋、あとは――」
「化粧品なども必要になりますかと」
「なるほど。助かる、胡蝶」
「……いえ」
書斎に場所を移して、濃いめの紅茶を飲みながら、これからいろはがこの紫乃宮家で暮らす上で必要なものの一覧を書き出す。
メイドの身分であるとはいえ女性である胡蝶のアドバイスはやはり有益だった。
紙があっという間に年頃の娘に必要な品物の名前で埋まっていく。
「袴は必要……か?」
「やはり学ぶときのお召し物といえば、袴かと……」
……もしかすると、胡蝶が面白がってどんどん一覧を長くしてるのではないかという気がしてきた頃、いろはが風呂からあがったと報告が来た。
「……」
「ほう、身綺麗にしただけで変わるものだな」
「…………」
いろはは黙ったままだった。
多少のぼせたのかもしれない。
風呂上がりで清潔な浴衣を纏ったいろはは、体の汚れがおちたためか、いくらか若い少女らしい肌つやを取り戻したようにも見える。
だが、ぼさぼさにはね放題の髪がそれを台無しにしていた。
風の魔法の器具で乾かされた髪は、洗われてもつやがなく、ぼさぼさとしたままでとても見苦しかったのだ。
これは椿油でも塗って手入れを続けることでどうにかなるとか、そういう範囲ではない気がした。
「……あぁ」
そのとき、圭人はいい考えを思いついた。
見苦しい髪なら、切ってしまえばいいのだ――と。
いろはの髪を切るように胡蝶に命じると、これまで大人しくしていたいろはは抵抗の様子を見せた。
「いや、男の子みたいに髪を切るなんて! やだやだやだやだ!!」
だだっこみたいにものすごい勢いで泣き始めたいろはに、さすがの百戦錬磨のメイド長である胡蝶もたじろぐ。
「あの……圭人さま……」
「かまわん、やれ。この髪は断髪したほうがまだ見れるだろう」
「……はい」
「やだやだやだやだ!! 髪は女の命って言うのに、圭人の馬鹿ーーー!!」
馬鹿、などと言われるとさすがの圭人もカチンと来る。これでも若い頃に国費での海外留学を果たして、今では宮廷魔術師の主席だ。馬鹿と言われるいわれだけはないはずだ。
「……馬鹿はお前だ。髪は女の命などと、一体何年前の考えを振りかざしているのだ。先進国とされる西洋の諸国では、女性の断髪は珍しくもなんともないのだぞ」
「やだやだやだやだやだやだやだやだーーー!! なんでもいいから髪を切るのはやだーーー!!」
「……らちがあかん、やれ胡蝶」
「かしこまりました。……いろは様、お恨みしないでくださいませ」
それからしばらく、ハサミの音が響き。
「……いかがですか、圭人様、いろは様」
胡蝶はいろはに鏡を掲げて見せた。
その鏡に映るのは、顎よりすこし上のあたりでふわりとした髪を切ってある娘。
圭人の思ったとおりで、ふわふわした髪は断髪したほうがむしろ愛らしさがあった。少女らしい可愛らしさは失われていない、むしろ増していた。くるりとした髪が頬にかかっているのも、また可愛らしい。
「……可愛い……」
「うむ、良いと思う」
いろはは、鏡を覗き込んで、それからまたもじもじして、そしてこう言った。
「圭人、その……ありがとう。あと、ごめん……」
「何がだ」
「その、えっと、こんなに綺麗にしてくれて、かな……あと、馬鹿って言って、ごめん」
その言葉に思わず圭人は吹き出した。
「そんなことか、これからもっともっとお前には綺麗になって貰わなければ困るぞ。なにせ、女王陛下に謁見できるようなレディになってもらうのだからな。ああ、あと、馬鹿といわれたことは一生忘れん」
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