夏の暑い日




「……暑い」

 圭人は自室の机に突っ伏しながら、その言葉を呟いた。


 家のつくりというものは夏を基準にするべきだと、偉大な先人は言った。

 毎年毎年、夏になるたびに、その言葉の意味を身をもって味わうことになる。

 だからこそ、先人は――和桜国のひとびとは夏を基準とした家づくりをしてきた。そのため、いわゆる和桜国の伝統建築はだいたい風通しの良い木造住宅だ。

 だが――圭人の住まう紫乃宮伯爵邸は、風通しのことなど考えていない湿気の少ない西洋の家のデザインで作られた洋館である。

 一応、涼しい風を送る魔法の道具を屋敷のあちこちに設置していたのだが……ここ最近稼働させすぎたせいなのか、昨晩急に停止し……そのまま壊れたのだ。


「……暑い」

 圭人自ら修理は試みたが、一部の部品が壊れていた。その取り寄せはどんなに急がせても今日の夕方ぐらいだろうとのことだったのだ。


 ゆらりと、圭人は椅子から立ち上がる。

 こんなときに、ちまちまと魔術式を書いたり、魔法陣を組み立てたり、触媒の調合比率を計算したりなど、とても無理だ。

 こういうときは――そうだ、フルーツパーラーにでも行こう。

「果物……いや、こういうときはやはり氷菓か」


 そう、冷たいアイスクリームを食べるのだ。



 さっそく車に乗り込むべくガレージに向かう――と、廊下でいろはに出くわした。

 今日のいろはは、先日お誂えしたばかりの夏のワンピース姿だった。スカートの裾の白いレースが透けるのが、目にも涼しげだ。

「圭人、どこかいくの?」

「あぁ、フルーツパーラーにな。お前も行くか?」

 最近いろはには礼儀作法やピアノの家庭教師もつけた。

 だが、詰め込むだけはよろしくない。この少女にも、そろそろ息抜きをさせてやっていい頃合いだ。

「うん! ……あ、でも、胡蝶さんに聞いてきてからで」

「いらん。あいつはあくまでもメイドで、俺はこの家の主だ。俺の命令のほうが優先されるから、お前が叱られることもない」

「……う、うん。それじゃあ」

「とりあえず帽子は取ってこい。ガレージで待ってるからな」

「わかった、行ってくる!」

 と、いろはは早速駆け出そうとして――途中で廊下は走ってはいけないことに気づいたようでしずしずと歩き出した。

 一応、一応ではあるのだが、レディ教育の成果は出ているようだ。




「お待たせ、圭人」

 いろはが持ってきたのは、大きなリボンのついた麦わら帽子だった。

 あとはお出かけ用にと胡蝶にでも持たされたのか、小さなポシェットを提げている。

「あぁ、早く乗れ。暑くてかなわん」

 ドアを開けてやると、いろははするりと黒い車に乗り込んだ。



「フルーツパーラーって、アレだよね。水菓子……果物とかがあるっていう」

「あぁ、今回行くのは千押屋せんおしやだ。普段食べられない海外生まれの果物もあるし、アイスクリームも出るぞ」

「……アイスクリーム……って、あのアイスクリーム? あまくて、つめたくて、とろけるっていう、あの」

「まぁ、それだな。雑誌かなにかで見たのか?」

「うん! 最近ようやく少女雑誌がよめるようになってきたから、いろいろ読んでるの。本って面白いんだね。いろんなことが書いてるんだ! それでねそれでね、圭人。アイスクリームを食べるなら、苺のジャム……っていうのものっけていいかな?」

 運転しながら圭人は少し驚いた。いろはにしては、めずらしく自分のほしいものをちゃんと言えている。それも――ちゃんと年頃の娘らしいものを。

「あぁ、いいぞ」

「やったぁ! 楽しみだな、もっと早くそのフルーツパーラー千押屋ってところにつかない?」

「わかったわかった。ちょっとまってろ、急ぐから」

「はぁい!」



 居留地の外国人を主な客層にしているだけあって、フルーツパーラー千押屋も洒落た洋風の作りをした店だった。

 白い窓枠、薄く透ける白いカーテン、木目の丸テーブル、店内は魔法の道具によって程よく涼しい空気に満ちている。

 窓辺の席に案内されたので、いろはの椅子を引いてやって彼女が座るのを確認してから圭人も座った。

「……で、いろはは苺ジャムがついているアイスクリームだったな。他に食べてみたいものはあるか?」

「うーん……といっても、果物の名前を見ても、ぴんとこないし……ここは圭人に任せていいかな?」

「わかった、ではさっそく注文するか」


 ウエイトレスの女性を呼びつけて、アイスクリームふたつと、苺のジャム。それにスイカとメロン、あとは桃を注文する。

 やはり和桜国の夏といえば、よーく冷えたスイカである。

 圭人としてはスイカを食べないと、どうも夏が来たという気がしないのだ。


 いろはの勉強の進み具合などを話しているうちに、まずアイスクリームと苺ジャムが届けられた。

 白いアイスクリームは透明な硝子の器にちょこんと盛られている。苺のジャムは別の器に入っており、夏の光を受けてきらきらと輝いてさえいた。

「食べていい? ……食べていいよね?」

「あぁ、食べていいぞ」

「それじゃあ……いただきます」

 いろはは、スプーンですくった苺のジャムをとろーりとアイスクリームの上にかけて……そして一口目を食べた。

「本当に冷たい、とろけていく……でもって、甘いね……美味しい……」

「あぁ、美味いな」

 最初はちょっとずつ、ちょっとずつアイスクリームを食べていたいろはだったが……時間が経つと溶けてしまうことに気がついたのか、後半はスプーンに大きくとって食べていた。

「美味しかった……ごちそうさまでした、圭人」

「あぁ、そっちを食べ終わったら、スイカとメロンと桃を食べてみろ。やはりスイカを食べねば、和桜国の夏ではないぞ」

 そう言って、圭人が美しく切られたフルーツたちを示すと、いろははまずスイカに手を伸ばした。

「服に果汁をつけて、胡蝶に叱られないようにな」

「わ、わかってるよ……」



 大晶五年の和桜国の夏も、過ぎていこうとしている――




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