二年目の春と夏

大晶六年 春先に



 どこか、控えめな印象のあるノック音が数度鳴った。


 この音の出し方は執事の征十郎に間違いないだろう。

 圭人は書類机に向かい合ったままで、彼に入室を促す。

「入れ、征十郎」

「はっ、失礼致しますぞ」

「何かあったのか?」

 魔法の巻物スクロールの下書きから目を離さないまま、用向きを尋ねる。

 実際に巻物スクロールに書き込む時は昔ながらの羽ペンや特別な調合のインクを使うが、これはあくまで下書きなので、今圭人が使っている筆記具は万年筆だ。インクはクリスマスにいろはに贈られた、濃い緑のインク。

「紅瀬波侯爵家の翔太様と、神衣伯爵家の詩乃様がいらっしゃいました。いろは様が対応なさっておいでですよ」

「そうか」

 来客があることにはとっくに気づいていた、それが誰かであることまでも、気づいている。なぜならこの紫乃宮伯爵家の屋敷には、一種の結界が施されていて、誰がいつ出入りしたか圭人は知ることが出来るからだ。

「ご挨拶だけでもなさらないのですか?」

「必要なのか? あいつら、最近はもう俺よりもいろはに会いに来ているのだぞ」

 翔太も詩乃も、圭人の弟子というわけではないが、同じような気持ちで見守っていた若者だ。それがいまではすっかり、いろはに――

「必要でございますよ。翔太様も詩乃さまも、それにいろは様も、圭人様をお待ちでございますよ。あぁ! そうそう、詩乃さまが美味しそうなお土産をもっておいででしたぞ!!」

 征十郎が気遣いからか、大きな声でわざとらしくそんなことを言ってみせるので、圭人もそれに乗ることにした。

「そ、そうか……なら、紫乃宮伯爵家当主としていちおう顔も出さないと、な……」

「いろは様たちは、いつもの応接間ですぞ」


「……わかった」




 小さい方の応接間、そこがいろは達のいつもの『遊び場所』だった。

 一度、いろはが翔太と詩乃を自室に案内しようとしたことがあるらしいのだが、胡蝶が全力で止めた。当たり前だ。翔太はもちろん、詩乃もあれでれっきとした男なのだから、若い女性の部屋に招き入れるなど言語道断である。


「翔太、詩乃、よく来たな」

「圭人先生、こんにちは!」

「圭人様、こんにちは。お邪魔しております」

 赤みがかった茶色い髪の翔太と、今日も今日とて女物の和服を纏っている詩乃は、それぞれに挨拶を返した。

 そして、

「圭人、これ詩乃ちゃんが持ってきてくれたやつ、すっごく美味しいのよ! 圭人も食べよう!」

 冬前ぐらいから比べても、随分と……一寸いっすんばかりは背が伸びたいろはが詩乃のおもたせの菓子を薦めてくる。

「わかったわかった。胡蝶、茶をもう一人分だ。銘柄はお前にまかせる」

 圭人は、部屋の隅にひっそりと影のように控えていた胡蝶に茶を持ってくるように命じる。

 銘柄をまかせたのは、詩乃が持ってきたというそれが一見どんな菓子なのかわからなかったからだ。

 それは、見た目は完全に大福に見えるが、多分それだけではないのだろう。


 応接間のソファに腰掛け、その大福にみえる菓子と向き合う。

 改めて見ると、その大福らしきものは、大きさが違うものがある。

 圭人はとりあえず大きめのものを取って、皿に乗せて、フォークで切る……と、意外な手応えが返ってくる。

 その大福の中身は、まさにオレンジ色……いや、みかん色だった。

「これは、みかん大福か」

「そうです、千押屋のフルーツ大福ですよ。それはこの時期限定のみかん大福ですね。そっちの小さめのがメロン大福です。他にも定番のいちご大福もありますよ」

 持ってきた本人である詩乃が、袖で口元を隠しながら笑って言う。その仕草は、完全に令嬢にしか見えない。

「なるほど、これは美味そうだな……どれ、味は……っと」

 早速口に入れるとじゅわり、と果汁がしたたり、それをやわらかな餅と白あんがうけとめる。

 なるほど、これは美味い。

「ね、美味しいよね!」

 いつのまにか、圭人の隣に座っていたいろはが、にこにことしながら圭人の顔を覗き込んでいる。

「あぁ、美味いな」

 最近気づいたことがある。

 この娘は――いろはは、圭人が機嫌がいいのを妙に嬉しがるのだ。


 

 胡蝶が持ってきた紅茶――ケニルワースという、とてもフルーティな香りのするくせのない品種だ――を飲みながら、翔太や詩乃と最近独自に行っている魔法の道具の研究や、それぞれの兄姉のことについて、それにいろはの勉強の進み具合についてなどを話す。

「いろはさんは凄いですよ。以前は和桜国語の本もほとんど読めなかったのに、今では外国語まで読み書きしちゃうんですから」

「まだまだ、易しいことばとかしかわからないけど……」

「それでも凄いよ、いろはちゃん。香草や香料の本とかなら、もうしっかり読めちゃうんでしょう?」

 いろはは力強く頷く。

「うん、もともとそういう本が読みたくて、外国の言葉を習いはじめたしね」


「そういえば……例のポプリのお店の準備はどうなんですか、圭人様」

 詩乃が小首をかしげて、尋ねる。

 中身はしっかり男のはずなのに、なぜこういう動作だけは妙にしおらしいのかと思いつつ、圭人は応える。

「おおむね順調だ。雇い入れる店員の面接も近いうちに予定されている。和桜国に自生していない香草や、貴重な香料の取り寄せに多少時間がかかってはいるが、予想の範囲内だな」

「その、ただでさえ忙しい圭人のお仕事増やして……ごめんなさい」

「気にするな、これも好きでやっていることだ……まぁ、そんなわけで、秋には開店予定だな。店舗も、なるべくいい土地の建物をおさえて、現在改装中だ」

「秋には、いろはさんのお店が出来るんですね……すごいなぁ」

 翔太が感心しているというよりは、どちらかというと純粋に嬉しそうな声で言う。

「僕たちにも入れるお店ならいいんだけど、開店して行ってみたら、周りは妙齢の女性客ばかりとかありそう」

 くすくすと小さく笑いながら言うのは詩乃だ。

「お前はまだいいさ、詩乃。でも、思いっきり男子学生の俺が一人で入ったら……怖すぎるよ」







 大晶六年。


 小さな痩せた薄汚いただの小娘だった少女が紫乃宮伯爵家に来てから、もうすぐ一年が過ぎようとしている。

 

 その少女、田原いろはは――十五歳になった。




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