聖なる夜



 硝子窓のくもりを指先で拭くと、雪が降っているのが見える。

「まだ降っているのか……車の運転に気をつけねばな」

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! えぇ、お気をつけて、なるべく速やかに帰宅してくださいな。主席様!!」


 圭人は振り返って書類を受け取りに来た真希子を見る。彼女は今夜は桜宮おうきゅう詰めだ。朝まで帰宅できない。

「本当に任せていいのか?」

「えぇ、えぇ、早くお帰りになってくださいな。早く早く」


 宮廷魔術師主席であることを示すマントを羽織り、帽子を被って魔術師の杖ステッキと鞄を手に取る。


「悪いな」

「いえいえ」

「あとで魔術局まじゅつのつぼねにも何か差し入れを届けさせる、あ、さすがに酒類はだめだがな」

「まぁ、お気になさらずともよろしいのに、でも素直に受け取っておきますわ」




 途中で今日は夜勤だという優太とすれ違い、いつものように軽口を叩きあって別れ、いつものように、車に乗り込んで魔力を注ぎエンジンを起動させ、タイヤが雪にとられて滑らないようにするのを気をつけつつ発進する。


 すでに暗かったが、街灯に照らされた雪の降り積もる貴族街は美しかった。

 それぞれの屋敷の窓から漏れる明かりからは、いかにも楽しげな気配と温かさが伝わってくる。

 圭人も車を走らせ、家路を急いだ。




「ただいま、帰ったぞいろは」

「おかえりなさい、圭人!」

 いつものように、執事の征十郎やメイドの胡蝶らに帽子やマントを預けている間、いろはは後ろで手を組んでそわそわとしていた。

 今日のいろはは和装だった。

 鮮やかな赤い着物に、薔薇が描かれたモダンな緑色の羽織。以前は『服に着られる』といった状態だった彼女も、最近はこういった華やかな随分衣服が似合うようになってきた。


「……あのね、圭人。これあげる!!」

 いろはが差し出してきたもの、それは美しく包装された箱だった。

「……いろは、これは」

「今日は、大切な人に贈り物をする日なんだって、翔太君や詩乃ちゃんに教わったの! えっと……西洋で、なんとかっていう、すごい人が生まれた日なんだって……」

「あぁ、これはクリスマスの贈り物か。よく知っていたな」

 いろははえっへんと薄い胸を張る。

「これね、ちゃんと自分のお金で買ったんだよ! 圭人のお金じゃないの、この間作ったオレンジポマンダーのお金を使ったの」

「あぁ……あの金を使ったのか……自分のために使っても良かったのに」

 両のてのひらに載るぐらいの箱を眺めながら、圭人は呟く。この娘にとっては結構な大金だっただろうのに、それを惜しげもなく人に贈るとは。

「うぅん、ちゃんと自分のためにつかったよ。圭人に贈り物をすることが、私のためになることだって思ったの」

「……そうか」

 思わず、いろはの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 胡蝶が「せっかく結んだリボンが乱れてしまいます!」と言い出さなければ、そのままずっと撫でていたかもしれない。


「プレゼントの中身はなんなんだ?」

「万年筆のインク。本当は、万年筆そのものを贈りたかったけど……けど……思ったより高くて、買えなかったから……その」

「ありがとう、嬉しいよ」

 贈り物は金額ではなく気持ちが大切なんだ、という言葉はこういうときのためにあるのだろう。

 圭人は、この小さな少女が自分で稼いだお金を使って贈り物をしてくれた事実そのものが嬉しかった。

「さて、食事に向かうか。いつまでも玄関ホールにいたらせっかくの料理が冷めてしまう」

「うん! あのねあのね、今日は『ろーすとちきん』……なんだって! おっきな鶏のお肉、楽しみ!」

 ローストチキンは圭人も海外留学中に食べたことがある、まるごとのチキンに詰め物をして焼いたオーブン料理だ。この料理は主人自らが切り分けることになっていて、その上手さで客人から主人の品定めをされる、なんて話もあるが、二人しか居ない家なのだ、自由に食べればいいだろう。

「ほう、それは確かに楽しみだな」




 食事が終わって、圭人は暖炉の間に二人分の紅茶を持ってこさせるように胡蝶に命じた。今日の紅茶はシナモンとジンジャーを始めとしたスパイスがたっぷりのチャイティー。スパイスの作用で体が温まるので、このように冷える雪の夜にはぴったりだろう。


「いろは、今日はあとは勉強はいい。代わりに、俺がクリスマスの物語でも読んで聞かせよう」

「本の読み聞かせって……子供じゃないのになー」

 そう言いながら、いろはは嬉しそうに軽い足取りで暖炉の間に向かう圭人についてくる。

「そう言っているうちはな、まだまだ子供だよ」

「むー……」


 そう言いながら、圭人は……いろはにいつまでも子供でいて欲しいのだと……そう思っている事に気がついてしまった。



「さぁ、いろははそっちの椅子に座ると良い」

「うん!」

 圭人は本棚から分厚い書物を取り出して、揺り椅子にかける。

「さて、クリスマスの物語だな。……とある冬の夜、若い夫婦が一晩の宿を求めていた、もうすぐ妻には子供が生まれようとしていたのだ。しかし部屋は空いておらず、宿の主人は馬小屋なら空いていると夫婦に言った……」



 しんしんと雪の降る夜、暖炉のある暖かい部屋で『家族』とのんびり過ごす。温かな紅茶もついている。炉辺にある壺からは、いろはが作ったローズポプリの心地よい香りが漂ってくる。


 ……こういうのはすごく幸せなことなのではないかと、ようやく最近圭人は思えるようになったのだった。




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