相克15

 ラムスが姿を暗まし、議会は大荒れとなった。そして案の定、ファストゥルフは「我の判断である」と宣言し、避難の的となっていた。


「いかがなさるつもりかファストゥルフ王。貴殿は、私心にて国の行く末を決めかねない決断をした。それも斯様な時期に……いったいどのような責を取るおつもりなのか。 両殿下が消えた後、王位は誰に継がせる気なのか。お聞かせ願いたいですな」


 ファストゥルフを責める議官の口元は緩んでいた。ラムスを傀儡にするより、余程楽に国を得られそうなのである。喜ばぬはずがない。


「王位など、その時代に合った相応しい人間がなればよかろう。優れた者が上に立つが道理故な」


 ファストゥルフは明らかに辟易していた。議官達の非難は今に始まったことではないが、クルセイセスの来訪とレーセンの死。そしてラムスの出奔とが重なり心労が困憊している様子である。蚊の一刺しすら煩わしく感じているのだろうが、それが議官の失言を招いた。


「なるほど。で、あれば、今のローマニアは道理から外れているわけでありますな」


 抜き身の言葉であった。

 ファストゥルフに反する者でさえ、その過ぎた言葉に騒めいた。王に向かって無能と吐いたのである。曲がりなりにも臣下が発してよい言ではない。

 ファストゥルフと一部の議官達との間には確執があり対立はしていたが、それはあくまで国政に限った事と表向きにはなっていた。それをこのように、堂々と王そのものに反意を示したとあれば、処断されても仕方のない事である。だが。


「そう思うのであれば、それもよかろう」


 弱腰とも取れる発言に議会は更に騒めいた。無礼を口にした人間を咎めず、剰えそれを良しとしたのだ。それが隙となり、ファストゥルフへの追求は、更に激しさを増す。


「陛下が己が無力を認めるのですか?」


「なんともはや……度し難い」


「無責任にも程がありましょう。何を考えておられるのか。嘆かわしい」



 堰を切ったように議官達から糾弾の声が響く。家畜が餌を貪るかの如きその様は醜悪を通り越し邪悪であった。もしファストゥルフが王としてではなく、一個の男としてこの議会の場に立っていたのならば、唾を吐き捨て、下劣な匹夫供に拳を振り上げていただろう。


「批判は受ける。だが、今は決闘者の選出が先。弁えよ」


 批判の声は絶えない。だが、それでもファストゥルフは冷静であった。騒音を前に眉一つ動かさず、議官達を見据え不動。それが諦観でない事は彼の眼を見れば分かる。強く、鉄の覚悟を持った眼光……彼の胸の内は、果たして……






 時を遡り、ローマニアを出たラムスは馬に跨り荒地を馳けていたが、パラティノとは違う方角に進んでいた。馬の鼻先が指しているのは、遥かにそびえるヴァイヴォル火山である。

 なぜラムスがあらぬ方へと向かっているのか定かではない。ただ、彼の顔に映るのは血迷いではなく、純然たる我の意思であった。それはかつて見せた事のない強固さをもった、勇ましささえ感じる面構えである。ひたすらに馬を走らせ火山を目指すのは何かしら意味のある事なのであろう。


 そうしてラムスはただ火山に向かって馬を走らせ、ヴァイヴォルを望める高台でようやく鞍から降りた。膜のように明朝の微光が空を覆う時間……薄く光る星々が、太陽の威光を讃えるように煌めいている。ラムスはそれを仰ぎ、深く息を吸った。唇が乾いた空気に触れ、僅かに震えている。


 ラムスは一度この小山に登った事がある。

 それは彼がサンジェロスに呼ばれ間も無い時分である。口数が今よりも少なく、周りに怯えていたラムスはレーセンに半ば無理やり馬に乗せられ並走を強いられた。ラムスが「どこまで」と聞いても、「行けば分かる」とだけしか返事はなく、不安を押し殺しながらひた走った。

 ラムスは不安と不満が隠せていなかった。突如できた兄といわれる人間が、有無を言わせず自らに命じ、夜深くに何処ぞへと連れて行こうとしているのだ。まったく理不尽である。反面、レーセンはやはり微笑を浮かべていたが、それは彼がいつも見せる不敵な嘲笑ではなかった。どこか温かみのある、柔らかい表情であった。彼がその時何を考えていたかはもはや知る事ができない。だが、彼がなぜラムスを連れ出したのかは明白であった。


 二人は馬を走らせ、今、ラムスが立っている場所に立ち、今、ラムスが見ている光景を見ていた。

 薄まっていく夜。藍色の空に、彼方まで届く長い雲が明朝の朱を写す。ヴァイヴォル火山の方角からは輝く太陽が昇り始めた。徐々に強くなる光。それは二人を、ローマニアを、この世界のすべてを照らし、すべてを包むのであった!


「ラムス。何を悩む。何を憂う。我らは光の中にいる。お前も俺も光を浴びて生きている。胸を張れ弟よ。お前は、お前として生きておれば良いのだ」


 太陽を背にしたレーセンの言葉が、ラムスに響いた。








 あの時レーセンと見た来光は、今、ラムスが見ているものと同じであった。射光が照らす、乾いたローマニアの大地は一面が白銀のように輝き、風が運ぶ土埃が星々のように煌めいて、遥かを臨めば、地平線の彼方まで澄み渡っている。

 何一つ変わっていなかった。

 何一つ変わらず美しかった。

 ラムスがあの日見た風景は、変わる事なく祝福されていた!


 あの日傍にいたレーセンはもういない。しかし、ラムスからは絶望の影が失せていた。纏っていた苦悩と悲痛が霧散していた。満ち溢る活力と気迫が、それに変わっていた。

 ラムスは叫んだ。誰に向けるわけでもない咆哮は、産声のように自身の存在を示すようである。青白かった肌には血が巡り、全身が高揚しているようだった。迸る生気が魂の躍動を感じさせた。

 ラムスは文字通り生まれ変わったのである。臆病風に吹かれていた陰鬱なる王子はもういない。ここにいるのは、勇猛果敢なるローマニアの王子。ラムスであった。


 !


 ラムスが吠え終わると、爆音が響いた。見ればヴァイヴォルから白煙が天に向かって昇っている。まるでラムスの叫びに呼応するかのように、ヴァイヴォル火山が再び熱きマグマと炎を滾らせたのだ。


 !


 再び爆音。それと同時に。


「よくぞ吠えた!」


 どこからともなく、激を飛ばす声が届いたように思えた。

 その声は尊く、気高く、不敵で、自信に満ち溢れた、力強いものであった。その声の主は……


「兄上……」


 ラムスはそう呟き、ヴァイヴォルに向かった。


「兄上! 私は……私は自らの役目を果たします! どうかご照覧ください!」


 一人の男が決意した。ヴァイヴォルは静かに地響きを鳴らしそれを見た。陽は既に、高く、高く、更に高く天に上っている。馬の嗎がローマニアに向かって響いた。蹄が大地を踏みしめる音が遠のいていく。誰もいない小山には、しばらく何者かの気配だけが残っていたが、それもいつしか消えていった。







 議会では相変わらずファストゥルフへの非難が続いていた。もはや体制に反する者以外もファストゥルフを糾弾し、弾劾裁判のようになっている。


「潔く退くがよろしい!」


 無礼な言葉が当たり前のように吐き出され、それを誰も咎めようともしない。このままではファストゥルフは退位に追い込まれるだろう。議官達は、ローマニアの新たな歴史を捲ったかのようにほくそ笑んでいる。悍ましい虫達が、蠢き、醜い光を発する未来を望んでいるのである。愚劣とはまさにこの事であろう。

 その時であった。議会場の扉が、勢いよく開かれた。


「父上! 不肖の息子ラムス! ただいま戻りました!」


 場が静まり、議会に参加している人間が一様にラムスを見据えた。そうして聞こえる感嘆の息。青白かったラムスの顔は血潮が滾り、赤く紅潮しており、勇ましく、雄々しく、王子の貫禄を有しているのだった。

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