相克18

 パルセイア方の男はクルサスパと云う。

 彼は自国で多くの無法者を屠ってきた英雄であり、その功績が認められパルセイア筆頭戦士の座に立っていた。そんな彼はには年老いた母がいて、死ぬまでクルサスパを哀れんでいた。


「普通の生活が一番幸せだよ」


 どれほど悪を打倒しても、どれだけ功を成しても。母はそうクルサスパに言い聞かせた。


「結局は人殺しじゃかいか」


 クルサスパはその一言を毎日のように聞いていたが、「国の為に戦ってなぜ悪いか」と一蹴していた。彼は母の死後もその意思を曲げなかった。しかし、戦う度、敵を打ち倒す度に、老いた母の声が甦るのである。

 クルサスパは、この決闘に出る条件として、ある事をクルセイセスに約束させた。それは……





「ローマニアの王子よ! 死に様を晒せ!」


 鍔迫り合い。クルサスパは吼えた。肢体は炎に炙られ赤熱している。その闘気。その迫力。一眼見て、一騎当千。国士無双の強者であると分かる。だが、ラムスは怯まなかった。

 鍔迫り合いにて押し負けるそうになったラムスは、剣を滑らせ横に半歩跳躍し脱出に成功。呼吸を整え、両者は睨み合う。


「やるではないか。兄の残りカスとばかり思っていたがそうでもないらしい」


 クルサスパは口角を上げた。瞬間。必殺の間合いとなった。クルサスパが連撃を浴びせ、ラムスがそれを凌ぐ。

 距離を無にしたのはクルサスパの超人的な脚力であった。四足獣のような強靭かつしなやかな脚の筋肉と、それを支える背が人ならざる加速度を生み出すのだ。そしてその背肉は斬撃にも力を加える。刃が舞えば舞う程、背はバネとなりクルサスパの剣速は増していく。ラムスは猛攻に対し凌ぐ事しかできなかった。このままではいつか……


「よく耐えるが、いつまでもつかな」


 遊覧しているクルセイセスがファストゥルフを嘲笑する。だが、ファストゥルフは返事もせず。ラムスを見ていた。必死に戦う、息子の姿を!


 そんな中に、一筋の煌めきが走った。


「ラムス様!」


 その一声は高く響いた。その煌めきは女であった。その髪は金糸のように輝いていた。その瞳は翡翠のように澄んでいた。その姿は誰よりも美しかった。その女は、某国ヘイレンの王女。ファティスであった!





 ラムスが馬車に乗って暫くの事。サンジェロスの城門では、見送りに出ていた者が戻っていく中、ファティスは一人残り続けた。本来ならば、ラムスと共に決闘場へと赴き、彼の勇姿を目に焼き付けたかっただろうが、ローマニアは、表上ではファティスの身を知らぬ事となっている。彼女がラムスを追う事は許されていなかった。

 ファティスは天空と乾いた風に祈るしかなかった。どうかラムスが無事であるようにと、目に見えぬ神に懇願する他を知らなかった。だが、それで本当にいいのだろうか。それは、彼女のこれまでを否定する行為ではないか。ヘイレンが陥落してから今日まで続いた戦いを、こんな所でやめていいのだろうか。自分の為に命を賭けて戦う男の側にいなくていいのだろうか。


「いいわけがなかろう!」


 一陣の風と共に猛き声がファティスを撃ち抜いた。そう。いいわけがないのだ。彼女の生は、戦いは、まだ終わっていないのだから!


「馬を借ります!」


「え……?」


 ファティスは城門近くに繋がれている馬に飛び乗り走らせた。馬守りは呆気に取られていたが、すぐに我へと帰り、「お待ちください!」と、自身も鞍にまたがり追いかけようとした。しかし。


「待ちなさい」


 馬守りを止めたのはカルロであった。彼は、城の端でずっとファティスを、ラムスを想う女を見守っていたのだ。


「行かせてさしあげましょう」


「カルロ様……! しかし」


「……」


「分かりました……」


 カルロの睨みに馬守りは屈した。遠ざかる蹄の音。カルロはそれを聞き届けると、天を見上げ呟いた。


「聞こえましたぞ。レーセン様」










 ラムスは煌めきの声を確かに聞いた。疲弊し、傷付いた身体が満ちていく。流した血が太陽が如く赤くなっていくように見える。力が宿った。クルサスパは異変に気付いたのか更に激しく猛攻を続ける。だが、ラムスはそれを難なく捌いた。まるで羽のように軽やかである。クルサスパに焦りの表情が見えた。僅かであるが、隙ができた。


「攻めに転じてください!

「攻めに転じよ!」



 ラムスはクルサスパの斬撃を見切り、雄叫びを上げ刃を振り下ろした。鮮血が舞う。乾いた舞台に血溜まりができていく。倒れるは異国の戦士。立ちたるは……立ちたるは!


「ラムス!」


 ファストゥルフが吼えた! 歓声が鳴り響いた! ローマニアの国旗が空に舞った! ラムスが、見事決闘に勝利したのだ!




「……なかなか、よい見世物であった」


 クルセイセスはそう言って笑い声を上げた後、近くに立つ部下に一声添え、注がれた酒を飲み干した。









 勝敗が決した舞台の上は熱が引いていた。

 息を切らせるラムス。彼の脚は、もはや立っているのも限界と言った様子である。

 その横に倒れるクルサスパには、僅かに息があった。


「殺せ……」


 クルサスパがラムスに言った。敗者が持つ唯一の権利。それは、名誉ある死である。しかし。


「……すまない。もう、力を使い果たした」


 ラムスの返事に、クルサスパは怒りを露わにして睨みつけた。何か言いたそうであったが、喋る事もできなさそうである。無言で目を合わせる二人。その間に、「ご安心を」と割って入ってくる者がいた。先にクルセイセスから命を受けたパルセイアの兵である。


「……何をするつもりだ」


「敗者に安らぎを」


 パルセイア兵の手には短刀が握られていた。それが何を意味すのかは明瞭だろう。ラムスはそれを見て、クルセイセスの隣に座るファストゥルフに顔を向けた。


「父上! 此度の勝利でパルセイアから貰い受ける品、私に決めさせてはいただけませんでしょうか!」


「何が欲しい!」


「此奴の命です!」


 ラムスはクルサスパに剣の切っ先を向けそう叫んだ。それを聞いたファストゥルフが隣に目をやると、クルセイセスは小さく頷いた。


「好きにせよ!」


「ありがたき幸せ!」


 その会話を聞いたクルサスパは激しくもがいていたが、何もできず吐血するばかりであった。


「彼に手当てを!」


 ラムスがそう叫ぶと、クルサスパはどこぞへと担がれていった。

 クルサスパは、その後なんとか一命を取り止めたが、二度と戦えない身体となった。だが、それで良かったのかもしれない。彼が決闘に出る為にクルセイセスに約束させた条件。それは、戦いを止める許しを得る事であったのだから。彼はローマニアに移り、木彫り職人として余生を終えた。






 こうして一件は落着した。だが、決闘の終わりに見せたクルセイセスの瞳は、黒い暴君の闇が宿っており、「ただでは済まさぬ」と、語っているようであった。

 この後しばらくして、ローマニアとパルセイアは長い争いを始める事となる。此度の決闘は、新たなる時代のほんの序章に過ぎなかったのだ。

 だが、この戦いに勝ったのはローマニアであり、ラムスであった。いかなる歴史書を紐解いてみても、その事実を変えることはできない。そして、いかなる歴史書にも、こう記されている。『勇敢なるローマニアの王子はパルセイアの戦士を打倒し、次代の王となった」と……

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