憂国の姫君2

 翌日。朝食を終えたキイクロープスの元に一人の使者がやって来た。パルセイアからの遣いである。


「キイクロープス殿。王が宛てた玉章はお読みになられましたかな?」


 一応の言葉遣いこそわきまえていたが、世辞も枕もない無作法であった。キイクロープスの名にあえて王と付けず、直後にクルセイセスを王と呼ぶ不届き。君主に無礼を働く狼藉者を見て城の人間達はにわかに殺気立ったが、当のキイクロープスは荘厳たる威風を携え、「読んだ」と言っただけであった。


「で、あれば。返事を賜りたい」


「陽はまだ一度しか落ちておらぬが?」


 声色一つ変えず淡々と答えるキイクロープスに腹立たしさを覚えたのか、パルセイアからの使者は眉間に皺を寄せ拳を強く握った。だが、あくまで冷静を装い、一国の王を前にして不遜なる言動を取り続ける。


「キイクロープス様。クルセイセス様は寛大なお方にございます。ですが、その慈愛も無限ではない。そちらは今日まで決断を保留してきた身なれば、此度こそ即断されますのが礼儀かと……」


「それはクルセイセスの言葉か?」


「いえ。三日、ヘイレンに赴き、その決断を聞き伝えよ。というのが、私への命にございます。先の進言はそちらの国を想っての事。私も王と同じく、無駄な血が流れるのを良しとはしません故」


 その言葉を聞いた瞬間。長く無表情だったキイクロープスの顔色がみるみると変わっていき、鬼の形相となり王笏の先端を床に叩きつけて立ち上がった。稲妻のような音が響き渡った後地響きのような余韻が残り、居合わせた人間達は身を震わせた。


「つまり、貴公はクルセイセスからの命ではなく、差し出がましくも己が短慮にて我と我が国の是非を問うたと、そういうわけか?」


「いや……私は……」


 口をまごつかせる使者に対し、キイクロープスは「愚か者!」と一喝した。使者からは不遜だった態度が消え失せ、顔に冷や汗が流れ身体は強張っている。先までの威勢はもはやない。虎と子鹿が対峙したように、その力関係は瞭然だった。


「彼の暴君が自らここに来てそう述べるならばそれも良し。いかな戯言とはいえ君主の言葉。我に投げ掛けるに値するであろう。だが、貴様が如き、一介の使いっ走り風情が知ったような口を利くのは我慢できん! エルディーン! 此奴の首を跳ね上げクルセイセスにつき返せ!」


「御意」という返事する頃には、エルディーンは使者の首を両断していた。謁見の間には血しぶき上がり、大小のどよめきが起こった。その中で冷静だった者は三名。斬首を命じ、再び玉座に腰掛けたキイクロープスと、死刑を実行したエルディーン。そして、老大臣のアンセイスである。昨夜会議に参加した三名がそうだったのは偶然ではない。どれもこれもが、すべて予定通りに執り行われた茶番に過ぎなかった。






「我が国の果実は、嵐に飛ばされることはない」


 それが、書簡が届いた夜に決断を下した王の言葉であった。キイクロープスは戦う道を選んだのだ。

 さすがにその翌日にとは考えていなかったようだが、パルセイアから使者が来るのは予想できており、その使者の首を跳ねるよう提案したのはエルディーンだった。「不退転は敵を竦ませ、兵を滾らせる」というのが彼の言い分で、アンセイスは反対をしたが「戦うのであれば」というキイクロープスの一声により後に退がったのだった。


「陛下の言葉ならば」


 忠臣であり、誰よりも長く国と王に仕えてきたアンセイスはキイクロープスの言葉に従った。だがそれは決して意見できなかったからではなく、アンセイス自身も胸の内で進むべきか退くべきか、どちらが最善か答えを出しかねていたからである。だからこそ王に決断を迫った。王と共に生き、共に死ぬ道を選んだのだ。


 戦うと決まればアンセイスはすぐにマーネンに住まう民の避難経路を想定しヘイレンへ移民させる計画書を作成した。また、彼は万が一の場合に備えローマニアにいる元老院に属する知人に文を書いて秘密裏に送っていた。それは一見個人的な内情を綴ったものであったが、分かる人間が読めば構築された暗号に気付くものとなっており、真に記されたるは、「国滅ぶ事あれば、汝の力及ぶ処で民を受け入れてくれるよう願う」というものであった。

 一方エルディーンは指揮系統を徹底するよう部下達に伝え、仮眠を取った後、各部隊長を交えて策を練った。平和続きのヘイレンで彼の立場はやや軽んじられていた為か、いつにもなく覇気に満ち、若干の不謹慎さが感じられた。






 さて。事はもはや公となり城内は混乱していた。勇む者、怯える者と様々であったが等しく冷静さを欠いており、平常平安は風に吹かれ、多少の違いこそあったが皆が皆、狂気に陥っているのであった。

 その病への感染はファティスも例外ではなかった。パルセイアの使者の首が飛び、幾らか陽が動いた頃。本を読んでいたファティスが自室から出ると、城中が異様な喧騒に包まれているのに気が付いた。


「何ですかこの騒ぎは」


 一人の衛兵を捕まえファティスは問うた。気の弱そうな若い兵は、自分とそう歳が変わらぬ姫君がまだ何も知らないのを悟り無用な言葉は控えようとしたのだが、ファティスの方も相手が秘匿しようとするのを察し、その上で強硬に詰め寄ったものだからついに衛兵は口を割ってしまい、事態を知ったファティスは母親の元へと駆けたのであった。






「お母様!」


 庭園で花の世話をしていたアルトノは息を切らせてやってきた娘の姿を見て、彼女がおおよその事情を知った事を理解したようだった。


「……何ですかはしたない。淑女がむやみに汗をかくものではありませんよ」


 しかしそれでも尚はぐらかそうとするのは偏にファティスへの愛であった。娘の時は未だ春。本来ならばこの先我が子は、むせ返るような精を発する夏を経て、実り色艶やかに香る秋を迎え、新たな命を見守る冬に至るはずなのである。人生はまだまだ途上。幸を知るも不幸を知るも、いずれにしても時期尚早。アルトノは、時間をかけて娘の成長を見守るつもりでいたのだった。

 そんな最中に起きたのが此度の戦争である。避けられぬ現実とはいえ、それを突き付けるのは母の胸には耐え難かった。できるのであればファティスをどこぞに逃がし、そのまま苦を知らずに生きて欲しいと思うのであるが、それが叶わぬ希望であるのは彼女が一番分かっていた。

 昨夜遅くキイクロープスに起こされ話を聞いたアルトノは委細を承知したのだが、本音を言えばパルセイアと争うのは反対であった。しかし、戦わねばならぬ事は承知していたし、いざとなれば自らが奴隷のように扱われるのも覚悟していた。だが娘が、ファティスがその責務を負うのはどうしても避けたいと願っていた。そんな自身の心中を「王妃として相応しくない」と自嘲していたのが先までの彼女である。


「お母様。話は聞きました。私にできる事はないでしょうか。私、何でも致します。例えこの身をパルセイアに捧げる事になろうとも、国と民を想えば!」


「……もはや、そんな時期は過ぎました。あなた一人で解決するのであれば、王はそうしております」


「ですが……!」


「これ以上の言葉は無用。貴女は、王の決断に是非を問い、命を賭して戦う兵を侮辱するのですか?」


「……」


「……分かったのならば退がりなさい。貴女の役目はいずれ来ます。それまでその身体を壊さぬようしておくのですよ?」


「……はい。分かりました」


 ファティスは去り、アルトノは倒れるようにして椅子に腰を掛けた。気丈な母の顔色は悪く、明らかに疲弊しているのが見て取れた。そして小さく口を開き、また「王妃として相応しくない」と呟いたのであった。






 一晩が経った。マーネンの村からは既に住民が離れ、砦と塹壕が速やかに建築されていった。マーネンは元々国境近くにある村だった為、過去に建築されていた迎撃用の設備がそのまま残っており、それが流用され思いの外簡単に準備は整ったのであった。

 ヘイレンに駐在していた守護騎士団を始めとして、各領土に駐屯していた兵団がこぞって小さな町に押し寄せ、緑と潮風に煌めいていた長閑な田舎町が鉄と火薬の臭いに染まっていった。戦争が始まれば、白い大地は血に染まり、青空には黒煙が立ち込め、美しき海は、死体を流す役割を押し付けられる……その惨状を想像して悲観しない者は少なかった。彼らは皆、泰平たるヘイレンを愛していたのであった。戦って勝てるのか。勝ったところで、果たして自分は生きているのか。生きていたとして、豊かな、実りある祖国は残っているのか。

 兵達の不安は拭われぬまま、世界は三度目の落陽を迎えた。消えゆく太陽を押し留められる人間は存在しない。夜の闇は、いつだって誰にでもやってくるのである。

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