相克8

「妙案?」


 ファストゥルフは解せぬといった様子でクルセイセスの言葉を繰り返した。クルセイセスは「左様」と頷き、さらに述べる。


「このままでは埒があかぬ。いる。いないの水掛論だ。そこで、王として、国を治める者同士の約定を結びたいのだが、どうかな」


「……話を聞こう」


 身を取り直して、二人の王は再び論を交わす体を成した。


「先までの貴公の言。実のところ、あれが誠であろうが偽りで有ろうがどうでもよい。友国への義理を咎める程、我は狭量ではない故な」


「前置きはよい。実を申されよ」


 クルセイセスは悠然として、ファストゥルフが急かすのを嘲弄するかのように眺めた。ファストゥルフは、暴君に呑まれつつある事に気が付いていない。

 

「決闘だ。ファストゥルフ王」


 その声は強く響いた。


「なにを……」


 あまりに突飛な事でファストゥルフは言葉を失った。国主間の会談にて、そのような茶番が案として上がるなど考えられぬからである。その愚直かつ、単細胞的発言に呆れ返った顔を作るファストゥルフであったが、しかしクルセイセスの笑みは崩れず、綽々しゃくしゃくとした態度を構え言葉を続けるのであった。


「決闘だよファストゥルフ王。両国の猛者一人同士を競わせ、その勝者を有する方が勝ち。買った方が負けた方の言い分を聞く。こちらの要求はヘイレンの遺児、ファティス王女……いや、そう言われている茶屋の娘を頂きたい」


「何を馬鹿な……」


「断るかねファストゥルフ王。これかは、パルセイアとローマニアを繋ぐ余興でもあるのだが。我は、わざわざ、近隣国となったそちの国と友好を結ぼうと参ったのであるが、それを無碍にする気かな?」


 空気が変わった。応接間はもはやクルセイセスの胃の中と言っても過言ではない。


 此度彼の王が参られしはローマニアとの交流を求むものなれば、それを拒むはいかなる所存か。


 との疑問が国内外に広まれば、ファストゥルフの意と信は失墜する事を免れぬからである。ファストゥルフは、自分だけが誹りを受けるのであれば喜んでクルセイセスの案を突っぱねるであろう。だが、事が外交に及ぶとならば話はまた違ってくる。ファストゥルフの身には、幾千、幾万もの人間の一生が、まるで枷のように縛り付けられているのである。自らが倒れるところ。それは……


「如何な? それとも、我が国ような小国に掛ける橋はないと?」


 白々しい言であった。しかし、それでも持つ意味は重い。ファストゥルフに冷たい汗が流れる。目の前にいる暴君に対し、どのような返答を包むべきか、彼は苦悶していた。


 しかしそれも、一声により消し飛んだ。


「面白い!」


 レーセンである。勢いよく立ち上がった彼の顔は紅潮していた。戦慄く腕は高揚を表していた。声の覇気は、己が力を誇示せんかの如く猛っていた。


「その決闘! 受けようではないか!」


「馬鹿! 何を申すか!」


 ファストゥルフが声を荒げだ。会談の場で実子を叱責するなど醜態もいいところである。ところが、それを見たクルセイセスの顔には卑下も油断も見くびりもなかった。あるのはただ、剃刀のような鋭い眼光……


「承諾。と、いう事でよろしいかなファストゥルフ王」


「何を言うかクルセイセス王よ! 此度は王の語らい! このうつけの妄言などあってないようなもの! それを……!」


「レーセン殿はローマニア王となるだろう。その男が、決闘を受ける。と言ったのだ。これを妄言とするならば、それはローマニアの信義と威信に関わる事ぞ。ファストゥルフ王!」


 歯軋りをならすファストゥルフ。この会談は彼にとって失敗であった。クルセイセスに何とかファティスを諦めさせ、かつ、外交的に優位に立てるよう運ぶつもりであったが、それが不可能となった。

 若きレーセンには、王の、国の儀とは如何なるものかを示すつ腹積もりだった。一抹の不安はあったろうが、さすがに国事に際しては愚を起こさぬだろうとたかを括っていたに違いなかった。それが、結果として致命的な選択となったてしまったとファストゥルフの中では思っていただろう。だが今更悔いたところでもう遅い。吐いた唾は戻らず、賽は投げられてしまったのである。ファストゥルフは、クルセイセスの案を飲まざるを得なかった。


「では、日時と場所と、その他の仔細は明日にでも決めるとしようではないか。語らいも良いが、そろそろ寝所の方を見たい。無論、もてなしていただけるのだろう?」


 クルセイセスはもはや話をする気をなくしていた。というより、必要性を感じていないように見える。彼にとって、決闘の約束さえ取り付ける事ができれば他は瑣末な事である。それは、勝敗さえもその範疇なのであった。

 勝てばファティスが、負けても、ローマニア側が知らぬといった茶屋の娘に相当する品なりなんなりを渡せばいいだけである。今回の件で仮にでも国交が築けたのであれば、決闘で負けたとしても、ファティスを手に入れる機はいくらでもあるとクルセイセスは考えているのだ。


「よかろう……長旅でお疲れであろう。臣下共々、よく休まれるが良い」


 話す気になれないのはファストゥルフも同じであった。決めねばならぬ事、考えねばならぬ事、話さねばならぬ事。この会談で、山のように仕事が増えてしまった。そして何より……









「貴様はどういうつもりだ!」


 カルロにクルセイセスの案内を任せ、ファストゥルフはレーセンに詰め寄った。その気迫は、今にも実の息子を殴り殺さんとするようである。


「落ち着かれよファストゥルフ王。あの場は、あれが最善と判断したのです」


「なんだと?」


「考えても見てください。あの場で、あれ以上長引けば事は並行線。そうなると会談の日数が増え、クルセイセスに命じられたパルセイアの兵がファティスを発見する可能が高い。が、こちらの真偽がどうでもいい。といった先にあちらの案を飲めば、もしファティスの件が露見しても、それを盾にこちらの優位を示す事ができましょう」


 レーセンの弁には一応の筋道が通っていた。だが、それだけでは不足である。


「なるほど。貴様の言は分かった。だが、その決闘に負けたらどうする。それに誰が戦う」


「負けたら、それは戦争でしょう。一国の王が賭けの品として人命を持ち出したのです。それを理由に戦争なりなんなりしたら良いでしょう」


 軽率な発言ではあった。

 しかし、堂々たるレーセンの態度には舌を巻いたような顔を向ける。


「……よかろう。貴様がそこまで考えての事ならば、もはや何も言うまい」


 この時、ファストゥルフの眼差しはレーセンの頭上を向いていた。レーセンが、ローマニアの王冠を乗せる姿を、あるいは垣間見ていたのかもしれない。


「では、しばし休んで、決闘に出す者を選ばねばな……誰がいいか……」


「ならば問題ありません。すでに決まっています」


「ほぉ」と、感嘆の溜息を吐いたファストゥルフが「それは誰だ」と訪ねた。すると、レーセンは揚々とこう答えたのであった。


「私です!」


たわけか貴様!」


 親子の声が、応接間に響き渡った。



 一方。己が知らぬところで賭け品となっているファティスの部屋は静寂であった。出された食事にも手を付けず、ただ座っている。

 窓のカーテンは閉められていた。パルセイアの人間に見つからぬよう、決して開けぬようにとファストゥルフに言われているのだ。

 その様は、まるで籠の中の鳥のようであり、その籠の中で、ファティスは自虐的に呟くのであった。


「生きるというのは、かくも難儀な……」

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