相克9

 決闘の取り決めは滞りなく進んでいった。

 期日は百日後の昼。選出者は、レーセンと、パルセイア側はクルセイセスの側近の一人を出す事で合意した。


「さすがはローマニアの王子。勇壮活発であるな」


 クルセイセスは皮肉混じりにそう言った。


 決闘は真剣にて執り行う。立会人が勝負ありと判断した場合その場で決闘は終わりとなるが、通常であればだいたいが、どちらかの命をもってして幕が下りる。それは、止める間も無く致命傷が与えられるか、もしくは、戦闘不能となった側が自刃するからである。レーセンも当然、自ら死す事を厭わぬ覚悟であろう。無責任といえば無責任だが、彼は、ファストゥルフにこう述べていた。


「私が死んでもラムスがおります。あれは勇敢さこそないものの大器にて、私より王位に相応しいでしょう。本人は嫌がるでしょうが、もしもの時は、奴にローマニアをお預け下さい」


 レーセンは謙遜をしない。過大な評価など絶対に許せない人間である。そのレーセンがそうまで言う弟ラムスは、確かに名君の資質を持ち合わせているのだろう。だが。


「あれは戦いを知らぬ。ローマニアは、戦えぬ男を王として認められぬ。勝て。レーセン。貴様が、次のローマニア王だ」


 決闘者として自らを推したレーセンを咎め、叱責したが、ファストゥルフはそれを認めた。なぜなら、彼が言うように、ローマニアは死を恐れぬ強者に代々戴冠してきたからである。

 ローマニアの立地は決して恵まれたものではない。にも関わらず今日まで繁栄してきたのは、生きる為に戦い、勝ち取ってきたからである。それは争いと略奪の歴史といってもいい。パルセイアと変わりない、征服の果ての繁栄である。だが、それを悪だと言えるだろうか。生きる為の行いを、罪と言えるだろうか。歴史の中で、ファティスのような人間は必ず産まれる。それはこの世の不条理として認めなければならない。だが弱者ばかりが生きているわけではないのだ。強者もまた生き、そして欲する。生きる糧を、より強い生の喜びを。それは弱者が安堵を望むのと同じではないのか。であれば、果たして、それを悪と断言していいのだろうか。


「言われなくとも!」


 レーセンは力強くそう答えた。少なくとも、彼の戦う理由は正当であり、それを悪と断じる事はできぬだろう。もし彼に咎があるとすれば、それは……






「そのような事を勝手に決められたら困ります!」


 クルセイセスがローマニアを去った後。事の顛末を聞いたファティスは困惑混じりの怒りを露わにした。仕方なしとはいえ、肝心のファティスに一言も通さず決めてしまったのである。彼女が声を荒げるのも、致し方ないだろう。


「何を怒るか。俺が勝てばそれで万事解決。仮に負けても、第二、第三の矢を……」


「そういった問題ではございません!」


 レーセンの話を遮り、ファティスは金切声を上げ続ける。


「貴方は私という人間一人に対し、国の行く末を決め兼ねない選択をしたんです! それが分からぬはずはないでしょう!」


「馬鹿め。パルセイアとの交友など、ハナから上手くいくわけないではないか。友好国であるヘイレンを落とした国と無闇に親睦を深めてみろ。それこそ対外に対し申し開きができんではないか。此度の件はローマニアにも機なのだ。なにせ、大手を振ってパルセイアと対立できるのだからな」


「それでも……それでも、もっと穏便に済ます手段が……」


「ない。不可能だ」


 レーセンははっきりと和平が結ばれぬと断言した。ファティスが息を呑み見たレーセンの顔は、彼女が見た事のない、冷淡なものであった。


「……私は、私のせいで人が死ぬのは……」


「戯けか貴様。事は既に、貴様一人の問題ではない」


 ファティスははたとした。なぜなら、レーセンが言ったその言葉は、以前アルトノが述べたものと同じだったのだから。


「貴様一人を渡して解決する問題でもない。それに、せっかく拾った命だ。くだらぬ自己犠牲だの負い目だのは考えるな。王家の血が流れている以上、貴様の為に血が流れるのは必然。なれば、その血に対し、貴様は気高さと誇りをもって応えるべきだ」


「……」


 圧倒というべきか、感動というべきか、はたまた、感謝、あるいは、救済というべきであろうか。レーセンの言葉はファティスの心に打たれていた楔を断ち切ったであろう。産まれの宿命と、生きねばならぬという自我。その自我も、半ば呪いのように作用していた。死んだ両親の為にという、極めて受動的な、後ろ向きな覚悟であった。

 だが、目の前の男はそれを否定し、暗闇が広がる道に光を照らした。それは彼女の生を肯定する、灼熱の太陽が如き輝きを放っていた。


「……」


 翡翠から雫が零れる。しかし、この雫は今日までファティスが流してきたものとは違った。朝露のように澄んだ、始まりを予期させる清い落涙であった。


「何を泣くファティスよ。貴様の生は、雲一つなく晴れ渡っているではないか!」


 ファティスはレーセンの胸に縋り、子供の如く声を上げた。広い客間に、一つの花が咲いた。その花を、扉の隙間から見ている者がいた。彼はじっとそれを眺めた後、何事もなかったかのようにその場を去っていった。彼はファティスを想っていたが、自らの弱さを理由に彼女を諦め、同じくファティスを想う、実の兄と結ばれるのを良しとしたのだろう。


「仕方ない事さ……」


 ラムスは、回廊でそう呟きそっと瞳を拭った。








 その晩。ファティスとレーセンは川縁を共に歩いた。星が輝き、ゆるりとした風が吹く夜であった。


「レーセン様は、いつも遊んでばかりいらっしゃる。たまには真面目にお仕事をなさったらいいのに」


「馬鹿を言え。俺がそんな事をしたら、直す作業だけで人手が倍に増える」


「胸を張って言う事ではございません」


 ファティスはクスリと笑いレーセンを見た。月明かりの、薄い光を帯びた彼の姿をどのように捉えたかは分からない。ただ、ファティスの胸は、祝いを報せる鐘のように、幸福の音を奏でていた。


「ともあれ、パルセイアの件が片付けば、俺も忙しくなりそうだ。なにせ……」


「なにせ?」


「いや、いい。ところで、ローマニアは気に入ったか?」


「……はい! 私、この国が大好きです!」


「そうか」


 素っ気ないなふりをしながらも、レーセンはファティスの答に満足そうであった。それから二人は黙ってしまったが、川のせせらぎが二人の耳を愛撫し、心地よい沈黙を愉しんでいた。だが、いつの世にも無遠慮な人間がいるものである。


「レーセン様ではないですか! 今、川原で酒を飲んでいるんですがどうですか! 」


 声のする方を見れば、数人が集まって火を焚いているのが分かる。今宵は名月であった。月を見ながら、杯を交わしているのだろう。


「分かった!」


 そう言ってレーセンはファティスの顔を見た。ファティスはゆっくりと首を横に振り、「お待ちしています」と嬉しそうに言うのであった。


「すまんな。すぐ戻る」


「お気になさらず。今宵は月が美しゅうございます。暇は感じません故、どうかごゆるりと」


「挨拶をするだけだ」と、レーセンは笑い、一人酒宴の輪へと向かった。それを、同じく見送るファティス。彼女はもはや、レーセンの気ままさを受け入れていた。時が違えば、何の憂慮もなく二人は結ばれていたかもしれない。しかし、時代は、世界は、常に人に不条理という不幸をもたらすのである。


「やぁ」


 ファティスを呼ぶ乱暴な声。月下の元に立つその人物は、艶のある黒髪と、日に焼けた褐色の肌。逞しい筋肉は薄手の服から盛り上がっており、まるで彫刻のような……

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