相克7
クルセイセスが市街に入るとローマニアは潜めき立った。少数とはいえ、武装した他国の兵達が闊歩しているのである。そこに住まう者としてみれば、恐怖と不安以外にないだろう。
また、案内をしているローマニア兵も気が気でないようであった。なにせ相手は一国の統治者である。粗相はそのまま国の恥となるだろう。ましてや相手は暴君クルセイセスである。先導に選出された兵達は、皆神経をすり減らしているのであった。
さて、クルセイセスが城へと案内されている頃、ファティスは客間に佇んでいた。「何があってもお守りする故、どうかご辛抱ください」とはファストゥルフの弁である。部屋の前には手練れの兵が置かれていた。これは守護の意味もあったが、ファティスが外に出ぬ為のものでもあった。早い話、軟禁されているのである。平素のファティスであれば突飛な行いは慎み、静観にて事のあらましを追うであろう。が、此度の件は、己が仇が関わる問題である。その心中、穏やかでいられるはずがない。理性が働いている内は彼女も下手な真似はしないだろうが、何かが切っ掛けとなり
その客間から離れた、サンジェロスにある応接間の一室に、礼装を纏ったファストゥルフとレーセンが卓を隔てた空椅子を眺めていた。
「何故我らが座して迎えねばならぬのです。クルセイセスが如き痴れ者、幾らでも待たせておけば良いではないですか」
「遠路はるばるやってきたのだ。それに礼するも、王の器ぞ」
ファストゥルフは表情を変えず応えた。レーセンは不服そうに舌打ちをしたが、それ以上は何も言わなかった。レーセンも馬鹿ではない。当然、頭ではファストゥルフと同じ事を考えていただろう。だが、彼の心が、感情がそれを拒んでいた。それを不満の一言に留めたるは如何なる働き故であろうか。それは彼の胸襟を開かねば知り得ぬ事である。ただ一つ言えることは、彼もまた、ファティスと同じく、自らを律しているのであった。
「ファストゥルフ陛下。クルセイセス王がご到着なされました」
程なくして、カルロが沈黙の続く応接間の戸を叩きそう告げた。ファストゥルフは「うむ」と頷き、「通せ」と命じる。カルロは「かしこまりました」と述べて退がり、部屋から退出した。
「ようやく面が拝めるか」
レーセンの皮肉とも嫌味ともつかぬ言葉が通った後、再び戸が叩かれる音が響く。
「入れ」
ファストゥルフの返事の後、重々しく応接間の扉が開かれた。そこに立つのはカルロと……
「お初にお目にかかる。ファストゥルフ王」
異様な風体の男がいた。
夜が如き
「よくぞ参られたクルセイセス王」
ファストゥルフは立ち上がりクルセイセスに一応の礼を示した。両者の視線が合う。互いに笑みを浮かべているが、その重圧は凄まじく、同席しているレーセンが冷や汗をかく程であった。レーセンはクルセイセスを間近に見て、先までの侮りを捨てたようで、その表情はかつて見せた事のない、慢心を感じさせない険しさであった。
「さすが天下に名高いサンジェロス。良い造りよな」
「興味がおありなら後に案内しよう。ともあれ、腰をかけられよ」
「では、かけるとしよう。ところで……これは何者ぞ」
これ呼ばわりにレーセンは青筋を立てたが、奥歯を食いしばり忍んだ。
「レーセン。クルセイセス王に述べよ」
「……ローマニアが第一王子、レーセンにございます。この度は陛下に拝謁の栄を賜りたく、
勝手ながら我が王ファストゥルフに随した次第にて、御心がお許しなれば、席を共にしたいと存じます」
呪詛のような建前に、クルセイセスは「よい」と頷きレーセンを見た。
「ローマニアの世継ぎは獣と聞いていたが、なるほどそうでもないらしい。中々どうして、できておるではないか」
平素であれば自らが向ける不敵な笑みをレーセンは初めて他人に向けられた。彼にとってそれは屈辱であっただろう。何せ生まれついての高飛車である。傲慢こそが標としてきたレーセンにとって、見下される事は何より堪え難いものである。だが。
「……恐悦の至り」
レーセンは耐えた。声重く、邪険なれど、一応の礼節を示し筋は通した。
その胸の内には広がる反逆の炎が広がっている事だろう。クルセイセスはそれを見てほくそ笑んでいた。まるでレーセンの敵愾心を楽しんでいるようである。
「それでクルセイセス王。卓を設け、如何様なを話をするつもりかな?」
「異な事を言う。文に記したはずだが」
「異はそちらよ。いったい如何なる論拠において、ヘイレンの忘形見がこの地にいると申すのか」
「惚けまいぞファストゥルフ。両の眼の見事な翡翠と輝く金の毛髪を持つ麗人がこの地にて茶屋を営んでいるらしいではないか。曰くその女、故国を失った姫君との事。この世に二人も、斯様な女がいるとは申すまいぞ」
クルセイセスの耳には確かに「ローマニアにてヘイレンの王女が茶屋を開いている」という噂が届いていた。しかし、放言を間に受け、あまつさえたかだか小娘一人の為にわざわざ谷を二つ超えてきたとあっては王の名折れである。彼はあえて、断定的な情報しか持ち得ぬ風に振る舞い、此度の来訪はあくまで戦利品を横奪したとされるローマニアへの聴取という形にしたのであった。
「ファティス王女の実母であるアルトノ妃も、同じく翡翠の瞳と金の毛髪をしていたと記憶しているが?」
ファストゥルフもそれを察したのかシラを切ろうとしているようである。二人の王が、卓を挟んで腹を探り合う形となった。
「ふむ。しかし、そのアルトノは死んだ。我が直に死体を見た故間違いはない。我が領土となったヘイレンには、彼の女が如き者はおらなんだ。で、あれば、ヘイレンとの友好国である汝の国に落ち延びている公算が高いとみえるが?」
「憶測ならば何とでも言えよう。しかし、こちらとて国民全員の顔を知るわけでもなし。それに、そちのおかげでヘイレンからの難民も増えた。その中に似たような者が一人や二人は紛れておるかも知れぬ。それに、如何に小国なるヘイレンとはいっても、元王女が茶屋などやると思えぬな」
「なるほど……汝の言い分も尤もだ。が、そこまで言うのだ。もし汝が王女を匿い、我を謀ろうとしているとしてそれが露見した際には、如何にして落とし所を設けるつもりかな」
クルセイセスの語気が熱を帯びた。王が持つ威風が凄みを増し、ファストゥルフを脅すように深く見据える。そしてそれはファストゥルフの方も同じであった。
「随分な言いようではないかクルセイセスよ。そも事の発端は、貴公の執着の末の妄執によるものではないか。流言に踊らされ、わざわざ小娘一人を探しに来るとは、とんだ道化を演じるものだな」
二人の王の背に覇者の闘気が浮かび上がった。一触にて即発しかねぬ場面である。
睨み合い、硬直。が、それもつかぬまの事であった。クルセイセスは大きく息を吸い込み、含み笑いをしながら口角を上げ、ファストゥルフとレーセンに向かって、一つの提案を持ちかけた。
「よかろう。なれば一つ妙案がある。
クルセイセスの笑みは、まるで獲物を前にした野獣が牙を向いているようであった。
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