相克11
下手人は捕まらなかった。
一説によれば、パルセイアか、はたまた別の勢力が男を金で雇ったという話が出たが、真相は闇の中である。
彼の墓前の前では多くの人が涙を流した。中には死んだ事を受け入れられず、質の悪い冗談だと言う者もいたが、ファストゥルフが広く伝え国葬をあげた為、ローマニアの民は皆、彼の死を実感し悼んだのであった。
件の夜。共に居合わせたファティスは、自分が娼館で働いていた事をファストゥルフとラムスに包み隠さず語った。レーセンを殺した男の話をする為もあるが、何より贖罪の意識が強くあったのだろう。もっとも、その告白により罪が償えたと、彼女が思うわけもないのだが。
「全ては私の不徳によるところ。どうか、罰を……」
涙はなかった。ただ抜け殻のように冷たく、静かにそう言うファティスを前に、二人は「悼ましい」という言葉しか出せぬようであった。
レーセンの死から十日が経った。人々の悲しみは薄れるどころか増すばかりで、ローマニアの広場からは音楽の代わりに風音が鳴るようになった。首都ばかりではない。ローマニア領のあらゆる町村も、彼の死を嘆いていた。それは、彼の父親と、弟も同じであり、サンジェロス城は、まるで太陽を失ったかの如く暗く陰っていた。
「お後をどうすべきかも勿論でございますが、まずは、国務においてレーセン様の代わりを選定せねばなりません。レーセン様が取り仕切っておりました区画整備。労働環境の是正。浮浪者対策。これらの後任が定まらず、また、目下の問題は、パルセイアとの……」
「よい。分かっておる」
レーセンの死後、初めての国政議会が開かれた。
先にファストゥルフに述べていたのは元老院議官の一人であったが、彼の言うように、レーセンはローマニアの街をくまなく周り国務を執り行ってきた。本人は「遊んでいるだけだ」と言って憚らなかったが、彼の案には無駄がなく、また、市民に対する配慮も細やかであった。故に人はレーセンを愛した。口では「放蕩王子」「道楽狂い」と揶揄していたが、本心では、誰もがその働きぶりを讃えていたのであった。
彼ほどローマニアを知る者はいなかった。
彼ほどローマニアを愛する者はいなかった。
彼ほどローマニアに愛された者はいなかった。
その彼が、ローマニアから消えてしまった……この悲劇に最も心を痛めた人間は、ファティスでもラムスでもなく、彼の実父であるファストゥルフである事に疑う余地はないだろう。だが、それでもファストゥルフは、王として気丈に血を凍らせなければならなかった。
この日の議会はそのレーセンの後釜を決めるものであったが、同時に、ファストゥルフの器を見定めるものでもあった。
「区画整備の方は北区に住む大工のヤセフに任せよ。奴は腕も立つ上に目ざとく、市中に詳しい。労働関係と浮浪者については一括してロセンツォに一任する。奴の素性は分かっていよう」
「はぁ……しかし……」
「何だ。意見があるなら申してみよ」
「恐れながら……国事の責を負う者を、民衆からお選びになるのは如何なものかと……」
「城の者がそれ以上に働けぬから言っておるのだ!」
異を唱えた議官に対し、ファストゥルフは怒鳴るようにして一蹴した。冷や汗を流し、議官は身を縮める。
「陛下。ちと、言葉が過ぎるのでは?」
「反とする意見として至極真っ当であると感じましたが……どうにも陛下は、家臣を信じておられぬように見える」
王政といえど盤石ではないと先に記したが、その理由の一つとして、このようにファストゥルフの統治をよく思わぬ者が元老院に属している。
彼らは先代のローマニア王に寵愛され、若くして元老院議官となった。無論ただの無能では議官など務まらぬから聡明ではあった。だがその聡明も、いつしか自惚れと特権に汚れ私腹を肥やす事ばかりに回りはじめ、遂には身に余る野心と野望を芽吹かせるのであった。先代が崩御した際には、ファストゥルフを傀儡とし、自らが望むように国を動かそうと画策していたのである。
だが、彼らには二つの誤算があった。一つは、次期当主、ファストゥルフに才覚と覚悟があった事。そしてもう一つは、先代が彼らの腹の内を看破していた事である。
「我の死後、千日の間以下の者達を元老院の議官職から解く」
先代の遺言には、かつて彼が寵愛した者達の名が記されていた。
議官達を排斥。または死罪としなかったのは、先代の寵愛が未だ残っていたのか、はたまた、ファストゥルフに与えた試練だったのか……ともあれ、ファストゥルフは身中の虫がいない千日の間に実力と実績を積み、臣下と国民に自らがローマニアの王である事を認めさせたのであった。
その後、虫達は千日の罷免を解かれ元老院に復職したのだが、足場を固め、経験を積んだファストゥルフを傀儡にする事は不可能となっていた。
こうして議官達は、今日に至るまで、半ばやっかみのようにファストゥルフの足を引っ張り続けていた。今更国を影で繰る事などできはしないと分かっていながら、未練がましく、身の丈に合わぬ夢を抱き続けてきたのである。彼らは元老院に身を戻してから歯噛みしながら影でファストゥルフを罵倒して鬱憤を晴らしていた。だが、それが如何に虚しい事であるか当人達が一番わかっていたようで、毎晩よくない酔い方をしては、悔し涙を流していたのであった。
だがある日。そんな彼らの元に、一筋の光明が差し込んだ。ラムスである。
ラムスは頭は回ったが、芯が弱く内にこもる性分である。議官達は、そのラムスの人間性を見て狂喜した。
誰かを意のままに操ろうとする際、重要なのは、如何にして心を破壊するかである。それに際しては、想像が膨む人間の方が容易い。苦悩は思考を重くさせ人を萎縮させる。勇敢な人間であればそれを行動によって打破できようが、そうでない者は、いとも容易く、屈する。そうした意味で、ラムスは人形とするに相応しい存在であった。
だが問題もあった。それは、第一王子であるレーセンが文武に優れ勇猛な事である。普通にいけばまず間違いなくレーセンが王位を継ぐはずである。それをどう阻止するかが議官達の課題だった。彼らは議会で、レーセンが遊び歩いている様子を嘲り、片っ端から女に手を出しているのを
その折に起きた事件がこれである。議官達にしてみればまさに僥倖であっただろう。当初の予定では、ファティスの件と決闘の件でファストゥルフとレーセンの評をいくらか落とせれば良いくらいに考えていたものが、一夜にして、最も邪魔であるレーセンが消えたのである。後は、後任にラムスを指名させ、ファストゥルフが退位すればいいだけとなった。
野望の実現がますます現実味を帯び始め、もはや、彼らは王に対しての反意を隠そうともしなかった。
「ともかく、此度の責を如何にしてお取りになるつもりか。是非、お聞かせ願いたい」
「パルセイアとの決闘。あれに、陛下自身が出られては? されば、亡きレーセン様もきっとお喜びになるでしょう」
重ねられる無礼。しかし、ファストゥルフは堪えるしかない。今この者達を処断すれば、臣民は王に乱心の気ありと疑いかねないし、それに、彼らを慕う人間も少なくはないのである。彼らはその心根を隠し、レーセンの目の届かなかった弱者に施しをしていた。
議官達は面の上では涙を流し、腹の中では微笑っていたのだが、その真実を、施された側が知る事はできない。なぜなら、彼らの心は欠落し、既に壊れていたのだから。
「……決闘者の選出は、後日執り行う」
ファストゥルフの発言に議会は荒れた。
「そんな時間があるのか」
「 早くせねばパルセイアに礼を欠くことになるぞ」
「いつまでも葬式気分では困りますな」
浴びせられる罵倒にファストゥルフはひたすら絶えた。
議会が終わると、彼の指からは爪が二枚剥がれ落ち血が滴っていた。怒りを忍ぶ為に、自ら削いだのである。
「レーセン……まったく、死んでまで困らせる奴があるか……」
ファストゥルフは誰もいなくなった議会堂で、そう呟いた。
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