相克5
ファティスが通されたのは客間ではなく軍務室であった。数人の兵と話をしていたファストゥルフはファティスの入室に気付き、すぐに彼女の元へ駆け寄った
「ファティス王女。急に斯様な所へお呼びだてして申し訳ありませんな」
ファティスは「いいえ」とファストゥルフに返し、勧められるまま椅子に腰をかけ、一間を置いた。そうして、気を見計らいファストゥルフが口を開いた。
「さて、本日来ていただいたのは……」
「存じております。パルセイアが……クルセイセス王がお見えになるようで」
「……知っておられましたか」
言葉静かで冷静に見えるが、ファティスは魔の気を帯びていた。
世は儚く不条理であり、覆しようのない摂理は数多の悲劇を生み出し歴史を刻む。王家の子として産まれ、王家の子として育ったファティスは幼少の頃よりその無常と盛衰を教えられてきた。それは是非もない事である。しかし、頭では理解していても感情は。国と両親を奪われた憎悪は。どうしようとも消えることはない。
ファティス今、以前彼女を襲った、ヘイレンから逃亡してきた暴漢達のような形相となっていた。ファティスの憤怒を前にした兵達は、その豹変ぶりに驚き騒く。
しかしファストゥルフはそれを見て見ぬ振りをした。王として冷静であろうと努めたのもあるだろうが、何よりファティスの気を落ち着かせ、淑女としてあるまじき悍ましさを鎮めようとしたのだろう。
「この度パルセイアから文が届きましてな。曰く、ヘイレンの亡姫はヘイレンを下した我の物である。自ら赴いてやるゆえ、大人しく引き渡せ。との事でございました。が、斯様な傍若。論ずるまでもなく拒断の意を示したれば、ヘイレンへの義を重んじ、ファティス様を御守りいたす所存にてございます」
クルセイセスがファストゥルフに宛てた書簡には、「まずは卓を囲みたい」と、話し合いの場を求める旨が記されていた。おまけに、自らが行って礼を示してやると書いてきたのである。これを拒絶するは国家と王の威信に関わる。ファストゥルフは、クルセイセスの来訪を拒絶することができないのであった。
ファストゥルフは大きな腕でファティスの肩を抱き、「ご安心召されよ」と力強く励ました。だが、ファティスは呪詛を唱えるように、首を横に降り、血走った眼をファストゥルフに向けたのだった。
「それはいけません。私のせいで戦になるのであれば、いっそ私をクルセイセス王に差し出してくださいませ! そうすれば……そうすれば私は、彼の暴君を……!」
「殺す事ができるのですから」
その一文が出てこなかった。ファティスは言葉途中で大きく息を呑み、そのまま項垂れ唇を噛んだ。自身の発言が、この場においてどれほどの意味を持つか、どれほどの責があるかを理解したのであろう。ここでファティスが「殺す」と言ってしまえば、その言の虚実に問わず人々に伝わり、彼女が復讐の為にローマニアに訪れ、王と王子に取り入った取り入ったという話に成り兼ねないのである。王政というのは決して盤石ではない。隙あらば足元を掬われ寝首をかかれる。ファティスは、自らがその発端とならぬよう、僅かな理性で押し留めたのであった。しかし。
「よくぞ吠えた!」
突如軍務室の扉が、高笑いと共に勢いよく開かれた。そこに立つのは、普段の軽装とは違い、ローマニア兵の、しかも、最も誉れ高き
「だが、心配は無用だ! パルセイアが何だというのか! そのような蛮族共など恐るに足らん! この俺が! 貴様の怨敵を! 彼奴らの首領を叩っ斬ってくれるわ!」
ファストゥルフは頭を抱え、兵達は唖然とし、ファティスは信じられないものを見るような目でレーセンを見た。よもや、ローマニアの王子が仇討ちに手を貸すと、公ではないにしろ宣言してしまったのである。
「貴方は……どうして……どうしてそう短慮なのですか!」
ファティスは堪り兼ねずそう叫んだ。だがレーセンはそれを笑い一蹴したのであった。
「考えた結果だファティス。いいか。パルセイアは、難癖を付けたいだけなのだ。一度戦となり、まともにローマニアとやり合えばその力は伯仲。いや、攻め手であるあちらが不利となろう。要は外交の足掛かりとして貴様を使いたいだけに過ぎん。そのような小癪な策に対して、どうしてこちらがあたふたと対処を労ぜねばならんのだ。そも、貴様は我が国の客人である。それを引き渡すなど、愚の骨頂もいいところ。なれば、打つべき一手は一つ。クルセイセスの思い上がりに、自らの無力無能を思い知らせてやるのだ。さすれば、いかに増長していようと身の程を知るであろう」
演説じみたレーセンの言葉にファストゥルフは辟易して溜息を吐いた。だが、それ自体を否定したわけではないようで、「そういう事です」と、レーセンをの言を推すのであった。なぜならば、ファストゥルフも、レーセン程過激ではないにしろ、既に同じような意思を側近達に伝えていたからである。
ファティスは、レーセンのその姿に思うところがあるようだった。
レーセンは一見無遠慮かつ居丈高で、親の七光りだけの放蕩息子のように見えるが、その実、思慮も情けも深い人物なのである。ローマニアで、最初にファティスに声をかけたのは彼であった。市街を案内し、服を与え、笑顔を引き出したのは彼であった。城に招き、身を寄せる場所を作ったのは彼であった。暴漢に襲われそうなところを救ったのは彼であった。また、これはファティスが知らぬ事だが、彼はその暴漢達に仕事が回るよう手を回していた。
レーセンは王子として、男としての並々ならぬ矜持を持っていた。そのほんの一部に、ファティスはこの時気付いたのかもしれない。
「言葉の選び方は酷いものだが、まぁ、よかろう。貴様もクルセイセス王を迎える準備を致せ。明後日には、ローマニアに着くだろうからな」
気を取り直したファストゥルフはレーセンにそう声をかけた。その心中を知り、幾らか彼を見直したようである。が、その感動は、すぐに取り消されることとなった。
「準備などとうにできております。見えませぬか、この黄金に輝く甲冑が」
「……貴様、戦支度で出迎えるつもりか?」
「無論ですとも! 卑しき野蛮人どもにローマニアの威信を示してやりましょうぞ!」
「……服を準備しておけ。意味はわかるな?」
「馬鹿な! パルセイアが如き賎国に!」
ファストゥルフの苦言に不服を申し立てるレーセンであったが、結局は王の命により会談ではローマニア王家の礼装を着用する事となった。
そうして、一通りの算段が済んだ頃にはもう陽が沈んでいるのであった。ファティスはファストゥルフに言われるままに、彼女がかつて世話になっていた部屋に通され、「落着するまでは留まるように」と約束させられたのであった。部屋の様子は変わっていなかった。豪華絢爛で、一人で過ごすにはやや広すぎる空間。そこにファティスは、初めて訪れた時と同じように小さくベッドに座り何やら思案をしていたが、程なくして、何か思い至ったのか立ち上がり窓の方へと歩を向けたのであった。
自立し、ようやく店を開けた矢先の出来事で、失意の底に落ちてもやむを得ない状況であったがファティスは違うようで、部屋で窓の外を眺める彼女の表情に陰りはなかった。ローマニアの庇護がある為だろうが、それとも、レーセンの存在があるからだろうか。それは誰にも分からない。ただ、彼女の心理に、何かしらの変化があったのは確かであった。
部屋で星を眺める姿は、奇しくもヘイレンにて、彼女がパルセイアの進軍を憂いていた時のものと似ていた。だが、今ファティスにあるのは憂いではない。熱く硬い意志が、彼女にはあるように思えた。
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