落花4

 しきりに叩かれるドアの音でファティスは目を覚ました。乱暴なノックと同時に、ムルフの怒鳴り声が聞こえる。


「仕事だ! 起きろ!」


 微睡の中で混濁していた意識が繋がっていっていったのだろう。ファティスは身体を起こし震えている。無理もない。彼女はこれから名も顔も知らない男に奉仕をするのである。奉仕といっても悦ばせる手段を知らぬ故、肉壺と化すしかないし、そもそもファティスにとって行為とはそういう認識でしかない為、快楽など感じられるはずもない。自分の体内に血脈の熱を持った異物が侵入してくるのを想像したのだろうか。ファティスは脚を閉じ、小さく唸った。


「おい! 開けろ! じきお客様が来るんだ! 部屋を見せろ! 」


 嘔吐しそうになりながらもそれに耐え、立ち上がってファティスは叩き壊されそうな扉を開けた。開帳した先に立っているのはいうまでもなくムルフである。彼はファティスをジロリと見据え、「結構」と言って頷いた。まるで検品作業のようである。


「よく眠っていたな。よろしい。しっかり働けそうだ」


 皮肉交じりの嫌味を吐き捨てムルフは許可なしに部屋に踏み入り辺りを見渡した。客を入れる部屋なのだから当然といえば当然なのだが、まったく遠慮のかけらもない視察ぶりは、傍に立つ少女の眉を顰めさせた。だが、そんな事は御構い無しといった具合に彼は言葉を並べていく。


「……まぁいいだろう。日が沈む頃に客を入れる。それまでに湯を浴びておけ。場所は館の裏手だ。着替えも用意させてある。初仕事だ。せいぜい念入りに洗っておけ」


 感情も抑揚もなく。必要な事だけを言ってムルフは出て行った。気遣う素振りも見せず、ただ冷淡に一個の商品としてファティスに接するのは、彼なりの配慮でもあるのだが、それに気づけるほど、ファティスは歳を取っていない。


「お母様……私は……私は……!」


 ムルフが去った後、恐怖からか悔しさからか、ファティスの翡翠から落涙の一筋が頬を滑った。窓のない部屋は彼女の悲哀を閉じ込め、増大させているように思えた。この景色自体が、まるで一つの悲劇のようである。純白に染まった壁が無慈悲な世界を体現しているようで、ファティスが流す涙の色をより濃いものにしていた。


 だが皮肉なことに、そういった憂いの影は、性的な加虐の精神を刺激するのに十分な性質を帯びていた。ファティスの涙も、腫れ上がった目も、その下のくぼみも、色あせた唇も、怯えた表情も、全てが劣情を催す媚薬としての効能を持っていた。

 女を買う時、男というのは少なからず優越感を抱いている。それは買った女が暗く、悲痛で、美しくあるほど心の中で肥大し、果てる際には罪悪に苛まれながらも最高の快楽を得る事ができるのである。

 また、中にはその罪悪すら感じず、行為そのものよりも自身の背徳に酔いしれ、女の身体を自らが持つ邪悪の贄とする悪漢も存在する。今夜ファティスが相手をするのは、まさしくそんな類の男だった。





 湯を浴び、下着同然の衣服を身につけ、怯えながら待っていた彼女の前に現れたのは、齢半ば以下の、身なりの良い美男だった。


「やぁ」


 軽快な声に控えめな笑顔。艶のある黒髪と、日に焼けた褐色の肌。逞しい筋肉は薄手の服から盛り上がっており、過大な言い方をすれば、彼は高名な彫刻家が掘った石像のようであった。


「あ……」


 ファティスは安堵した様に息を漏らした。どのような魑魅魍魎が自分を嬲りに来るかと怯えていたのが、ちゃんとした人間がやってきたのだ。それだけでも、彼女の心は幾らか軽くなったに違いない。


「入っていいかな?」


「あ、申し訳ありません……どうぞ……」


 借り物とはいえ、男を部屋に招くのに些か抵抗があるようだったが入れぬわけにはいかず、ファティスは椅子を進めた。

 備え付けられた机を挟んで対面に座る二人の姿は、こんな場所でなければ恋人同士に見えるだろう。ファティスの方も、男の爽やかな笑顔に警戒心を解いてしまっている様子である。


「知っているかい? アルサッカには希少な植物が幾つか自生していて、こいつがよく効く薬になるんだよ」


「あら、そんなんですか。私、外の世界の事はあまり存じあげなくて……」


「妙な言い回しをするね。君は王族か何かなのかい?」


「あ、いえ、あの……」


「困った顔、素敵だよ」


「え、い、嫌ですわ!」


 ファティスは顔を赤くした。もしこの出会いが真っ当なものであれば、身分を隔てた情熱。または、悲恋の物語程度として、記憶に残らぬ記録となりしたためられていただろう。しかし忘れてはいけない。ここは娼館。男が女を金で買う場所である。いかに取り繕おうとも、男の目的は変わらない。


「……っ!」


 不意に訪れた沈黙の際、男はファティスを押し倒し唇を奪った。先ほどまでの紳士然とした態度が嘘のように鼻息は荒く、その眼光は、彼女の花を散らした野獣と同じく、ギラついた光を放っていた。


「……いや!」


 ファティスは必死に抵抗した。少女の恥じらいから、彼を拒んだ。しかし、その細い腕で何ができるというのか、肉のない身体でどうして抗えるだろうか。彼女の身体は、再び暴力によって奪われ、慰みものとして、道具として、玩具おもちゃとして使われてしまうのであった。


「なるほど。聞いた通りだ」


「な、何が……」


 服を剥ぎ取ったファティスを押さえつけながら男は言った。その顔には、愉悦と欲望に満ちた下衆な笑みが浮かび上がっている。


「俺は無理やりやるのが好きなんだよ。それも、相手が俺を信頼した上で、それを踏みにじるのが最高なんだ。しかしローマニアと、それから滅んだヘイレンは強姦が重罪でね。他の国はそうでもないってのに、やんなっちまうよ。だから、たまにこういった所にお願いするのさ。本気で嫌がる娘を用意してくれって」


 ヘイレン。


 その言葉が聞こえた瞬間にファティスは目を見開き、より強く、激しく抵抗した。


「いや! やめて下さい! お願いですから!」


 男はあははと笑った。まるで虫をなぶり殺しにしている子供のように。


 悪辣なる、歪んだ精神が男には宿っていた。絶望に沈むファティスの顔を見ながら身体を弄んでいる。心の底からこの状況を楽しんでいるのだ。目の前のものが、もがけばもがくだけ悦びを得るのである。


「やだぁ……いやだよぉ……」


 ついにはファティスは子供のような声でボロボロと涙を流し始めた。しかし、だからといって悪夢が冷める事はない。泣きじゃくるファティスを見て男は高笑いを響かせ、更にファティスの身体を汚していく。

 みっともなく崩れた顔が更に男の欲情を高め、ファティスに突き刺さった肉は膨張し、容赦無く彼女の体内を掻き混ぜていった。


「痛い……痛いよぉ! やめて……」


「そろそろだ。最高の顔を見せてみろよ。売女」


 邪悪な笑みを見せながら、男はファティスの中に自らの欲望をぶちまけた。啜り哭くファティスの声に満足しながら、恍惚の表情を浮かべて……

 白濁に染まるファティスの秘部には血が混ざっている。彼女の身体は未発達で、肉を受け入れる準備が整っていなかったのだ。だが、だからといってファティスが解放されるわけではない。契約の期日は十日。その間ファティスは、嫌でも男の相手をしなければならないのである。それが、彼女が自らが選んだ道なのだから。





「君は最高だったよ。しばらくこの辺りにいるから、また頼むよ」


 ベッドに顔を伏し泣き叫ぶ彼女の姿に微笑を送りながら男は去っていった。その際、机に銀貨一枚をチップとして置いていった。その値段は、貧民街の少女一人と同じ値段であった。

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