王子4

 食事が終わるとファティスは部屋に案内された。ヘイレンにあった彼女の自室より広く豪華で煌びやかだったが、どうにも落ち着かない様子で、ファティスはベッドに腰を掛けるのであった。


「……今更、斯様な場所に私がいるのは……」


 元より小柄なファティスであったが今はさらに小さく見える。安宿に慣れすぎてしまったのか、どうにも萎縮してしまっているようだった。というより、卑屈となっているといっても差し支えない。レーセンに吐かれた言葉もあってかファティスは意気消沈としているのだった。溜め息を一つ。また一つと吐き、彼女の他誰もいない部屋に鬱々しい空気が溜まっていく。ファティスはそれに気が付き、かぶりを振って立ち上がり窓を開いた。すると、とうに暮れているというのに薄明るく光る庭園が見えるのに気がついた。客間のもてなしの一つなのだろう。高く掲げられたランプは揺れ、その光は、視覚に十分な楽しみを与えるものであった。


「綺麗なお庭……」


 そう嘆くファティスの瞳は、かつて眠れぬ夜に忍び入ったヘイレンの庭園を見ているようであった。ファティスは誘われるようにして部屋を出ていった。向かう先は、窓から見えた幻想の庭。道を行くのは容易であった。近くにある階段を降りると、すぐに花の香りがする。後は、その芳香を辿るだけであった。


 ランプが燈す火の熱気に負けぬ花は、ファティスがかつて見たことのないものであった。大きく肉厚な花弁は赤と白のまだらで独特の酸味と甘みが力強く香っており、葉は細いが剛性があってまるで金属のように鋭く尖っている。なんとも個性的な花を前にしてファティスは「なんという名前でしょうか」などと、膝を抱えて一人ごちるのであった。


「フラーラの花です。美しいでしょう?」


 突如聞こえた声にファティスは驚き、立ち上がりながら振り返った。


「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」


 そう言って、優しく一礼したのは一人の若い男であった。レーセンやファストゥルフと同じく褐色黒髪。黒い瞳を持った美男子であったがその面持ちは柔らかで、人を包み込むような優しさがあった。


「あの、私、勝手にお庭に入ってしまい、大変な失礼を……」


「あぁ、お気になさらず。この庭は、元より客人をもてなす為に作られたもの。どうか、お楽しみください」



「格別のご好意、大変恐縮でございます。ただ、えっと、あの……私は、その、本来ならば名乗るのが礼儀なのですけれど……少しばかり事情が……」


 淡く影を作る男の微笑にファティスは魅入ってしまっているようだったが、惚けている自分に気付き無理に笑顔を作った。未だ自らの正体を明かす腹は決まっていないようである。しかし男はそんなファティスを見て、改めて丁寧な礼を示したのであった。


「貴女様の事は兄より聞き及んでおります。遅ればせながら私、ローマニア王ファストゥルフが第二王子。ラムスと申します。以後お見知り置きを。ファティス様」


 ラムスと名乗る男は深々と辞儀をした。それを「おかまいなく!」と慌てて止めさせようとするファティスであったが、なにやら不思議な顔をしていた。それもそのはず。ファティスは、ローマニアの王子はレーセン一人と聞かされていたからである。もし他に子がいれば、名前くらいは聞いているはずで、はてな。と、必死に取り繕う彼女であったが、ラムスはそれを察したのか、自ずから正体を明かしたのであった。


「私は幼少の頃。ローマニアの東北にあるパラティノの丘で育てられました。これは、ファストゥルフ王と側近の家臣しか知らぬ事だったので、帰城が許されてしばらくは混乱が続いていました。無理もない話です。いきなり、王位の継承者が増えたのですから」


 ラムスの言葉に偽りはない。彼はレーセンが産まれた一年後に産声を上げたのだが、その出自には曰くがあった。









 彼の母である王妃、マルゴーは隣国のサヴニの王女で、若き頃ローマニアへ嫁いだ。これはもちろん戦略的なものであり、愛や情は皆無に等しかったのだがファストゥルフは彼女を受け入れ、翌年にはマルゴーに子種が宿った。これがレーセンである。

 レーセンはまごう事なき王の子であった。と、いうのも、この頃はマルゴーも自らの運命を受け入れ、ローマニアの女として、また、王妃のとしてその生を全うしようと決心していたからである。勿論それは王族の一員としての待遇に幾らか自尊心を満たせていたからでもあった。現に彼女は、鬱憤を晴らすかのように度々高圧的な態度を家臣たちに取っていた。特権だけが、彼女に与えられた慰めだったのである。

 しかし、彼女が二人目の子に陽の光を見せた時悲劇の幕が上がった。マルゴーの不貞が露見したのだ。

 相手は彼女と同じくサヴニ人で、サンジェロスに仕える若い雑用係であった。彼を初めて見たマルゴーの心音は、地上に存在するどの楽器よりも美しく響いたであろう。故郷の香りのする若い男は、彼女に青春の花の幻影を見させたのであった。その幻は、彼女が処刑されるまで続いた。ローマニアでは王族の姦通は死罪である。マルゴーもそれは知っていた。そして、それが遠からぬ未来である事も……

 この時のファストゥルフの内心が如何なものか。それを記す資料は残念ながら残っていない。ただ、粛々と、王妃の斬首が執り行われたと、歴史書に残されている。


 その後、不貞の相手は王の温情により追放処分で済んだのだが、子は森へ置き去りとされる事となった。これもまた、ローマニアのしきたりである。しかしながらファストゥルフは非情になりきれなかった。罪なき子にどうして斯様な酷い仕打ちができようかと、内密に使用人のカルロに命じ、パラティノの老婦人たちに預けたのであった。

 それから暫くが経ち、預けられた子はサンジェロスに呼び戻された。


「刑が済み、尚生きているのであればその命を奪う必要はない。そして、これは我が子である。王子として遇するに、何の問題があろうか」


 反対する家臣たちにファストゥルフはそう言い放った。以来、レーセンはサンジェロスにて第二王子として扱われるようになったわけである。






「……それは……知らぬとはいえ、失礼を致しました」


「お気になさらず。それより、ファティス様もご苦労をなさったとか。今日までよくぞご無事でおられました」


「いえ、私などは……」



 二人の会話はどこかぎこちなかったが、その不慣れこそが似合っていた。純なる人間同士というのは惹かれ合いながらも遠ざかるものである。それは、側からみているとより一層分かりやすい。


「……っ」


 廻廊から二人を見て舌打ちをするのはレーセンであった。柱の影に隠れ、二人の親睦に憎々しげな視線を向けている。

 二人の王子とファティス……この出会いが、いかなる物語を紡ぐのか。運命の歯車は、ゆっくりと、少しずつ、されど、確かに回り続けている……

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