王子3

「……人違いではございませんか、私は王女などでは……」


「その両眼の翡翠。金糸の髪。そして振る舞い。これだけ揃って相手が誰だか分からぬとあらば、それは余程の不心得者。それとも、私の目が節穴でしたかな?」


 ファストゥルフはニヤリとレーセンの方を一瞥した。息子と比べ、いくらか意地が悪いようである。


「……申し訳ありません。ただ私は、私の名を、この場で明かすわけには……」


 屈したままファティスは動かなかった。王の言葉に背くその行いは、事によれば不敬として責を科せられかねないものである。


「事情は分かりますがな。しかし、どのような理由があろうとも招いたのはこちら。それを遇せざるは、ローマニア建国以来の恥となりましょう。その意味するところが分からぬほど、貴女は愚かではないと思いますがな」


 沈黙。膝をついているファティスは葛藤の苦悶を浮かべている。自身が名乗ればローマニアとパルセイアの争いが現実味を帯びてくるし、名乗らねばローマニアの歴史を侮辱する事となる。この場にいるのは、ファティスとレーセンとファストゥルフの三人だけではあるが、ファストゥルフの言葉は、暗にファティスの来訪を記録し後世に自らの狭量を残すと言っているようなものであった。ファティスがいずれの道を選ぶとしてももはやローマニアへの介入は避けられない。ファティスが選ぶ道が、そのまま尾を引く形となる。決断の時であった。






「まったく辛気臭い事だ。その卑屈な精神は、貴様の国由来のものか?」


 沈黙を破ったのはレーセンだった。その無遠慮な言葉は、ファティスの唇を真一文字に締めさせた。


「レーセン。貴様は言葉の使い方も知らぬのか」


「無作法者に、どうして言葉を選ぶ必要がありましょうか。此奴が何者かは先までの話で承知しましたが、だからといって王の好意を無下にするような狼藉は我慢なりませぬ。如何なる理由があろうとも、侮辱を黙する無様を私は持ちません」


 そう言い放ったレーセンは食卓の椅子に腰掛け腕を組んだ。ファティスを見下すような態度を見たファストゥルフの目には諦観の感情が宿っている。レーセンは幼少より幾度となく不遜を咎められていたのだが、何を言われても反省するどころか増長するばかりで、その鬼子ぶりはファストゥルフすら御しきれるものではなかったのであった。


「一人生き延びここまで来たというのになんだその覇気の無さは。パルセイアを滅ぼす為の助力くらい請うたらどうだ。情けない」


「レーセン。貴様の言葉は聞くに耐えん。黙っておれ」


 勝手を言うレーセンをファストゥルフは咎めた。元とはいえ、一国の王女に投げ掛けるべきでない言葉に腹を据えかねたのだろう。瞳には、静かな怒りが宿っている。が、レーセンは尚も不敵に鼻を鳴らし、ファティスを見下ろす。


「失礼ばかりで申し訳ない。育て方を間違えた息子故、お恥ずかしいところばかりお見せする」


「いえ……」


 ファティスはレーセンの言は当然だというように目を閉じた。事実、彼女は今の自分を潔しとしていない。責も義務も放棄して、逃げ続けているだけだと思っている。いかなる誹りを受けようと、全ては自らの不徳とし受け入れるつもりでいた。しかし、それでも、やはり、彼女の心は繊細で、レーセンの暴言を正面から受けて平常でいられるほどに強くはなかった。硬く結ばれた口元が震える。漏れそうな嗚咽を必死に抑えている。ファティスの悲しみと懺悔の念が、三人だけの食卓に満ちていく。用意されていた、ファストゥルフのスープからは湯気が立たなくなっていた。


「興が冷めた。まったくくだらぬ女よ。父上。食事の御同席はまたの機会に致します」


 レーセンは舌打ちを鳴らし食堂から出て行った。それと同時に吐かれたファストゥルフの溜息は様々な感情が含まれてるようだったが、彼はともかくファティスの肩を抱き抱え、優しく立たせて椅子に座るよう誘導した。程なくして二人分のスープを持ってきた給仕から一皿取りそれをファティスに渡したファストゥルフは、給仕に今日は二人分でいいと伝え退がらせ、親しみのある口調でファティスに話しを始めた。


「息子の戯言はどうか忘れてください。それより、食事をどうぞ。ここまでの道のりは、さぞ苦労なされた事でしょう。部屋も用意させます故、しばらくはサンジェロスに留まりなさい。無論、お望みでしたら、御身の寄せる所としていただいても構いません」


 ファストゥルフの態度は王として随分遜ったものだった。元より思慮深く権力を振りかざすような人物ではないのだが、平素は此れ程温和ではない。王として必要な激情と苛烈を持った支配者である。しかしながら、ファストゥルフはファティスに対しては王の威厳を噯気にも出さなかった。彼女へ向けられる言葉は柔らかで愛があった。王女として。と、いうよりは、まるで実の娘のような様子で、彼は接していたのであった。


「ありがたいお話ですが、私は……」


 そんな厚遇を受けても、ファティスは遠慮がちに固辞する姿勢を見せようとした。しかし、彼女の言葉が言い終わる前にファストゥルフがそれを制し、「まぁお聞きください」と話しを続けるのであった。


「ローマニアの土地は貧しい。土は乾き風は熱い。育つ作物は限られてくる。おまけに、収穫できる量も少ない。民は毎日毎日同じものばかり食べて飢えをしのいでいました。私も若い頃はそれほど満足な食事ができず空腹と舌を持て余していたのですが、食べてられるだけで幸福でした。民の中には、食うも食えず伏せていく者もいたのですから」


 ファストゥルフは一息を吐き、冷えたスープを口に運んだ。それを見たファティスは「お取り替え致します」と中腰になったが、「結構」と断られ、仕方なさそうに椅子に座り直した。ファストゥルフはそれを見届けて話を続ける。


「そんな折に不作の年が訪れました。サンジェロスには幾らかの備蓄がありましたが、我がローマニアは民の国。民が飢えていく中で、我々王の血筋だけが腹を満たすわけにはいきません。私の父。つまり、先代のローマニア王は食料庫を解放しました。しかしそれもいつしか尽き、いよいよ本格的に国の終焉が見えてきたのです。大国として栄えたローマニアが斯様な最後を迎えるのかと思った私は、腹以上に心が、精神が減っていきました。そんな時です。サンサッカの方角から、大量の馬車がやって来たのです。何かと思えば、それは食料を積んだヘイレンの遣いでした。ローマニアの飢饉を知り、窮地を救ってくれたのです。私は、私達は今でもヘイレンに対する恩を忘れてはおりません。故に、ファティス王女。貴方を遇するのに我が国は万端を持って礼を尽くさせていただきます。先の愚息の件については詫びの言葉も見つかりませんが、どうぞ御身御心をお休め下さい」


「一つよろしいでしょうか」


「何なりと」


「ローマニアは、ヘイレンを落し食糧難を脱しようとは思わなかったのですか?」


「……正直に申し上げれば、そのような案もありました。しかし、それはローマニアの血に反します。私達は奪いません。自らの力だけで栄え、外敵も排除してきました。先に話した飢饉まで、ヘイレンをはじめとした近隣国との外交もまるで行なっていなかったのです。それ故に援助を請うという考えもまったく浮かばなかったと、先代は笑っていましたよ」


 笑いながらそう言った後、ファストゥルフは冷えたスープを飲み干した。それを見たファティスも同じくスープを飲んだのであったが、熱が冷めぬ内に口へと放った為咳き込んでしまった。ファストゥルフの笑いに頬を染めたファティスであったが、彼女の顔から影は消えていた。

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