芽吹かんと1

 澄み渡る空に昇る太陽。乾いた大地を吹きつけるのは、やはり乾いた風であった。人が住むには、些か難儀する土地である。

 しかし、それでもローマニアの市街は賑わい潤っていた。そこかしろで何かしらの声や音が聞こえ、国中を探しても静寂が見つからないほどである。その喧騒の中、ファティスは、繁華街の一角に空き家を持つ部屋貸しと話をしていた。


「ここに店を出したいなら、まず金十枚。それと、十日毎に金一枚は出してもらわないと。なんたって立地がいいんだ。むしろ安いくらいだよ」


「そうですか……」


「お嬢さんくらいの歳で店を開きたいってのは立派だけどね。ただ、もう少し下地を作った方がいいんじゃないかな。金もそうだが、経験も大切だよ」


「……」


 返す言葉もなくファティスは項垂れ部屋貸しの元を去った。行く先も定まらぬようで、一人道をさまよう姿が哀れに見える。

 そんなファティスの前に、一人の男が現れた。レーセンであった。


「これはこれは。誰かと思えば、麗しのファティス様ではございませんか。相変わらず、ご機嫌なご様子で」


「……レーセン様には、そうお見えになるのですか?」


「おや、違いましたか。これは失礼致しました。何せ城内でも毎日毎日暗い顔をしているものですから、どうにも判断がつかず失礼を働いてしまいました。どうか、ご容赦を」



 ファティスはレーセンの嫌味にピクと眉を動かしたが、諦めたように一息を吐き、「そうですか」と言って背を向けた。それを見てレーセンは「居候先の人間に愛想笑いくらいしたらどうだ」と再び嫌味を発したのだが返事なく、彼は舌打ちをしてファティスとは異なる道を行くのであった。


 ファティスがローマニアに来て百幾許の朝を迎えた今、彼女はレーセンが言ったようにサンジェロスに身を寄せていた。ファストゥルフ王の行為を無碍にできなかったのもあるが、ファティス自身。一人で生きていく術を知らなかった為に断りきれなかったという部分も多分にあった。しかし、それでは駄目だと思い立ち、彼女は店を構え自立しようと画策していたわけであるが、それも先のように金銭の面で都合が付かず難航しているのであった。それに、部屋貸しが言っていたように経験も不足している。それはもちろんファティスも分かっていた事ではあるが、エタリペアにて、「身元も分からないような人間を雇う所はない」というムルフの発言を真に受け、もはや自分で店を開くしかないと思い至ったわけであった。


 ファティスは毎日浮かぬ顔をしてサンジェロスへと帰る。今日も変わらず、門をくぐった。礼に反すると分かっていながら彼女は俯いている。自らの不甲斐なさを悔やまずにはいられないのである。託された命を、自分自身の手で活かせぬ現状を情けなく思っているのだ。


「お帰りなさいませファティス様。お食事の準備までまだ少々ありますので、それまでどうぞ、おくつろぎください」


 入城と同時に世話を焼くカルロにファティスは慣れないようだった。客人扱い故に当然といえば当然の待遇であったが、外遊をした事のない彼女にとってはどうにも落ち着きが悪く、時には煩わしくも感じているようであった。


「カルロさん。あの、ありがたいのですが、お出迎えは……」


「そういうわけにはいきません。私は、ファストゥルフ陛下より貴女様に尽くせと仰せつかっております故」


 ファティスは力なく「分かりました」と言って、カルロにあれやこれやと言われながらに与えられた部屋へ入っていった。そこは、最初に用意された客室である。


「広い……」


 溜息まじりにそう呟くファティスはベッドに腰を掛け項垂れた。彼女はこの部屋にも妙な畏まりを覚えているようで未だに萎縮していた。彼女の出自であれば、決してこの待遇が身分不相応というわけではないのだが……


「ファティス様。いらっしゃいますか?」


「あ、はい」


 虚ろに窓から庭を眺めるファティスの元へ来客があった。ノックと共に届いた声は、まるで揺らめく波のような静音を奏でる美声である。この声の正体はというと、サンジェロスに住むもう一人のローマニア王子。ラムスであった。


「お食事までの間、しばしお話しでもと思いまして」


「私でよろしければ、喜んで」


 ラムスがファティスにただならぬ感情を抱いているのは多くの者が悟っていた。自ら進んで吹聴しているわけではなかったが、城の暮らしを知らぬ素朴な若者の恋慕は朝に昇る太陽が如く、熱く燃えて輝いていたのである。それを知らぬと通すには無理があった。しかしながら、その太陽が照らしている花は自分が陽光の下にいるなどとは思いもしていないようで、いたずらに若者の心を焦らしているという自覚がないのであった。


「ラムス様は、私のような者にもお話しをしくださって、本当にお優しい方ですね」


「いや、私は……」


 このような言葉をかけるものだから罪である。言われた方は、特にラムスのような人間は、返事のしようがない。


「ファティス。あまり弟をたぶらかかさんでくれ。此奴は今まで動物と老人の他に話し相手がいなかったものでな。すぐにのぼせ上がってしまうのだ」


 ファティスの部屋にはいつの間にやらレーセンが入っていた。彼はいつもの不敵な笑みを浮かべ、二人を揶揄う。レーセンは嫌味と皮肉を言う時以外、遠慮なくファティスを呼び捨てにするようになっていた。無作法極まりない無礼であるが、彼が畏る姿を誰も想像できなかった為か咎める者はいなかった。


「……お招き頂いている立場ではございますが、入室前の報せくらいはお願い致したいですね」


 ファティスは不遜なレーセンに対し小言を吐くようになっていたのだが、レーセンの方は意に介さないばかりか面白がって更に笑いの皺を深くするのであった。その度にファティスは眉間を歪ませる。それは、今日も例外ではない。


「したさ。だが、生憎とお話しに夢中で反応して頂けないときた。せっかくカルロに代わって、この俺が食事の報を持ってきてやったというのにだ。感謝されこそすれ、悪態をつかれるいわれはないと思うのだが、どうだ? これではあまりに俺が報われぬと思わぬか?」


 台詞がかったレーセンの言葉に二人は同時に溜息を吐いた。が、それでもレーセンは関係なしに「そもそも」とよく分からない事を喋り始め、終いには高笑いを上げファティスとラムスを僻遠させた。


「兄上。食事の準備が整ったのでございましょう?」


「そうだとも。父上が俺達の到着を今か今かとと待ち焦がれているぞ?」


「では、参りましょう。私も腹が減りました。ササンジェロスの飯は実に美味いので、空腹が早く訪れます」


「そうだろうとも。我が城の飯は美味い」


 ラムスは露骨に調子を合わせレーセンの一人語りを終わらせた。レーセンは「よかろう」と先頭に立ち、食堂に移動する間にも高笑いをし続け、食堂の扉を開ける直前まで響かせ続けるものだから、いざ食堂に入った際にはファストゥルフが苦々しくレーセンを睨んだのであった。


「たまには静かにできんのか。貴様がいると、落ち着いて食事もできん」


「何を仰るか父上よ。覇気強く自由でなければローマニア人ではございません。それを咎めると申しますか」


「節度を弁えよというのだ。まぁ、いい。貴様に構っていると後ろの二人も座に着けん。とにかく座れ」


 ふん。と、鼻を鳴らしたレーセンが着席し、ファティスとラムスもそれに続いた。ファティスがサンジェロスに身を寄せるようになり、食事はこの四人で摂るようになっていった。それまでレーセンは街で、ラムスは自室で済ませていたのだが、ファティスに合わせるように皆一同に集まるようになった。口にこそ出さなかったが、ファストゥルフはそれに満足し喜んでいた。それは、ファストゥルフが付けている日記に綴られているのだが、ここでは詳細を省く事にする。


「よし、では、食べようか。カルロ。食事を始める。準備せよ」


「はい」と、小さく返事をし、カルロは調理場へと向かった。四人となった食堂では、皆が、空腹を持て余し話を始めるのであった。

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