憂国の姫君4

 ファティスは蕾をこじ開けられた痛みと喪失感に歯を食いしばり耐えた。果たしてそれはいかなる心中からであろうか。母を苦しませてはならない。裏切り者に屈してはならない。亡き王の名を貶めるわけにはいかない……若き王女には、その身以上の誇りが必要とされていた。


 少女は涙の一雫すら落とさなかった。代わりに、白い歯が食い込んだ桃色の唇から鮮血の滴が零れ落ち、敷かれた絨毯の上で、破瓜の名残と混ざり合っていた。ファティスは忿怒を燃やすことによって理不尽に打ち勝たんとしているようだった。翡翠を中心に血を走らせる両の眼は、追い詰められた獣のそれに似ていた。


「随分な顔をするじゃないか。見てみろよ。部下が怯えてる」


 エルディーンは邪悪な微笑を浮かべ、繋がったままファティスの髪を掴んで身体を反らせた。悍ましき行為の最中において彼女の肢体は露出し、血と汗とに塗れている。そして秘部には……

 哀れな姿を、かつての臣下によって、かつて城に仕えていた男達に、見世物が如く晒される。それも母共々に。これ以上の屈辱がいったいどれほどあるだろうか。それほどまでに、彼女達の業は深いものであろうか。

 ファティスの中へ出し入れされる様子をニヤつきながら眺める彼らはもはや騎士とはいえなかった。野盗にも劣る外道の輩である。キイクロープスもアルトノもファティスも、戦いに敗れ、その後の惨事であればまだ諦めもつくだろう。兵達の寝返りもそれ自体は理解できなくもない。しかし、兵の矜持を持たぬ者を重用し謀られたというのは恥以外のなにものでもなく、また許せぬ事であった。


「ほら、鳴けよ王女様。雌豚らしく、だらしなく喚いてみせろ」


「……ぅ……ぁ……」


 細いファティスの身体が蹂躙される。抱かれる度に、真っ白な肌に痣ができていく。まるで花弁が指で千切られていくように、その姿は痛ましかった。一向に終わる気配のない非道。少女はこのまま、歴史の業火に包まれてしまうのか……


 !


「……なんだ!」


 乾いた音が部屋に響いた。直後、何者かの手により火が放たれる。いったい何が起こったのか分からず混乱しいる一同。そんな中に、しわがれた老臣の声が轟いた。


「ファティス様!」


 声の主は、アンセイスであった。


 夜間、執務室にて作業をしていて眠りこけてしまっていたアンセイスは自室に戻る途中、キイクロープスの寝室から漏れる微かな異変に気がついた。彼は悩んだが、礼を失すると自覚しながらも聞き耳を立てると、王が殺され、王妃と王女が玩具にされているのを知ったのであった。

 元より兵の一部に不穏な影を感じていたアンセイスであったが、戦乱の前という事で納得してしまっていた。だが、それがよもや、あろう事か騎士団長の裏切りによるものだったとは思いもよらなかったであろう。アンセイスは「抜かった」と、取り返しのつかぬ不覚に後悔をした。憤死しかねぬ形相であった。しかし、国家の忠義を誓った兵を、その頂点に立つエルディーンを、いったい誰が疑えるというのか。この老臣が恥ずべきところは微塵もない。彼は常に忠義を尽くしていた。アンセイスはその生涯を捧げ、王と国の為に仕えていたのだ。それは、彼の死に際でさえも……





「痴れ者が!」


 忠臣、アンセイスの絶叫が響く。それは獅子の咆哮のようであった。


「老いぼれめ!」


 エルディーンは声を荒げてファティスを突き飛ばし、抜剣してアンセイスを突き刺した。血反吐を吐き踞る老体に、エルディーンは容赦無く二撃、三撃を加え、それに連なり他の男達も刃を突き立て、辺り一面に臓腑の臭いを拡散させていく。まるで虫を殺して憂さ晴らしをする子供のように、彼らは笑い、刃を振りかざし、深々とアンセイスの身体に穴を空けていった。まさに狂気の沙汰である。彼らは正気を失っていたのだ。故に、この時兵達は誰も気がつかなかった。アンセイスの腑から発する悪臭の中に、人以外の臭いがある事に。

 刹那。爆発音。アンセイスの身体が爆ぜ、寝室は鬼畜の世界から灼熱地獄へとその姿を変えたのであった。

 アンセイスの腹には油が仕込まれていた。部屋に入る前、密かに、速やかに倉庫まで行って、革袋に入れた燃料を呑み込んだのである。


 部屋にの中にいた者共は肉片となって四散し散り散りとなった。割れた窓から空気が流入し火の手は一挙に広がって、程なくして城全体が、まるで地獄の門のように赤く、熱く豹変していた。それはアンセイスの心を具現化したようであった。謀叛の気配を感知できなかった事。己が仕えた者と逆賊を心中させる事。辱めを受けながら、未だ命のあった大恩ある王の血族を自らの手で死に至らしめる事。全てが彼の怒りとなった。全てが彼の恥となった。幾許もない中で決断し実行に移したアンセイスではあったが、その無念たるや測れるものではない。

 だが、アンセイスの行いは紛れもなく大義であった。その大義が、一つの奇跡を起こした。


 城の裏手。キイクロープスの寝室の窓から、重なり合ったような肉塊が降り注いだ。赤黒く染まったそれは三つ。キイクロープスとアルトノ。そして、そこに挟まれているのは……


「………………っ!」


 そよぐ風がまつ毛を揺らし、二人の間にできた子は目を覚ました。


 ファティスは生きていた。


 アンセイスの腹に詰まった油が爆ぜる少し前。エルディーンは彼を刺そうと、キイクロープスの骸の前にファティスを投げた。

 アンセイスが凶刃に晒された時、アルトノを嬲っていた兵達もエルディーンに続いた。

 自由になった母は痛ましい我が娘に駆け寄った。

 アンセイスの計略が実を結んだのはこの直後である。爆風によってキイクロープスの身体が持ち上がり、アルトノごとファティスを覆った。そしてそのまま窓を突き破り地表へと落下したのであるが、その際にアルトノがクッションの代わりをし、ファティスを守ったのであった。一人の少女は、父と母に命を救われたのである。

 だが、彼女に待ち受ける現実は辛く、厳しいものであった。目の前に広がるは、燃える城と……


「……お父様! お母様!」


 熱風が立ち込める中、ファティスは必死に泣き叫んだ。しかし二人はその悲痛に応えることができない。死人は決して、言葉を喋ることがないのだから。


「お父様! どうか目を開けてください! お母様も!」


 ファティスは懇願するように二つの死体に縋り付いた。心の内では無駄だと分かっているのだろう。無益な事だと知っていよう。しかし、それでも彼女はそうせざるを得ないのだった。彼女の心が、魂がそうさせるのである。成人さえも迎えていない力なき少女には、まだまだ親の庇護と愛が必要なのである。


 だが時は、その一人の少女の慟哭を許さなかった。

 炎の音に混じって人の声がするのだ。近くはないが、決して遠くはない距離。大多数の兵がマーネンに集結している中、ヘイレンに残っているのは皆エルディーンの息のかかった人間とみて間違いないだろう。そうでなくとも、忠臣の裏切りにあったファティスが、容易に人を信用できるわけがなかった。


「……っ」


 大粒の涙を落とし、ファティスは父と母に別れを告げた。炎を背に彼女が向かうのは、アルサッカとサンサッカ、両峠がそびえる方角である。峠を抜けた先には、パルセイアに並ぶ大国、ローマニアがあった。





 今まで住んできた場所が、愛していた両親が、信じてきた家臣達が、王家という身分が、一夜にして無に帰し、まったくの一人になってしまった。孤独なる少女の行く末は、果たして……

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