相克16


 ラムスは議会堂を進みファストゥルフに跪いた。


「久々の城外はよい息抜きになりました。心身ともに万端でございます」


「……そうか。いや、ならば良い」


 実子の覚悟にいち早く気付いたファストゥルフは言葉少なにラムスを見た。目が合えば微笑を交わす。父と子の間にもはや憂慮はない。二人の呼吸は一対。目に見えぬ強固な繋がりがはっきりと見え、皆、魅せられたかのように声を失い、議会の場は潮汐が如く静寂となった。


「この場にて宣言したい事がある」


 ラムスの一声が響いた。その場にいる者は、例外なく彼を見る。かつてのラムスであればそれだけで萎縮し、情けない様を晒していただろう。だが、今のラムスにそれはない。今彼にあるのは、勇気と、誇りと、若さ。そして……


「私、ローマニア王子ラムスは、パルセイアとの決闘において剣を振るう事をここに誓う!」


 ラムスは覚悟と、ローマニアへの愛を持っていた。

 再び議会は騒めく。ラムスの異にもそうだが、何より、レーセンの代理として、此れ程の人間はいないだろうと謳い始めたのだ。「殿下の代わりはやはり殿下しかいまい」と、そんな発言がそこかしろから聞こえるのである。だが。


「一時の感情でそのような事を申されては困りますな」


 そう言うのは王に反を示す議官の一人であった。彼がこの状況でラムスに異を唱えるのは、当然企てあっての事である。


「ファストゥルフ陛下。いくら議会で話し合おうとも、最終的な決定権は陛下が持っております。もし、ラムス様の言を良しとするのであれば、今この場でそれをお認め頂きたい。これ以上の混乱は、無益以外に言葉がありません」


 これは、ラムスの宣言をこの場限りの放言で終わらせない策略である。ファストゥルフがラムスを決闘者として認めるのであればそれも良し。彼らは誰しもが、ラムスが決闘に勝てるとは思っていない。


 王子は負けて死に、王は全責任を背負い退位した。


 描いている画はこんなところであろう。


 また、仮にここでラムスの言を棄却するのであれば、ラムスの不始末に対する責を問い、ますますファストゥルフの求心力を奪う事ができるのである。さすれば、王位の簒奪も、ラムスを傀儡とするも思いのまま……どちらに転んでも利しかないと踏んだ議官は、太々しくもこう述べたのであった。


「ファストゥルフ陛下。もはや時間も労力も惜しい。先までの騒動は焦りと苛立ちも国を思えばの事。ラムス様が決闘にて勇姿を示すと、ここで誓約していただきますれば、我ら臣下の憂いも消えましょう。どうか、ここにご決断の意をお聞かせください」


 これを受けファストゥルフは「よかろう」と頷いた。


「我はここに、ラムスを決闘者として剣を振るう事を認める」


 議会は異議のない事を示す拍手が鳴り響いた。満場一致である。議官達は腹の中で、何もかもが思惑通りに進んでいるとほくそ笑んでいるに違いない。だがファストゥルフもラムスも、もはやそのような事には興味も持たぬだろう。二人はただ国の為、親と子の為、そして、亡きレーセンの為に戦う決意をしたのだ。俗人の腹中など、些末な問題に過ぎない。あるのは誇。王として、その子として、男として、彼らは戦い、血を流す決意をしたのだ。男の歴史とは、まさしくそういうものである。






 決闘者として選定されたラムスは修練に励んだ。傷が癒える日はなかった。毎日ただ剣を握り、打ちのめされ、腕を磨いていった。が、決闘まで時間はない。基本的な指導は受けていたラムスであったが、やはりその業前はレーセンに劣る。彼がパルセイアの精鋭に勝利する姿は朧であった。しかしラムスの顔には一片の曇りもなく、ただ、ひたすらに汗を流している。彼にとっては勝敗よりも、兄の代理として、国の背負う立場として臨む、決闘そのものに意味を見出しているのかもしれない。


 そんなラムスをずっと見ている者がいた。それは彼の想い人であった美しき女性……

 

「ラムス様……」


「ファティス様! 如何なさいましたか? このようなところへ」


 修練場に現れたのはファティスであった。彼女はしずとラムスを見据えながら、一人剣を振るラムス近付き口を開いた。


「……ラムス様へ、お聞きしたい事がございます」


「何なりとお聞きください。私に答えられればいいのですが」


 ファティスの声は重かったが、ラムスはそれを意にしていないのか快活に笑った。だが、ファティスの表情は暗い。


「決闘に、お出になるそうですね」


「はい。このラムス、全力をもって敵と当り、見事ファティス様をお守りいたします!」


「止めは致しません。貴方様が自ら選んだ道なれば、それも良いでしょう。元より、ローマニアの殿方は頑固者揃い。一度言ったことを覆す事はないと知っています。しかし……」


「しかし?」


「理由を……戦う聞かせていただけないでしょうか」


 ファティスは顔を上げ、はっきりとした口調でラムスに問うた。


「……話さぬわけにはまいりませんか?」


「まいりません。私の為に命を賭して戦うというのに、その私がただ守られるばかりでは筋が通りません」


「貴方が好きだから。と、いうのではいけませんか?」


「……」


 ファティスは黙し、再び下を向いた。それはラムスの想いへの拒絶であった。しかし、ラムスは一向に表情を変えないばかりか、高笑いさえする始末であった」


「何か、おかしいですか?」


 さすがのファティスも馬鹿にされたと思ったのか、可憐な瞳でラムスを睨んだ。


「いえ。やはり思った通りだなと、つい笑ってしまったのです。お許しください」


「思った通り?」


「ファティス様。貴女は、私の兄、レーセンを慕っていらっしゃる。それが堪らなく嬉しいのです。私の兄は、素晴らしい女性に愛されているのだと、誇りに感じるのです」


「お戯れを……」


 ファティスは苦しそうにラムスから顔を背けた。二度と会えぬレーセンを想ったのか、はたまた、ラムスの言葉に居を突かれたのか定かではないが、いずれにせよファティスは口を噤み困惑の相を露わにしている。ラムスは、そんなファティスを見て「本当は」と、改まった顔をして、独り言のように呟いた。


「本当は、自分の為なんです。ファティス様には申し訳ないのですが、私は、自らの力で困難を乗り越えたいと思っているのです。何もできない自分は、もう、沢山ですから……」


 何気なく吐露した言葉であったが、それはラムスの人生の意味そのものであるように聞こえた。彼の声が、眼差しが、心が、それを感じさせるのである。

 己が小心を恥じていた自分を、それを悔いていた自分をラムスは捨てた。そうして不純を取り除いた先に、彼が目指したものがあったのかもしれない。戦う意思を持つ者への変貌が!


「ラムス様は、強くなられました」


 世辞ではなかった。ファティスは心からラムスにそう言った。薄い、悲しみの色を滲ませて……


「まだまだ。です」


 ラムスは、そう応えただけであった。

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