相克14

 ファストゥルフが躙り寄り、ラムスは怯えた。


「へ、陛下……私は……」


 ラムスの上下の歯は合っていなかった。ガタガタと音を立て、必死で声を出そうとしているようだが上手くいかない。父が手にした短刀は自分を斬る為に持ち出されたのだと、ラムスは思っていたであろう。

 だが、違った。ファストゥルフは、ラムスの前に剣を差し出し、重苦しく、しかし、包容するかのように優しく彼に言ったのである。


「レーセンの形見だ。持っていくがいい」


「え……」


「こちらの都合で捨てて、それをまた呼び戻すなどと、少々勝手が過ぎたようだな。許せ」


「陛下……」


「我は止めぬ。貴様が成したいように成せ。パラティノに帰りたいのならば変えればいいし、城が恋しくなったのであればまたサンジェロスに来るがいい。長い人生、悔いのないように生きよ」


 ファストゥルフはラムスに詫び、彼の自由を認めた。この決断は王として論外であり、あってはならぬ事である。だが、ファストゥルフがこうしてラムスの逐電を見逃したのは、父としての愛。卑き生まれと蔑まれ、ずっと影に追いやられてきた息子への愛であった。


 一国の王が私情にて動くのはあってはならぬ事。知れればただでは済まぬ。此度の事が知られれば反逆を企てる者達が民を先導し、ファストゥルフから王位を簒奪せんと躍起になること必至。だが、ファストゥルフは公言するであろう。自らがラムスを逃がし、彼に自由を与えたと。

 全ての責を負うのは王として当然の義務である。だが、今この状況でそれが意味するのは、今日まで続いた歴史ある大国。ローマニアの崩壊である。それをもって、ファストゥルフの言を如何なるものとするか。賛否は、人により別れるであろう。


「ラムス。最後まで、我は貴様の父親ができなかった」


「そんな事は……」


「だが、これだけは覚えておいてほしい。レーセンは、立派に兄としての務めを果たしたと」


 ファストゥルフの声が弛んだ。レーセンの名が、彼が持つ鉄の心にひびをいれたのだ。彼が初めて聞く王の、父の咽びであった。


「父上……私は!」


 ラムスは口を開け、ファストゥルフに向かった。だが。


「言うなラムス。もはや言葉は不要。何を述べても花を汚すだけよ」


 二人はしばらく見つめ合ったが、ファストゥルフは背を向けてサンジェロスへと去っていった。ラムスは涙を堪えていた。だが、その雫が頰を濡らす前に、彼は鞍に飛び乗り馬を走らせた。嘶きが彼方から聞こえる頃には、裏門には、ファティスとカルロの二名が残るだけであった。







「あの……」


 ファティスは側に立つカルロに向かって、何やら言いたげな顔をしている。


「ご安心ください。此度は陛下とラムス様の語らいにございました。ファティス様に責が及ぶ事はございません」


「いえ、そうではなく、なぜファストゥルフ陛下は、このような時間に、このような所へいらっしゃったのでしょうか……」


「……それは私の預かり知らぬところでございます」


 その問いに、カルロは嘘を吐いた。彼はファティスに相談を持ちかけられた際、ありのままをファストゥルフに報告していたのだ。しかしそれは咎められる事ではない。彼はローマニアに仕える従者である。何かあれば逐一ファストゥルフに報告するのが彼の仕事であり忠義である。秘密裏に為し得たかったのであれば、彼に協力を仰ぐ事自体が間違っている。

 だが、結果を見ればファティスの選択は間違ってはいなかった。ファストゥルフはカルロから話を聞いた時、こう述べている。


「我が子をここまで想った人間が他にいようか」


 ファストゥルフは感涙を滴らせる寸前であった。目頭を抑える手が赤く染まっている。彼は、ファティスの行動に打ち震えていた。

 ラムスはサンジェロス内にて奇異と蔑みの目で見られていた。それを知らぬファストゥルフではなかったが、彼にはどうする事もできなかった。厚遇すれば批判を買い、薄遇すれば非道の誹りを受ける。呼び戻したはいいが、彼は父としての責務を果たせず、全てをレーセンとカルロに任せきりにしてしまっていた。故に、ファティスの企てはファストゥルフの心を揺らしたのである。


「……ラムスには好きにさせたいと思うが、どうか」


 ファストゥルフがそう聞くと、カルロは反対の意を示した。


「恐れながら、ラムス様はサンジェロスにて、今一度学ばれた方がよろしいかと」


 カルロの言う事も尤もである。ラムスがいなくなれば、跡目の問題で確実に揉める。揉めるだけならばいいが、例の議官達がこれ幸いとファストゥルフを陥れる為に謀略の限りを尽くすだろう。そうなれば国の混乱は避けられず、無用な血が流れる事となる。だが、ファストゥルフもそれは分かっているに違いない。しかし。


「……それもまた是か。だが、教育を施したところで獅子にはなれぬ。勇ましきは覚悟の先にありて知識の中にはない。ラムスに覚悟が定まらぬなら、いずれにせよこの国は終いだ。なれば、奴の心のままにさせるのもまた手だと思う」


 ファストゥルフは承知の上で、敢えてラムスの逐電を認めたのであった。それは父としても、王としても、身を切られるような選択であっただろう。だが、父も王も、必ずそうした決断をせねばならぬ瞬間が訪れるものである。結果の是非はともかくとして、その瞬間に即断できねば、いずれの資格も持たぬ者であり、それを鑑みれば、ファストゥルフはいずれの立場から見ても、統べる人間として相応しかった。


「全ては、陛下のままに……」


 カルロは委細を承知しファストゥルフの前に膝を着いた。それから「ファティス様の処遇は」と、ついでのように聞いたのは、ファストゥルフの答えが分かっていたからであろう。







「さぁ、今宵は冷えます。そろそろ、お戻りになられてはいかがですか。ファティス様」


「……そうですね。それと、カルロさん。ファストゥルフ陛下にお伝え願いたい事があるのですが」


「如何様なな御用件でございますか?」


「責はないと仰られましたが、此度は件は私の一存により大事となりました。その罰は如何様にも受けますれば、命だけはどうかご容赦の程をと……」


 低く、唸るようにしてファティスは言った。はっきりといってしまえば命乞いであったが、不思議とそれは見苦しくなく、返ってファティスの強さを感じさせるものであった。

 ファティスもまた生きている。紡がれた命を、必死で守り通してきた。彼女の生への渇望は、並々ならぬものである。それでいて、此度の暴挙にも等しい行動は、下手をすれば自らの首が跳びかねないものであり、ある種の矛盾を孕んだものであったが、生きながら死にゆくラムスの姿を見た彼女は、それを捨て置く事ができなかったのだろう。生を求め続けてきたファティスである。生きるも死ぬ決めかね伏せるラムスに対しては、同情と憤怒の念が湧き上がっていた事だろう。そして、もしレーセンが生きていれば、彼もまた……


「ファストゥルフ陛下は、ファティス様に謝儀の意を示しておられました。貴女様に罰が下る事はありませぬ故、どうぞご心配なく」


「ファストゥルフ陛下が……あの、私になぜ感謝を……」


 珍しくカルロが口を滑らせた。普段は鉄人形のように無表情で正確に動く彼が、失態を見せたのであった。その迂闊が生じたのは、、彼もまた、ラムスを、ローマニアを愛しているから故である。


「……ファティス様。戻られましたら、お茶をお淹れしましょう」


 彼らしくない誤魔化しであった。しかしファティスは気にも止めず、柔らかな微笑を返すだけであった。

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