相克13

 五日経った。議会では、パルセイアと対峙する決闘者を未だ決めかねていた。

 兵士の中から適当に。というわけにはいかない。国事である。選手するには相応の人格が求められた。

 死して失うには惜しい人材を出すわけにもいかず、かといって匹夫を送るのは国事である決闘を穢す行為。その人選は、難航を極めた。



「近衛から適当な人材を一人出せばよろしいのでは?」


「馬鹿な。陛下の周りを固める兵を簡単に出せるか」


「しかし、パルセイアは……」


「他国は他国だ。それに、我がローマニアには伝統がある」


 臣下達はこぞって論を交わしていたがファストゥルフは無言であった。一文字に閉められた口元から、案が浮かばないのではなく、敢えて言わぬようにしているよう見受けられるがそれに気付く者はおらず、皆、自らが推す人間の名を誇り、他者の推薦を批判している。これでは議会の体をなしていない。正に烏合の衆である。話は煮詰らず、この日も何も決まらず、悪戯に時間だけを浪費しただけとなった。


 無為な時間が流れているのは、議会の場だけではなかった。

 この頃ラムスは以前にもまして部屋に篭るようになっていた。部屋でなにをするでもなしに、ただベッドの上で丸くなっているばかりで、時には呼吸が止まっているのではないかと思われる程に音を立てなかった。たまに戸を叩く者がいても彼は無視を決めていた。なぜなら、その大半が彼の身を案じている人間ではないからである。戸を叩き、名を名乗るのは、ラムスに対し「次期当主として」と重圧を与える者ばなりなのである。彼らがなぜわざわざラムスの元を訪ねるのかは、語るまでもない。


 ラムスはベッドの上にいるだけで寝ていなかった。食事も摂らず、ただそこにいるだけである。「逃げればいい」と、ファティスに言われはしたが、城を抜け出すには至らず、さりとて戦おうともせず、現状に窮するだけの腑抜けとなっていた。朝も夜も彼を慰める事はなかった。あるのは静寂。ただそれだけ。孤独がもたらすのは精神の壊死しかない。これでは議官達の思う壺である。このままいけば、ローマニアは私利私欲を貪る人間の肥やしとなってしまうだろう。そうなれば、数多の人間が希望なく苦しむ統治が敷かれ、一つの歴史が終わるわけであるが、それをラムスがどう考えているかは定かではない。





 陽が沈んだ。黄金を静かに見送るローマニアの街は、黄昏以上に黄昏れ、夜以上の夜を迎えた。ラムスの部屋はランプも燈らず暗闇に満ちている。

 その部屋の窓が軋んだ。風ではない。規則的な何かが、窓を揺らしたのだ。ベッドの上にいるラムスは最初そのままにしていたが、あまりに執拗な為、遂には起き上がり、部屋とバルコニーを隔てるカーテンを引いたのであった。すると、そこには。


「……! ファティス様」


 窓にはファティスが微笑みを向けていた。これには塞ぎ込むラムスも驚天動地であろう。なにせ彼の部屋は地上より遥か高く離れているのである。にも関わらず、いったいどうしてファティスがここへ来たのか。それも斯様な夜分に。ラムスは全てにおいて混乱しているだろう。開いた口が、塞がろうともしていないのだから。


「どうなされたんですか。どうやって来たんですか」


 わななく腕で窓を開け、ラムスは早口にそう聞いた。


「上から参りました。最近、扉からお出にならないと聞いたので」


「はぁ……」


 見ればラムスの上の部屋から庭先まで延びる紐が垂れ下がっている。ファティスはこれを伝ってやってきたのは明白だったが、彼女にそこまでの行動力があるとは思わなかったのか、ラムスは唖然としており、肝を抜かれたように虚ろで、他の者が見たら、「情けなし」と吐き捨てるくらいには間抜けな面構えであった。しかし、次のファティスの言葉でそれは一変する。


「では、下に行きましょう」


「は、え、何ですって?」


「下りるのです。この紐を使って」


 揺れる紐をラムスは見た。左右におぼつかず危うい。一度ひとたび風が吹けば彼方へ飛んでいってしまいそうである。それを伝い地上に降りる想像をしたのか、ラムスは息を呑み冷や汗をかいていた。


「む、無理です……」


「無理ではございません。私がやったのですから」


「わ、私には無理です! それに、そのような無茶をして、いったい何の意味が……」


「無論、逃げるのです」


「……!」


「ラムス様は、かつてお過ごしになられていたパラティノが恋しいのでしょう? ですが、中々踏ん切りが付かぬようでしたので、僭越ながら、この度ご帰郷の手筈を整えさせていただきました」


 ファティスは跪きそう述べた。笑っているが、翡翠の輝きが闇の中で煌めいている。

 本気である。

 ファティスは本気で、ラムスを逃がそうとしている。

 一国の王子が行方をくらます。それがいかなる意味を持つか。ファティスが分からぬはずがない。しかし、それでも彼女は、本気でラムスをサンジェロスから逃がそうとしているのであった。それを知ったラムスは後退りをし、震える。


「あ、貴女には常識がないのですか! そのような事許されるわけが……」


「許されます」


「……!」


 動転し声を荒げるラムス。しかし、ファティスは言葉を遮り断言した。あってはならぬ恥を是としたのであった。


「故郷を想う気持ちを、いったい誰が咎めましょうか。帰る場所があるのであれば、いつだって帰って良いのです」


「し、しかし、私には責任が……王子としての立場が……」


「過ぎた重荷を降ろす事がどうして罪となりましょうか。人は持てるものしか持てません」


「私がいなくなれば、誰が王位に……」


「それは分かりません。しかし、背負えぬ責を背負い果てれば、一番苦しむのは民草でございます。失礼ながらラムス様のお背中は、私には頼りないように思えます。それでは人を救えません。導けません。無用な悲劇が起こるだけでございます」


 ファティスの言葉に容赦はなかった。いくら王族とはいえ、他国の王子に申していい苦言の域を超えている。いってしまえば暴言であったが、その歯に衣着せぬ物言いは、とある人物を想像させる。それは……


「……分かりました。行きましょう」


 ラムスは一言発し逃げる準備を始めた。彼はファティスに、そのとある人物を重ね、従ったのである。その証拠にラムスは涙を流し、もはやどうしても会えぬその人物に向かって呟いたのであった


「兄上……」








「予定より遅れております。お早く」


 二人が紐を伝い地上に下りると、どこからかカルロが現れた。ラムスは驚いたが、ファティスは平然としていた。然るに、どうやら彼女がカルロを抱き込んだようである。


「訳を話したら、手伝っていただける事となりました」


「そ、そうですか……」


 足早に移動する中、あっけらかんとそう笑うファティスにラムスは若干の畏怖を覚えたようだが口には出さなかった。





 程なくして裏門についた。そこには馬がおり、鞍が取り付けられている。逃走用に準備されたものである事は自明であった。


「さぁ、早く」


 ファティスはラムスを急かし馬に乗せようとした。しかしその時である。


「待て」


 地震のように重く響く声がラムスを留めた。声の正体は……


「……陛下……」


 ローマニア当代当主にしてラムスの父。ファストゥルフであった。

 石のように固まるラムスと、それを見るファティス。カルロはいつもと変わらず、直立不動である。ゆるりとラムスに近付くファストゥルフの手には、王家代々の短刀が、力強く握られていた。

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