第19話 一〇万の兵はラクじゃない
「カパック王、もうちょっと歴史を勉強しておいた方がいいんじゃないでしょうかね。チンギス・ハンのモンゴル軍は、史実として、12世紀末から13世紀前半にかけて、大軍を率いてユーラシア大陸を縦横無尽に駆けめぐってこの時代の世界史を席巻したんですよ? 史実として、ですよ? 補給問題をなんとかできるからこそ、世界史上空前の征服活動を行うことができたんですよ。それに、モンゴル軍は行った先のインカ帝国でじゃがいもを掠奪して食料を現地調達で確保しました。だからモンゴル軍はセーフです」
「そ……そんなせっしょうな……」
にべもない、ファンタジー警察の説明に、カパック王は膝から崩れ落ちる。
「……じゃあ、つまり、モンゴル軍によるじゃがいもの掠奪をファンタジー警察の権力で無効にすることはできない、ということか?」
「はい、無理ですね。残念ですが、切り替えてください」
そう言われて、はいそうですか、と簡単に納得できるものではなかった。カパック王はしつこく食い下がる。しつこさに関しては、憎き仇敵であるマヤ文明を見習うべきだろう。
「いや待て待て。ミミズ千匹でラサからクスコまで地下にトンネルを掘る、という無茶な展開に対してはどうなのだ。現実離れしているだろう」
「そこはファンタジー部分ですから。それを言っちゃったら、カパック王だって散々ファンタジーで無茶苦茶な展開をやらかしてきたじゃないですか。今更それを全部無効にしますか? ファンタジー警察っていうのは、ファンタジー作品におけるリアリティについて監視するものであって、ファンタジー展開に野暮なツッコミを入れるためにある存在じゃないんですから、勘違いしないでいただきたいです」
ファンタジー警察の冷静な指摘に、カパック王は憤りの砂を噛むばかりであった。
「あ、待てよ。ラサからクスコまでミミズ千匹でトンネルを掘った、ということは、そのトンネルは我がインカ帝国軍も通ることができる、っていうことじゃないのか。だったらクスコで一〇万の軍勢を編成して、それで逆にラサに攻め込んでやればいいのだ。さすが私。頭イイな」
逆境にあってもすぐに名案が閃く。これぞ聡明なカパック王の面目躍如である。
だが、ファンタジー警察はあくまでもリアリティ路線だった。
「やめておいた方がいいでしょうね」
「何故だ」
「一〇万の兵とおっしゃいますが、どうやって維持するのですか。どうやって運用するというのでしょうか。敵が掘った地下トンネルを再利用して使うとはいっても、クスコからラサまでの長距離移動が必要なことには変わりありません。補給線が遥々長くなってしまいます。どうやって進軍するのですか。現実的な、リアリティのある答えを出すことがカパック王にはできますか」
「モンゴル軍はできたではないか。どうして我がインカ帝国軍にだけ突っ込みを入れるのだ。依怙贔屓ではないか」
「依怙贔屓しているのではありません。これが現実だからです。チンギス・ハンの時代のモンゴル帝国は、ユーラシア大陸の全土を所狭しと蹂躙し、史上空前の大帝国を築いたのです。そういう史実があるのです。それは、その時代のモンゴルだからこそできたのです。モンゴルだけが歴史の事実としてできたのです。じゃあ例えば古代エジプトが、ラーの御旗のもと、ファラオに率いられた軍勢で、ナイル河流域だけでなく、アフリカ全土を征服し、地中海を挟んでヨーロッパ全土を席巻し、それだけでなくユーラシア大陸の東端の中国、その時代だったら春秋戦国時代とか始皇帝の秦や前漢などをも征服しても良かったんじゃないでしょうか。どうして古代エジプトは、ピラミッドなんて作るくらいに強大な権力を持ったラーによって支配されていた王国なのに、そこまでの征服活動をしなかったのか、考えてみてください。勿論、己の故地であるエジプトだけを支配して満足した、という可能性もあるでしょう。しかし、だったら、やろうと思えば征服は可能だったと思われますか。答えは一つです。無理です」
「ぐぬぬ」
モンゴル軍が優れていて、己のインカ帝国軍は劣っていると言われているのだ。しかし、モンゴル軍が強かったのは史実だ。カパック王といえども言い返せない悔しさがあった。
「それでも納得できないなら、別の例を挙げてみましょうか。豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵したのはご存知ですよね」
「知らん。そもそも誰だ、豊臣秀吉って」
「はぁ? 豊臣秀吉をご存知ない、ですと? そりゃカパック王、重症ですよ。いくらなんでも偏差値低すぎです。小学校から勉強し直した方がいいのでは」
「そもそも豊臣秀吉って、いつの時代のヤツだ。私は西暦1197年を生きているから、それ以降の人物や歴史について言われても分からんぞ」
「……あ、そうでしたね。豊臣秀吉というのはカパック王よりもだいぶ後の時代の人物ですが、ユーラシア大陸の東の端にある島国である黄金の国ジパングで、戦国時代を終わらせて天下を統一した猿のフレンズです」
「そうなのか。で、その猿がどうしたって?」
「日本を統一して、それでもあきたらず、朝鮮半島にも進出しようとしたのです。で、道中で虎狩りなんぞして楽しんでいた模様ですが、結局は中国の明王朝も出てきて迎撃されて、最終的には撤退しました。さっきの古代エジプトと同じですよ。朝鮮半島などさっさと征服して、明も手っ取り早く平らげて、インドもヨーロッパも、更にはアフリカも、全部征服してしまえば良かったじゃないですか。でもしなかった。なぜだと思いますか? できないからに他ならないですよね?」
悔しさのあまり歯を噛み締めたカパック王、ついにその場で盆踊りを踊りながらビリー・ジョエルのオネスティを歌い始めた。ただしリズムが合わないため、変な踊り方をしている内に足がつってしまった。足がつっては戦はできぬ。カパック王は地面に倒れて左右にのたうち回った。
意味不明な行動を取っているうちに、ふとファンタジー警察の論の不備に気付いた。
「そ、そうだ。ファンタジー警察よ。お主の言うことには見落としがあるぞ。古代エジプトや豊臣秀吉にしても、実際に軍を進めようと思ったら、妨害する軍勢がいるわけだし、川とか森とか砂漠とか山とか海とか、地形や気候によっても阻害されるではないか。それに対してミミズ千匹が掘った地下道ならば、そういった障害は何も無い。確かにクスコからラサまで距離は長いかもしれないが、地上でクスコからラサまで行くのよりは、楽に行けるはずではないか?」
「浅い。考えが浅いですねカパック王。まずそもそも、今のインカ帝国が一〇万の兵を揃えた軍隊を編成できるのですか? 三国同盟にじゃがいもを根こそぎ奪われて、食料が足りないじゃないですか。補給線どころか、そもそも軍隊を維持することが困難になっているじゃないですか」
「そ、そうだった……本当にクッソ憎たらしいヤツだ、マヤ文明め……」
「それにですね。地下道からの襲撃っていうのは、奇襲効果が大部分なんですよ。仮に一〇万の兵で進軍しても、地下トンネルだとどうしても細いから、軍勢は極端に縦長になってしまいます。ラサに到達しても、戦闘を行うことができるのは先頭の数人だけで、それでは一〇万の軍勢も意味がありません。実際三国同盟の攻撃にしても、カパック王は予想できていなかったから奇襲として成功して、じゃがいもを掠奪できましたよね。でも今の三国同盟は、クスコとラサの間に地下道があることを最初から承知しています。当然向こうとしては、ここからカパック王の軍が攻めてくることも想定して、防御策を講じているはずです。間違っても、国の特産品を根こそぎ持って行かれるなんていうマヌケな醜態は晒さないと思いますよ。一〇万の兵というのは持っているだけでは駄目で、運用を間違えると単なる穀潰しにしかなりません。そもそも持つこと自体も簡単ではないのです。ですから今後は、安直には一〇万の兵で攻めるとか口に出さないようお願いします。そうすれば私の仕事が減って楽になりますから」
さりげなく散々カパック王の失敗をディスって満足したのか、ファンタジー警察は「どっこいしょ」と言いながら紙紙飛行機に乗り、空へ舞い上がって去って行った。
チベットの乾いた風が、立ち尽くすカパック王に吹き付ける。
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