マンコ・カパック王の憂鬱
kanegon
第1話 インカvsマヤ
「またmayaか!」
昨日即位して明日から本気出すと宣言したカパック王は激怒した。苛立ちを虚空にぶつけるようにして若さにまかせた大声で怒鳴った。怒鳴られた家臣のくの一は、まるで自分が悪いことをして叱責されたかのように身を縮めた。
「本当に由々しきヤツだ、あのマヤ文明とかいう連中は。好き放題、やりたい放題ではないか。なんとかならんのか?」
マヤ文明とは、メキシコ南東部に古くから栄えた文明である。しかし、あまりにも古い時代からずっと存在していたので、世界史の中で既に飽きられていた。オワコン化していて、緩やかな滅びに向かっているはずだった。少なくとも、カパック王はそう認識していた。
マヤ文明が滅びれば、これからは我がインカ文明の時代だ。ペルーを中心とした南アメリカのみならず、北アメリカ全てにいたるまで覇権を広げて行こう。カパック王は、夢想の翼を広げ妄想で股間を熱くしていた。
そこへ水を差したのが、あの死に損ないだったはずのマヤだ。
「おい。今の偵察報告は本当なのか?」
臣下のくの一は顔を上げた。艶やかで長い黒髪が揺れる。ぱっつんと切り揃えた前髪の下で眉根を寄せて、必死に訴えるようにして、自らの言葉の正しさをカパック王に伝えようとする。
「間違いありません。マヤは、北大西洋上に大陸を作り上げ、それにアトランティスと命名しました」
「広大な海の上に突然大陸を作るなぞ、そんな荒唐無稽なことが可能なものか。何かの間違いではないのか?」
「特殊能力を持っておられる王ならば、私の報告が嘘ではないことを、もう気付いておられるはずです」
「む……」
それはわざわざ臣下に言われるまでもなかった。自分自身の感覚であるから、自分自身が一番良く知っている。
カパック王はインカ文明の偉大なる王である。王であるからには、神にも等しい権力を持っている。そしてその権力を裏付けるものとして、神にも等しい特殊能力も持っている。北大西洋上に異物が発生したことは数日前から感知していた。それはあたかも、自分の左足に水虫ができるような違和感として伝わってきた。
「新しい大陸ができたことは分かった。しかし、マヤの奴は、それをどうやって作ったというのだ?」
カパック王は腕組みして難しい表情をした。
「それが……銀の天使、と呼ばれる魔法使いを五人も集めて、その魔法の力を結集して大陸を築き上げたのです」
「銀の天使だと?」
「はい。銀の天使は、一人一人は大した役にも立たない奴ですが、五人集まると、金の天使と同じ力を発揮することができるのです」
「それは、おかしな話だな。銀の天使は魔法使いなのだろう。ならば、大した役にも立たない奴らであるはずがない。偉大なる金の天使より劣っているというのは分かるが」
苛立ちを紛らせるように、カパック王はフライドポテトを一本口に放り込んだ。使っているジャガイモは当然ながらインカのめざめだ。
「その魔法使いというのが、普通の魔法使いではないのです。童貞のまま三〇歳になった男は魔法使いになると言われています。それを五人も集めたということです」
「なんと」
カパック王はむせて咳き込んだ。臣下のくの一の報告内容に驚いたのもあるが、フライドポテトが喉に詰まったのだ。
水を飲んで、カパック王は落ち着いた呼吸を取り戻した。しかし体の震えは止まらない。声も震えていた。
「恐ろしい。あまりにも恐ろしく残酷だ。三〇歳過ぎで童貞の男を五人も用意するなど、マヤは目的のためには手段を選ばぬ鬼畜か……」
童貞自体は珍しいものではない。一〇歳未満の男の子など、ほぼ全員童貞だろう。しかし、まだ一〇代の頃ならともかく、三〇歳にもなって童貞を保っているなど、普通ではない。
それは、コミュニケーション能力などを含む人間性に問題のあるヤツか、そうでなければ、魔法使いになることを目指して意図的に童貞を墨守しているか、いずれかであろう。
「つまり、マヤは、童貞牧場で三〇歳になるまで育てたということか。なんという恐ろしく非道で残虐な行為だ。そのようなことが許されて良インカ?」
改めて、カパック王はマヤ文明に対する怒りを抱いた。憎むべき敵であるマヤ文明とはともに天を戴くことはできない。
「王よ。まだ報告の続きがあります。マヤ文明は北大西洋上にアトランティス大陸を作り、そこで何を始めたと思われますか? あの連中、200カイリ経済水域を主張し、そこでサンマを乱獲しているのです」
「バカな!」
カパック王は思わず立ち上がった。握りしめた両手の拳が小刻みに震えていた。
「乱獲したサンマを、刺身、塩焼き、蒲焼きの缶詰にして売りまくっています。環大西洋地域全体で、食品革命が起きようとしているのです」
「そのようなことをされては、我が主力商品のインカのめざめが売れなくなってしまうではないか。よし。我がインカが誇るガレー船を北大西洋に派遣して、その大陸に艦砲射撃を浴びせて、水底に沈めてしまおうではないか」
名案を思いついて、カパック王は瞳を輝かせた。臣下のくの一は冷静なままだった。
「同じことを考えた者が既におりまして。海の覇者であるかのスペインが、自慢の無敵艦隊を派遣して、アトランティスを屈服させてサンマを横取りしようとしたのです」
「なんと? アトランティスができて、まだ数日しか経っていないのに、もう艦隊を派遣したのか。まあ、善は急げというからな」
「サンマの横取りが善とは思えませんが、スペインの無敵艦隊は、アトランティスの氷山空母によって全滅してしまいました」
「なんだと! 奴らは空母まで持っているのか! しかしその空母、どうやって航空戦力を運用しているのだ?」
「航空兵力で戦うのではありません。原始的な体当たりです。それでも、相手は木造のガレー船なので、ひとたまりもなく無敵艦隊は壊滅しました」
「そんなアホな話があるか。それはもはや空母とはいえないではないか」
「しかし、氷山空母ですから、全体が氷でできています。漁獲したサンマを新鮮なまま保存できて一石二鳥なのです」
「そうか。ならば仕方ないな」
カパック王は納得して深く頷いた。
「スペインの無敵艦隊でも敵わないとなると、無闇にガレー船を出しても駄目だな。ならば、一〇万の兵を集めて、マヤ文明の本拠地を攻め滅ぼそうではないか」
勇ましくカパック王がのたまった時、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
「なんだ? またピンポンダッシュか?」
しかし扉の外の人物は逃げることなく、普通に扉を開けて挨拶してきた。
現れたのは、ピンポンダッシュ以上の難敵であった。
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