第15話 1000000000000パワー

「なんだあれは?」

 カパック王の声は震えてわなないていた。あまり高すぎる高度からだとよく見えないので、カパック王は紙飛行機の高度を少し下げた。すると、地を行く隊列から矢が何本も射かけられた。ぎりぎりで回避したカパック王は、慌てて紙飛行機の高度を上げる。

「危ねー危ねー」

 そう言いつつ、カパック王はこめかみを伝った冷や汗をハンカチでぬぐう。ハンカチ王子の誕生だ。

「軍隊か。かなり数が多いな。整然とした移動だし」

 そう。

 地上では、隊列が北から南へ進んでいた。

 騎兵の隊列だ。満目蕭条たるチベットの荒れ地の道ともいえぬ悪路であるにもかかわらず、巧みな騎乗により馬を扱っている。進んでいく様子を見るだけでも、恐ろしい機動力を持った騎兵隊だということが分かる。

 少数精鋭で練度が高い、のではない。大軍で、それでいて全体の練度が極めて高いのだ。数は、一〇万騎にも及ぶだろうか。この時代に、一〇万もの剽悍な騎兵を動員できる勢力など、そう幾つも存在するわけではない。

「な、なんだアイツは?」

 一〇万の騎兵の、先頭を進む男に、自ずと視線が引き寄せられた。カパック王ほどの傑物であっても、冷や汗を禁じ得なかった。それほどに、騎兵集団の先頭を行く三〇代半ばの男は、身に纏うオーラが違っていた。

 いや、分かっている。カパック王は賢く頭脳も優秀なのだ。荒涼たる大地を進む奴らが何者であるのか。

「あいつら、チンギス・ハンの率いるモンゴル軍だ。なぜこんな所を進軍しているんだ? てか、なんでチンギス・ハンなんていう世界史上屈指のツワモノが出てくるんだ? 時代設定オカシイんじゃないのか?」

 おかしくはない。

 今は西暦1197年である。まさにチンギス・ハンの生きた時代であり、力をつけてこれからユーラシア大陸狭しと駆けめぐり始める頃だ。これから、史上空前の大帝国を建設するのだ。

「一体何が起きているんだ?」

 カパック王は、矢が届かない高い安全な位置から、チンギス・ハン軍の動きを観察し続けた。チンギス・ハン軍の兵士たちは、ひとりひとりがモンゴルマンである。モンゴルマンといえば、2000万パワーズの片割れであり、つまりは一人で1000万パワーということになる。一人10000000パワーが100000人である。桁数が足りなくなるので電卓で計算できなくなるくらいの凄まじいパワーを含有した強力な軍隊であるということが、上空から俯瞰するカパック王にもビンビンに伝わってくる。

 そうこうしているうちに、一〇万の軍勢はマルポリの丘の前の広場に集結した。麾下の精鋭たちを前にして、稀代の英雄が白と紅の補陀落宮殿を背にして語りかけ始めた。

「蒙古の勇士たちよ、静聴せよ。我々の故地モンゴルは、海に沈んだ。諸君も既に承知の通り、インカ帝国のマンコ王が、マヤ文明との戦争に際し、海面を上昇させてマヤ文明を沈める、という非人道的で残虐な手段を使ったためだ」

 マンコ王じゃねえよマンコ・カパック王だよ、と言いたかったが、空中から言っても届かないだろうから黙っていたカパック王である。

「我らが故地北のモンゴルとここ南のチベットの地は、古来より文化圏として青海の地にて隣接していて、密接な関係を保ってきた。この未曾有の国難にあたって、今こそ手に手を携えて協心戮力すべき時ではないか。ということで、モンゴル、チベット、そしてマヤ文明の三者で同盟を締結し、一丸となってかの地球の害悪マンコ・カパック王を倒しに行く!」

 高らかに、草原の狼が宣言して、演説は終わったようだ。

 カパック王は、よりによってモンゴルのチンギス・ハンンという大英雄を敵に回してしまうという最悪の展開に陥ってしまったのだった。

「ガーン」

 あまりのショックに紙飛行機が揺らぎ、危うく地面に墜落しそうになった。が、すぐにカパック王は立て直した。カパック王に不可能は無い。

「いやいや落ち着け。史上最強のモンゴル帝国を敵に回してしまったことで、柄にもなく少し動揺してしまったではないか。落ち着いて考えれば、それほど恐れる必要も無いのだった。ふふふ」

 大船である不沈空母ムー大陸に乗った気分で、カパック王はどっしりと構え直した。

「そうだった、そうだった。チンギス・ハンに率いられた一〇万のモンゴル騎兵といえども、このカパック王の敵ではない。恐るるに足らず。まあせいぜい、演説の時だけ威勢のいいことを言っていればよいだろう」

 余裕の態度を保ち、カパック王はニヤリとほくそ笑む。

 チンギス・ハンの軍勢は一人一人が一騎当千の勇者である上に一〇万の大軍であるが、既にカパック王は弱点を見切っている。

「一〇万の大軍というが、その数の多さがかえって命取りだ。軍隊というのは数を揃えるだけなら、まあできないではない。だが、それを維持して、その上移動するとなると、補給線が長く延びてしまう。だから私も、一〇万の軍でマヤ文明に攻め込もうとして、ファンタジー警察に突っ込まれて諦めてしまったのだ。愚かなりモンゴル帝国。数の多さで自滅するパターンだな」

 歴史上、いかに数の多い軍勢であっても、補給が上手く行かずに壊滅した軍も多い。

「チンギス・ハンめ。ここが貴様にとってのガダルカナル、あるいはインパールとなるのだ」

 西暦1197年のはずなのにカパック王は第二次世界大戦ネタを何故知っているのか、突っ込んではいけない。

「それだけではない。今は海面上昇で、地球の大部分は海だ。陸地が繋がっていないならば、騎馬の大軍は我がインカ帝国に攻めて来ることはできないはずだ。船に乗れば来ることはできるかもしれないが、それならば海軍力の勝負となる。モンゴルの強さの理由であった騎馬の強さというアドバンテージを活かすことができないならば、いかに剽悍で精強な蒙古騎馬兵といえども恐れることはない」

 刀剣とか城とか神話とか動物とか美術とかいった知識をアドバンテージとして使って無双して女子と仲良くなってオフパコし放題のカパック王のお言葉には重みがある。

「む? モンゴル兵ども、どこへ行くつもりだ? 船に乗るのではないのか?」

 チベットの港、ラサ川とヤルツァンポ川の合流地点にある漁村から船に乗り込むのかと思っていたら、チンギス・ハンに率いられた世界最強の軍隊は、静かに補陀落宮殿へと入って行く。

 マルポリの丘から直接生えてきたかのように屹立している白い花崗岩の白宮と、その上に載せたような形で聳え立つ紅煉瓦を積み重ねた紅宮。チベットの偉大な建国王である、かのソンツェン・ガンポが築いた壮麗な巨大宮殿だ。現在のポタラ宮殿は、この宮殿の跡地を補修、増築したものだ。なので、現在のポタラ宮殿よりは一回り小さい宮殿ということになるが、それでもこの時代としては世界でも有数の巨大な建築物ということになる。

 巨大建築物なので、一〇万の騎馬兵たちも少しずつ飲み込んで行く。時間はかかっても、恐らく全員を収容することはできるだろう。だが、カパック王には不可解に思えた。

「なんだ? あれだけかっこつけて演説して威勢良くインカ帝国に攻め込むとか言っておきながら、実際の行動は補陀落宮殿に引き籠もりか? 言っていることと実際の行動が不一致じゃないか? かの歴史上の英雄のチンギス・ハンたる男が、有言実行もできないというのか?」

 文字通りの高見の見物である。

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