第6話 ハロー! 公共職業安定所
かくして、インカ神話のカパック王は不倶戴天の敵であるマヤ文明に勝利したし、悪人は逮捕された。「歌の歌詞の中で人の物を盗む描写があるのは子どもの教育に悪影響があるのではないか」というPTAあたりが言いそうなイチャモンに対するアンサーが出た。
しかしその代償は大きかった。カパック王には更に困難な道が待ち受けていた。
「ジャガイモ畑が全滅しただと!? そんなバナナ!」
思わずくだらないダジャレを叫んでしまうほどにカパック王は動揺していた。
ジャガイモはインカ帝国の主要産物である。名前の通りインカのめざめなのだ。
「忌々しいmaya文明め……」
カパック王は呪詛の言葉を吐いた。
メキシコに栄えるマヤ文明の陰謀により、地球規模での海面上昇が起きたのだ。それにより、低地は全て海中に没して滅んだ。アトランティス大陸もムー大陸も沈んで、伝説の存在となった。
アンデス山脈の高地にあるインカ帝国は水没による滅亡はまぬがれた。が、全く影響が無かったわけではない。ジャガイモ畑の多くが海水に覆われてしまい、根腐れを起こしてしまったのだ。
「王よ、俺たちジャガイモ農家はこのままだと破滅です」
「カパック王、国費による補償をお願いします」
扉の外では、集まったジャガイモ農家たちが騒いでいる。
カパック王は有能な王ではあるが、全てを一人でこなすのは難しい。急がば回れともいう。まずは、補佐する人物が必要だ。
「秘書が必要だ。ハロワに求人を出そう」
王はトイレに入った。水洗トイレだ。
カパック王は自ら便器の中に入り、レバーをフラッシュした。水が流れ、王も一緒に流れて行った。
下水道の中を、王は流れて行った。インバートから溢れることもなく、途中で中継ポンプ場を経て、下水処理場に入った。
下水処理場で汚れを浄化されたカパック王は、きれいな体になって川に放流される。
川はやがて、海に流れ込む。今は海面上昇により、川はすぐに終わって海に至る。
海に流れ出たカパック王は、何隻も浮かんでいる船の一つに乗り込んだ。
「ようこそいらっしゃいませ。ハローワークでございまぁす」
妙に色っぽい声で、受付のお姉さんがカパック王を迎えてくれた。
ハローワークも海面上昇により建物が水没してしまったため、船の上に移って業務を継続しているのだった。
「秘書が欲しいので求人を出したい」
「どんな人物が良いですか?」
「秘書技能検定2級以上。巨乳で」
ハロワ職員のお姉さんは驚いた。
「巨乳ですか? それは、秘書の能力とどう関係あるのでしょうか」
「何を言う。無関係ではないぞ。巨乳というのは豊饒の象徴だ。古代から、女神の像などは、胸や尻が大きく描かれてきただろう。それは単なる下劣な性欲の発露ではないのだ。豊饒の象徴なのだ。だから巨乳は必要な能力なのだ!」
カパック王は唾を飛ばしながら熱弁した。強い勢いで言い募られて、ハロワのお姉さんはイヤそうな表情をした。
「わ、分かりました分かりました。で、給与などの細かい就労条件を、こちらの紙に記入してください」
そう言って、ハロワのお姉さんは紙とペンをカパック王に渡した。
「……おい、申込用紙はともかくとして、このペンは何なんだ?」
どう考えてもそれは、ペンというよりは短剣の形をしていた。
「マンゴーシュです。フランス語で左手という意味で、その名の通り左手に持って戦う短剣です。このマンゴーシュでレイピアなどの相手の剣を受け流したり折ったりするためのものです」
「いやだから、紙に記入するためのものなのだから、短剣じゃ意味が無いだろう。ペンを出してくれよ」
「カパック王よ。ペンは剣よりも強し、という言葉をご存知ではありませんか。このマンゴーシュは相手の剣を壊すものです。つまり、剣より強いのです。剣より強いものだから、これがペンなのです」
ハロワのお姉さんの無茶苦茶な理論に、カパック王は口をあんぐりと開けて呆れた。
「……それに、マンゴーシュ、という名前はマン○に似ていてビミョーじゃないか? だから、そこを誤魔化すために、マイン・ゴーシュとかいうフランス語をガン無視した呼び方もゲームあたりでは使われているんじゃないのか」
「カパック王が、名前がどうこうというそれを言いますか?」
それもそうだった。カパック王はフルネームで、マン◎・カパックというのだ。
そう言われては反論もないので、カパック王はマンゴーシュを受け取った。しかし、短剣は短剣であってペンではない。これでどうやって紙に必要事項を記載しろというのだろうか?
「短剣の先端で自分の親指の皮膚を切って血を出して、その血で字を書くのです」
「なんだ、血判状みたいなものか」
「血で書くのですから、嘘は許されません」
カパック王はマンゴーシュを右手に持った。本当は左手に持つためのものだが、右手にレイピアなどの主要の武器である剣を持っていないのだから、左手に持つ意味が無い。
マンゴーシュの尖った先端で、左手の親指を軽く突き刺す。カーネリアンのような真っ赤な血液の玉が皮膚に浮かび上がる。その血をマンゴーシュの先端に付けて、申込用紙に必要事項を書き込む。
「勤務地。クスコの王宮。制服貸与、経験不問。というか未経験大歓迎。未経験大歓迎。大事なことなので二回書いておいた。むしろ非処女はお断り。業務内容は秘書としてカパック王の事務的な補佐、助言をすること。勤務時間は週40時間。残業なしなので残業手当もなし。三六協定も未締結。給与は時給756円。賞与は年2回、合計2カ月分。こんな感じでいいかな?」
「社会保険等はどうなっていますか?」
ハロワ職員のお姉さんの言葉に、カパック王はしばし考え込む。
「厚生年金あり、保険は国民健康保険で。退職金は中小企業退職金共済で。労災保険は無し」
「インカ帝国なのに中小企業退職金共済なのですか?」
「なんか文句あるか?」
「いえ、それで結構です。年齢制限等はございますか? 定年は?」
「上限は1200歳まで」
「はい。必要事項に記載したら、用紙をおわたしください」
カパック王は、紙に記した文字のインク(本当は血)が乾くのを待ちながら、記載漏れや誤字脱字が無いことを推敲確認して、ハロワ職員のお姉さんに手渡した。
その紙をどうするのかと思ったら、どこかにFAXでも送るのか、機械の中に挿入する。そして、金属が擦れるような耳障りな音が微かに聞こえたと思ったら、機械の反対側から紙が出てきた。
ギザギザハートの子守歌以上にギザギザに切り刻まれた状態で。
「ゑっ? それって、シュレッダーじゃないのか?」
お姉さんは、ギザギザの紙くずになった用紙を、突っ立ったまま見下ろして固まっていた。お姉さんの頬を、汗がひとすじ、伝って落ちた。
「え、ええと。申し訳ございません。この条件に合致する人材はいない模様です」
「嘘つけオイ。今、シュレッダーにかけて紙を駄目にしただろう」
「ですが、秘書技能検定3級で、貧乳ならば、条件に合致する方が一名おります」
「いるのかよ!」
自分で無茶振り条件を書いておきながら、カパック王は驚愕した。
「その子です」
ハロワ職員のお姉さんは、船の舳先でのんびり魚を食べている猫を指さした。
「いや、比喩表現として猫の手を借りたいほど忙しいのは事実だが、だからといって猫を紹介されても困るな。冗談は顔だけにしてくれJK」
「冗談ではありません。ご覧ください。ヤパーヤパー! マウラー! ヤママヤー!」
お姉さんが呪文のような奇声を発したと思ったら、猫に異変が起きた。
天から金色の光が差し込んで、猫を包んだ。まるで、AVにおける見えてはいけない部分にモザイクをかけたような状態になった。カパック王は慌てて、通販で買ったモザイク取り眼鏡をポケットから取り出して装着した。
大いなる期待をこめて、カパック王は目をこらした。
その目には何が映るのか?
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