第33話 祈り
名前はババ臭いけど見た目は美少女。まるで短パン蝶ネクタイの小学生探偵みたいな犬飼フサ子がナチュラルに質問する。
「文学部ということで、成績表を拝見いたしますと、まあいわゆる文系科目の授業を選択しておられるようですが、これらは社会においてどれくらい役に立つ目処がありますでしょうか? たとえば、第二外国語としてフランス語を選択しておられますが、フランス語を喋ることはできますか?」
「できません」
屈辱を噛み締めながら、金の天使は返答した。
ここで、「できます」と見栄を張るという選択肢もある。だが、「じゃあフランス語で喋ってみてください」と言われてしまうと、すぐにボロが出てしまう。ウソは禁物だ。
「成績は優、良、可、不可、の優ですよね」
「その時だけは勉強しましたので」
金の天使の額から、鼻筋を通って冷や汗がぽたりと落ちる。部屋は更に冷える。そして地球も冷える。
そして蝦蟇の油のように搾り取られた氷河期の雫が地球を冷やし冷やして、臨界点を迎えた。
ひゅうううぅぅぅぅ
部屋の中を微かに流れ行く空調の風すら、冷たくなった。
地球は、氷河期を迎えた。
アマゾン川が凍った。
ルビコン川も凍った。
青く美しきドナウ川も凍った。
春のうららの隅田川が凍った。
♪ラン、ランララランランラン、ラン、ランラララン♪
シャングリラの茶の木は凍り付き、ユートピアの花畑は枯れて凍って風に吹かれてぴきぴきと折れた。東武伊勢崎線は寒いからという理由でさっさと運休になった。トラックの燃料の軽油も燃料タンクの中で凍ってシャーベット状となってしまったため、トラックはのきなみ高速道路で立ち往生してしまった。トラックが走らないと、轢かれて異世界に転生する主人公も現代日本にとどまるしかない。
チベットの補陀落宮殿の紅宮も霜で覆われて真っ白になり、ヤルツァンポ川も凍結した。モンゴルの草原も、生えている草が葉脈の中を通っている水分の凍結で、カチコチになってしまい、あっという間に枯れてしまった。草を食べられなくなった馬がひひんと鳴きながら餓えて倒れた。
「始まったか! ついに地球が氷河期になったぞ!」
面接官として一番端の席に座っていたカパック王が立ち上がって叫んだ。
「えっ? 氷河期になったからって、何がどう変わるんですか? ただ寒いだけじゃないんですか? 私、寒いのは苦手なんで、できれば勘弁してほしいんですけど」
そう言ったのは金髪・ツインテ・貧乳だった。
「なんだお前、この面接の目的を忘れたのか。氷河期を地球に復活させて、海面上昇を解消するのだ」
そうこう言っている間にも、氷河期は着々と進行しつつあった。
ナイアガラの滝を凍らせ、南極に置き去りにされたタロとジロを神社の狛犬のように凍らせ、ラーメン職人が作った激辛味噌チャーシュー麺をぱきぱきに凍らせ、氷河期は地球を覆っていく。
「ふはははははははは! 氷河期が始まりさえすれば、もうこっちのもんだ。海面上昇が元に戻れば、我がインカ帝国に負ける要素は無くなるからな! ぶはははははは! ……あ、お前、まだ居たのか?」
「居たのかって……あのー、私の就職はどうなるんでしょうか?」
おずおずとカパック王に意見を言ったのは金の天使だ。氷河期の冷や汗のせいで、紺のリクルートスーツも赤いネクタイも凍り付いてパキパキになっている。そのあまりの冷たさに、氷河期を再現した本人ながらもガクブルと震えている。脂肪がブルブル震動する感じだ。
「就職? そんなの、氷河期なんだから、簡単に内定が出るわけないだろう。貴殿の今後のご活躍をお祈り申し上げます」
そうは言っても、建前は建前。本音ではちっとも祈ってはいない。そして氷河期世代にご活躍の舞台は無い。そのままロストジェネレーションへと突入するのみだ。
「そ、そんな。地球の氷河期が始まったら、オレは用済みってことですか?」
「別に用済みとは言っていない。お前がしっかり働いて愛国心を発揮してインカ帝国のために粉骨砕身して貢献できるというのならば、今後もこき使ってやらないこともないぞ。なんといってもお前は金の天使なのだからな。氷河期世代とはいえ、酷使すれば有能であることは分かっている」
氷河期世代へのフォローはそれだけだった。冷たかった。氷河期だけに。
この室内も急激に気温が下がっている。空調がどうこうというレベルではなくなってしまった。
金髪・ツインテ・貧乳は、スーツの下にストッキングを4枚重ね穿きし、ラーメン職人はどこで入手したのか古風なフロックコートを羽織った。
面接を受けて氷河期そのものとなった金の天使もまた、自分の冷や汗で冷やした地球の氷河期に、冷たく苛まれて、己の両肩を抱きながら震えた。スケッチブックを取り出し、最後の一枚にゆるキャラの絵を描き、実体化させる。金の天使はそもそもこの特技を自分で承知していて上手くアピールすれば氷河期だろうとどこへでも余裕で就職できただろう。
そうこうしているうちに地球の氷河期は進行する。
琵琶湖が凍った。滋賀県の面積が大きくなったが、人間鳥コンテストが中止された。
早明浦ダムも凍った。讃岐県はうどんを茹でられなくなったので、茹でないで硬いまま氷に付けて冷やして七味唐辛子を振りかけて食べるというアイスうどんという食べ方が流行り始めた。
皇居の堀も凍った。泳いでいたドーン・フレーザーも東京オリンピックの金メダルと一緒に凍った。
津軽海峡冬景色も凍った。陸続きになったので海峡ではなくなってしまった。年末の紅白歌合戦で歌えなくなってしまった。
しかし。
地球はどんどん冷えて、各所の水は淡水も海水も容赦なく凍っていくものの、いまだに海面に変化は無い。上昇したままだ。高地にあるインカ帝国ではあるが、じゃがいも畑の多くが海水に浸かったままで、特産品のインカのめざめが目覚められない状態だ。
「カパック王、海面に変化は無いようですが……これで合っているのでしょうか?」
金髪・ツインテ・貧乳が質問する。彼女の背後には、ピンポンダッシュと犬飼フサ子も立っている。
「前から言っているであろう。水が凍り出して、水面に氷が浮かんでいる状態になっても、水面は変わらない。逆にいえば、水に浮いている氷が全部融けたとしても水面に変化は無いのだ。小学校か中学校の理科の授業で習わなかったのか?」
学校の授業は役に立たないと言われ続けて痛くもない腹をほじくり出され続けたが、ここにきてようやく、科学の叡智が役に立つ時が来たのである。
「カパック王のおっしゃる通りなら、氷河期で海が凍っても、北極海のように海に氷が浮かんでいる限り、海面の高さは変わらないはずですよね? どうするんですか?」
金髪・ツインテ・貧乳が腕組みをして首を捻る。こいつが考えても無駄だ。こいつは元・ネコなのだ。しかも貧乳だから、いかにウエストを絞ったスーツを着ても、腕組みをしたからといって胸に谷間が発生するわけでもない。
「氷が海に浮かんでいる限り、水面は変わらない。ならば、答えは簡単じゃないか。水面を下げたいなら、氷を水から除去すればいい。陸地に上げて巨大氷原地帯にしてしまえばいいのだ。そのために、地球には南極大陸というものがあるのだ」
インカ帝国の首都クスコの宮殿から、偉大なるカパック王は南を指さした。
もちろん、そちらにあるのは南極大陸だ。
「ゆけ! 氷どもよ! 海面上昇でかなりの部分が沈み、しかも昨今の地球温暖化で氷が溶けまくっている南極大陸に巨大氷原を生み出し、南極の南極たる沽券を取り戻すのだ!」
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