第39話

 暗い部屋で、ミリアは目覚めた。

 リョウがいなくなったのではないかと不安が過る。目を凝らし辺りを見回すと、ソファにリョウが座っていた。

 「リョウ、どうしたの?」

 リョウははっとなってミリアを振り向いた。

 「……ああ。」

 「寝てたの?」

 「ああ。」

 「電気、点けないの?」

 リョウは片足を着いて立ち上がると、暗がりの中ミリアに微笑みかけた。

 「あのな、ミリア。……実はな、お前に内緒にしてたことがある。」

 ミリアは目を瞬かせる。

 「俺、サンタクロースの野郎に言われてんだ。ミリアとずっと一緒にいろよって。」

 ミリアははっと息を呑んだ。「ずっと?」喉の奥に張り付いたような声でミリアは繰り返した。「ずっと?」

 「そうだ、ずっと。サンタの奴、随分強そうだったから、約束を違えたら間違いなくボコされるだろうな。だから、お前が家で寝てる時も飯食ってる時も、ステージでギター弾いてる時も、俺はずっとお前の傍にいる。これからも、ずっとだ。もしお前が痛みを覚えることがあれば、全部、俺が引き受ける。」

 ミリアの双眸がじんわりと無理な輝きを帯び、揺らいでいく。

 「それにな、お前はステージで一人で過去に向き合ってるんじゃない。いつだって、俺と一緒だ。……見るか?」

 リョウはそう言ってベッドに腰掛けパーカーを脱ぐと、更にその下のTシャツを脱いだ。そして背をミリアに向ける。

 見せるつもりはなかった。自身、普段目にする所でもなかったので忘れていたぐらいである。しかし先程の美桜の言葉を受け、ミリアを一人だと思わせたくなかった。すなわち同苦の証を見せることで、その絆を確かめさせたかった。同じ人間から同じ傷を植え付けられたという事実は、血の半分が同じであるという以上に絆を生んでいくはずである。ミリアを孤独の内に一人痛苦を覚えさせたくない。それだけであった。いつしか妙なプライドは霧消していた。

 ミリアはむくりと起き上がり、震える指先でもってリョウの背を辿った。

 そこには古い傷が幾つも幾つも、縦横無尽に走り、そして所々は黒ずんだ穴のようなものとさえなっていた。何か鋭利なもので削られたような傷、打たれて血が固まり黒ずんだ傷、深い穴の周りが黒く膨らんでいる傷、裂かれて皮膚がなくなり赤い筋だけになっている傷。

 「……痛い? これ、痛い?」ミリアの声は震えていた。

 「お前とおんなじだ。お前が痛いと思ったらそれは俺も、必ず、一緒だ。だから、一緒にまた、同じステージでギター弾こう。」

 ミリアはリョウを後ろから強く強く抱きしめた。そして、背に顔を押し付けたままくぐもる声で泣いた。

 リョウが自分以上に傷を負っているなどと、考えたことはなかった。いつも自分のことばかりであった。ミリアは恥じた。そんな自分を心の底から、恥じた。そして再び決意をした。誰よりも強く、誰よりも尊いリョウを自分が支えるのだと。自分にしか出せない音で、自分にしかできないやり方で、支えるのだと、そう、心に深く刻み込んだ。


 雪解け水がアスファルトを濡らし、日差しにも温かみが加わり、風の中にほんのりと春の匂いが混じる頃、ミリアにとっての三度目のライブの日がやってきた。

 仄暗いステージにはLast Rebellionの巨大なバックドロップが掛かり、その前にはリョウのJacksonV、ミリアのFlyingV、シュンのB.C.RICHのWarlockがそれぞれスタンドに鎮座していた。リョウに先日買って貰った、あたかもリョウとお揃いのようなライダースジャケットを着込んだミリアは、客席から大きく脚を掛けてステージに上り、真っ暗な客席を満面の笑みで見下ろした。

 「おい、リハは昨日やったから今日はやんねえぞ。」リョウが客席から呆れたように言う。「それに、そろそろ開場だ。全員分、セットリスト貼ってあるか?」

 ミリアはそれぞれの立ち位置の下を確認して回る。

 「貼ってある。」

 その最初に書かれた曲名は、『BLOOD STAIN CHILD』―-。


 前日のリハで、その一方的に手渡されたセットリストを見て、シュンもアキも目を丸くした。

 「これ、マジで?」

 「停滞は、堕落だ。」リョウが含み笑いをしながら持論を述べる。

 「お前はいいとしてもさあ、……ミリアは、大丈夫なの?」

 前回ソロ後に演奏の手を止めたミリアの姿を想起し、シュンは小声でリョウに尋ねる。

 「大丈夫だ。」リョウは自信たっぷりに言い、その隣でミリアも微笑みながら頷いた。

 シュンは肩を竦めて「なら、いいけどよ。」と呟く。

 「ミリアだけ、痛いんじゃないの。リョウと一緒なの。」ミリアは顔を綻ばせてシュンを見上げた。

 「そーかい。」シュンはつまらなさそうに見下ろす。「お前らはいっつも仲良しで、いいな。」


 ミリアは興奮気味にそのまま楽屋に飛び込むと、ソファに寝そべる。ここのソファは少し、自宅のそれと似ている。ミリアは目を瞑って安堵を齎すその感触を十分に味わった。

 すると、「おお、おお、外、凄ぇ人。」シュンが煙草の匂いを身に纏いながら楽屋に戻って来た。「俺らいつからあんな人気者になったんだ? デスメタルじゃなかったのかよ。」

 「お前が人気なんじゃねえ。」アキが肩を回しながら言う。「そこの小っちゃいギタリストだ。」

 シュンとアキの眼は、小さなライダースジャケットをきっちりと着込んで幸福そうに寝そべるミリアに注がれる。

 そこに入口で受付をしていた女性が、たくさんの紙袋を手に楽屋に入って来た。

 「失礼します。あの、これ……。」困惑した表情で両手に山を成した袋をテーブルの上に置いていく。「お客さんからミリアさんに、差し入れだそうです。ちょっと、入口狭いし、いっぱい溜り過ぎてしまったので、とりあえず、持ってきました。」

 シュンとアキは唖然とした。

 女性がそそくさとテーブルに置いた袋からは、菓子やら花やらに混じって、幾多もの猫のぬいぐるみが顔を出している。

 「では。」と、女性が去るのと同時に、うわあ、と歓声を上げてミリアは溢れ出したぬいぐるみをぐいと両腕に抱き寄せた。

 「アンプの上、……もしかすっと結構客席から見えるの、かな……。」シュンが言い、「かもな。まあ、ダイブすんのに上がってくる奴もいっぱいいるんだし……。」とアキが同意する。

 「それよりミリアがモテすぎなんだよ。あいつマジで大人になったらヤベエぞ。」シュンが顔を顰めながら言ったが、最も苦々しくその様を見詰めているのは、リョウだった。

 天蓋ベッドである程度覚悟はしたつもりだったが、これら全てを自宅に持ち帰ることになるのか――。リョウは厳しい眼差しで満面の笑みで猫のぬいぐるみを抱き締めるミリアを見詰めた。

 ミリアはひとしきり猫たちを「これ白ちゃん、これ茶色ちゃん。これは三毛ちゃんと黒ちゃん。」などと言って一匹一匹愛でると、「そろそろ、始まる?」と尋ねた。

 男たちははっと現実に立ち返った。たしかに、もう開演の時間が間近に迫っていた。


 満員に入った客の興奮した叫びが、楽屋にまで聞こえて来る。

 Last Rebellion!

 リョウ!

 ミリア!

 叫びは雑音を切り裂くように響く。

 リョウは三人の顔を順々に隈なく見つめると、「行くぞ。」と呟き、最初にアキの背中を叩いた。アキは「やってやるよ。」という頼もしい返事をして、ステージへと出ていく。次いでシュン。「あいよ。」という剽軽めいた言葉で、しかし両腕にぐっと力を籠め、ステージへ向かって歩み出す。リョウは最後、ミリアの眼をじっと見つめた。ミリアもしっかと見返す。

 「お前は一人じゃねえ。どんなことがあっても、俺が側にいる。」

 ミリアは微笑み、肯いた。そしてステージへと駆け出した。

 歓声がSEを掻き消すように、一段と大きくなる。

 そしてリョウもステージへと出た。そしてステージ中央に鎮座するJacksonのKing-Vを高々と掲げると、客の歓声は最高潮に達した。後方を振り返る。既に上半身を肌蹴たアキがスティックを高々と掲げ、最初のカウントを始めようとしている。ミリアもシュンも、そこを注視している。リョウが肯き、『BLOOD STAIN CHILD』の最初の一音が轟いた。

 それは、落雷――。

 リョウの咆哮と、それを支えるリフとが凄まじい轟音を生み出す。客席は既に先日配布されたCDでもって心身に染み込ませたこのキラーチューンの到来に、一斉に大きな一つの渦を生み出した。

 ミリアはリフを刻みながら我知らず叫んでいた。絶望の永続、暗黒の世界、痛苦ばかりが厭という程押し寄せる。あの日々をまざまざと思い起こして。ああ、しかしここには、リョウがいる。

 ミリアはリフを刻みながらリョウの背中を見詰めた。無数の傷を刻み付けながら、それでも自分を守ろうと聳え立つ背。大丈夫だ、ここにいれば何があっても、立ち向かえる。何も、怖くない。

 そしてミリアのソロが来る――。

 自分がリョウを守るのだ――、そう、燃え立つような決意を胸の中心に掲げ、ステージ中央に歩み出すと、慟哭のメロディーが生み出された。永続すると思われた絶望はしかし次々に飛散し、光に向かっていく。そこには、――リョウがいた。

 ミリアの双眸からは遂に涙が零れ落ちた。リョウに出会えて、良かった。リョウがいるから苦悩に立ち向かっていけた。絶望を糧として音楽を生み出すことができた。

 そう思った瞬間、音源には無いリョウの咆哮が重なった。

 ミリアは涙ぐみながら尚微笑んだ。もう、一人じゃない。一人で、苦しまなくていい。リョウがいる。「リョウとずっといっしょにいられますように――。」クリスマスに必死に祈ったあの願いは、今、ここに叶えられた。

 『BLOOD STAIN CHILD』――、それは過去と未来を繋ぎ、自己を何よりも強靭にする音。リョウと共に何物にも超克していく音。ミリアは今度こそは最後の一音まで弾き切ると、右手を大きく掲げ、最後の音と客の歓声を一身に浴びた。

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BLOOD STAIN CHILD maria @celica2108

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