第25話

 前座のバンドが始まる。ボーカルはデスヴォイスではあるが、シンセサイザーを用いた、華やかな音作りが特徴のバンドだった。

 ミリアはそっと袖からステージを覗いた。客は拳を上げヘッドバッキングをしているものの、暴れている様子はない。安堵の溜め息を吐いた。

 「ミリアを絶対人目に触れさせんなよ。客は今日誰がギター弾くのか、今も凄ぇ気にしてっから。さっき煙草吸いに外出たら、速攻囲まれたからな。リンチされるかと思った、リンチ。」シュンが耳打ちするようにリョウに言った。

 リョウは楽屋の端に置かれた、所々中身の飛び出したソファにふんぞり返りながら、こっそりステージを覗き込むミリアの後姿を眺めた。

 「ねえ、俺とミリアって顔、似てる?」

 「あ? ああ、ううん。……厳ついお前と小っちゃい女の子だからなあ。」と言ってシュンはちら、とミリアを見た。さらさらのセミロングの髪にぱっちりした瞳はただの可愛い女の子であって、リョウと似ても似つかない。見せ場のギターソロなんぞで時折見せる真剣な眼差しは、どことなく似ているとも言えなくはなかったが。

 「客があれ? リョウに似てんなあ? さては妹か? ぶん殴るのはよそうぜって、なんねえかなあ。」

 「さあ。どうかね。」シュンはそんな都合のいい展開になる訳がないと思いつつ、ベースを弾く。「ミリア細っせぇからなあ。もちっと肉付いてくりゃあ似てくんのか?」

 「ミリアが細ぇのは、成長期に栄養が足りてなかった所為だよ。食いモンがねえ環境で生き延びてたんだからよー。」

 「その癖お前は随分でけえじゃねえか。」スティックを握りながらストレッチをしていたアキが、即座にそう返す。

 「俺は、」リョウは低く呟いた。「とっとと逃げ出した口だ。でも辿り着いた施設じゃあ、飯こそ出たが、基本毎回取り合いだったからな。今でも目の前に出てくると、誰かに取られちまうような気がして、ほぼ食わずに飲み込む悪癖が付いた。」

 それでだったのか、と妙に納得をして、ミリアは振り返ってリョウを見た。

 「そうして身長185センチ。毎夜の筋トレも欠かさねえ。そうして今日もステージでやり合う。」リョウは不敵な笑みを浮かべてミリアを眺めた。

 「ミリア。もし殴られたって、酔って理性無くしたあのクズよか痛くはねえ。それに基本俺が守ってやるから、安心して弾きな。」

 ミリアはさも嬉し気ににっこりと笑った。

 その時前座のバンドの最後の曲が終わり、客の歓声が上がった。

 すぐさま幕は降ろされる。

 ミリアは生唾を飲み込んで、ソファに凭れたリョウの隣にすり寄るように座ると、そっと腕を回した。リョウはギターに猫四体を握りしめ、「さあ、行くか。」リョウはミリアの頭を二、三度撫でると、立ち上がった。

 ミリアはリョウに手を引かれおそるおそるステージに出たが、一枚の幕の向こうから時折怒号が上がるのに、何度もびくりと体を震わせた。

 リョウは顔を顰め舌打ちをし、ミリアを傍に立たせたまま自分のギターのセッティングを済ませ、次いでミリアのギターとエフェクターとを繋いでやり、最後にアンプの上に白猫一家の人形を座らせた。

 「大丈夫だ。」そう言って腰を屈め、不安げに泣き出しそうにさえしているミリアを真正面からしかと見据えた。「何でお前だけが飯も与えられず、好き放題ぶん殴られ続けなきゃあいけなかったのか。いくら考えたって、答えなんて出るわけねえ。真実は、お前の中にある怒りだけだ。それに蓋をするな。怒れ。そうしなけりゃ、」リョウは目を細めた。「お前の人生はただのやられ損、無駄だったってえことになる。だからここで、生かすんだ。生かせる場所は世界広しといえど、ここしかねえ。」リョウの掌がミリアの頬を軽く摩った。「俺を信じろ。」

 ミリアは眉根を寄せて肯いた。そうして怒号交じりにリョウの名を叫ぶ、幕の向こうを睨んだ。

 リョウは「いい子だ。」と目を細め、シュンとアキをそれぞれ見詰め、互いに肯き合った。幕は上がらない。そのまま一曲目を始め、イントロ中に幕を上げる算段だった。

 「行くぞ。」

 アキがごん、とバスドラを踏み込んだ。その一音が全ての引鉄となる。一曲目。『Dark of Throne』。リョウが吠える。この世の全ての絶望を込めた叫びで。

 ミリアは、全身が震え出す程の怒りを浮かび上がらせながらリフを弾いた。幕が上がる。その瞬間、怒声とも罵声とも歓声ともつかない声が一つの大きな塊のようになってステージにぶつけられた。ミリアはそんなことには一切お構いなしに、一層両足を広げ、怒りの渦に流されぬよう満身の力を込めてひたすら、誰よりも強力なリフを、誰よりも怒りに満ちたリフを、刻んだ。髪を振り乱しながら、頭を激しく上下に振りしだく。

 やがて曲はリョウとのユニゾンへと突き進む。五度上を丁寧に丁寧に奏でる。チョーキング、ビブラート全てをリョウと同じに。呼吸さえ揃えようと、ミリアはリョウを見るついでに、その時初めて目の前に迫り来る観客を見た。誰もが驚愕とも焦燥とも、憤怒とも違う、それらの丹念に入り混じった表情で、ミリアを凝視していた。

 ミリアは思わずほくそ笑んだ。今の自分の音はきっと残忍な、冷酷な、自己中心的なそれだったと自身で確信する。ミリアは今、リョウとも離れ、ただ復讐の神となっていたのだから。この曲はこう叫んでいた。Avenged for father!! 敵はリョウと同一。ただし復讐は別。自分で、やるのだ。

 曲が進むにつれ、観客の熱気は一層高まっていく。最初無関係だ、と思っていたそれにぐいぐいと後押しされるように、ミリアは一層感情を暴発させながら弾いた。リョウが言うよう、目の前が見えなくなるぐらいに。自分の怒りに覆われて、ここがどこなのか、何をやっているのか、わからないぐらい没頭した。

 そうしてミリアは今まで、自分が感情を押さえつけていたことを知った。その蓋をぶち壊すと、殺したい、殺したい。そういう叫びが渦巻いて溢れ出してきた。殺したい、殺したい。できるだけ苦しみが長引くように、じわじわと弄り殺したい。路上のみみずが太陽に照らされて死にゆく様を、堪らなく羨望の眼差しで観ていた。あれは、明白な殺意だった。ミリアはわけがわからなくなるぐらいに、激しく頭を振った。

 意識が現実と夢幻との間を激しく交錯する。ミリアは半分朦朧としたまま曲は進んでいった。足元に張り付けられたセットリストだけが現実と暴発する内面を繋ぎ留め、それ以外は全て過去の怒りの波を逍遥した。途中観客がステージに上がって来たような気もする(確かリョウが蹴っ飛ばして落としていたような気がする)。それから客が左右に分かれてぶつかり合い、円を描いて走り出したのを見たような気もする。でもそんなことはどうでもよかった。ミリアは復讐のこの世界を生み出す神なのだから。そしてその根源には自分でもコントロールの利かないマグマのような憤怒があった。でもここではそれでいいのだ。だってリョウがそれを許したのだから。

 最後の曲に到達する。ミリアは惜しみ、悔しくて叫んだ。何度も叫んだ。憤怒には限界がないのに、このステージに終わりがあり、肉体にはエネルギーの限界があり、そして生命には死が訪れることを鳥肌立つ程に憎悪した。しかしこの一瞬のために、ミリアは生きようと思った。徒花。それに相応しい感情が、ここにあった。それが枯れ、ぽろりと地に落ちるように、最後の曲が、終わった。

 ミリアは茫然と客を眺め下した。そして幕が下りた。肩に手を置いたリョウをゆっくりと、見上げた。それから自分を囲むようにしているシュンを見た。アキを見た。時も憎しみも刻まない音だけがそこには静かに流れており、世界の終わりを告げていた。


 ミリアはアンプに凭れるように座り込んだ。鼓動が激しい。自分が違う人間になったような気がする。何者か(それはもう一人の自分?)に乗っ取られた、ような気がする。

 リョウは自分の片づけを済ませると、黙ってミリアの手を持って立たせ、ミリアのギターだのエフェクターだの、それから白猫たちをさっさと片付け、楽屋に戻った。

 「何を見た?」ソファに座らせたミリアの目の高さに座り込み、リョウは唇の端に笑みを浮かべて訊ねた。

 「パパを、殺したかった。」ミリアは淡々と答えた。「道路で体が半分干からびて、ビクンビクンしているみみずみたいに。」

 リョウはミリアの頭を包み込むように強く抱き締めた。

 「それでいい。隠すな。」

 ミリアはリョウの腕の中で肯いた。そうして少しだけ、泣いた。

 「どうしよう。」そこに、情けない声を出しながらシュンが入って来た。

 「何が?」

 「ミリアに会いたいって。」

 リョウは真意を問うようにシュンを無言で見返した。

 「だから、あの子は誰だって、客が帰らずに待ってる。」

 ミリアはリョウの腕の中からシュンを振り返った。

 「否、もちろんぶん殴ってやるとか、そういうんじゃあなくてな。」

 暫く考え込んで、リョウはミリアを見下ろし、「行けるか?」と聞いた。ミリアは乱れた髪の合間からリョウを見上げ、小さくうんと肯き、ゆっくりと立ち上がった。髪をリョウが直してやる。ミリアはリョウに手を引かれ、楽屋を出た。

 客席に出ると、常連客たちはほとんどそのまま残っていて、興奮冷めやらぬ態でリョウとミリアをあっという間に囲んだ。リョウがミリアの肩に手を置いたまま、その真ん中でにこりと笑って「今日はありがとう。」と言った。

 「リョウさん、その子は誰なんすか。どこから引っ張って来たんすか?」早速リョウの目の前を陣取った、狂犬Tシャツの若い男が唾飛ばしながら尋ねる。

 「こいつは、俺の妹。」

 驚嘆の声が一斉に上がった。

 「ま、マジで? でも、めっちゃ可愛いじゃないすか!」

 「俺だって可愛いじゃねえか。」

 野太いリョウの声に、男たちの顔が一斉に引き攣る。

 「ってか、何で妹さん、こんな小さくて、こんなギター弾けるんすか、血ですか。」別の狂犬Tシャツが尋ねた。

 「血か。……そうかもな。俺らの血は絶望的に汚れてんだ。全くもって我慢ならねえぐれえにな。な、ミリア?」

 ミリアは「俺ら」のカテゴリーが嬉しく、体をくねらせて微笑んだ。

 「ミリアちゃんって言うんですか。可愛いすね。」

 リョウよりも少し年上に見える、長髪の男がそう言った。

 「プレイ、リョウさんそっくりで、マジでビビりました。」その隣の赤色の長髪男が生真面目な顔で言う。

 「何でこの年であんな、弾けるんすか。どんだけ英才教育扱いたんですか。」

 「俺、今度リョウさんのレッスン行ってもいいですか。俺もミリアちゃんみてえに、弾けるようになりてえ。」

 「ああ、俺も。」

 そう口々に述べる男たちにミリアはじろじろと凝視されたが、あれだけの感情を表出した後だったので今更恥じらいはなく、リョウの腕にぶら下がりながら男たちに愛想を振り撒いた。

 「おーおー、どうぞどうぞ。こいつ食わせていかねえといけねえから、レッスンいっぱい来て。」リョウは笑いながら答える。

 「次のライブはダイキさんすか、妹さんすか。」今まで唇を固く閉ざしていた金髪の男が、取り巻きの後方より決死の表情で尋ねた。

 「わからない。」リョウは即答した。

 「あなたの音の方がリョウさんに合ってる。まるでリョウさんが二人で弾いているようだった。表現される感情も、驚くほどぴったりだ。またあなたとリョウさんのプレイを見られることを、楽しみにしてる。」金髪はそう言ってにこりと微笑み、腰を屈めてミリアに右手を差し出した。ミリアはおずおずとそれに応じた。それを皮切りに次々に握手と写真を求められ、いつまでもそれは止まなかった。ミリアはこの人たちは自分と同じくリョウを愛しているのだと思えば親近感が沸き起こり、一人一人できるだけ丁寧に応じた。そうして客たちは皆満足げな笑みを浮かべて帰って行った。

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