第34話
リョウは赤くなった目を拭うと、「これが、お前に完成させてほしい曲。」と呟いた。今度は、曲を流すのに躊躇は無かった。
それはアコースティックギターのイントロだった。美しい旋律の中にも、渦巻く感情がある。しかしそれは未だ混沌としていて明確な姿を現さない。
突如――、リョウの咆哮が、激しいドラミングが、凄まじいベースラインが、一斉に轟いた。まるでトルネードが幾多もの嵐を引き攣れてやって来たように。
ミリアの胸は高鳴った。その中から次第に露わになる、混沌を切り刻んでいくギターのリフに、ミリアは満身が震え出すのを感じた。それは、憤怒や悲愴はおろか思考そのものを奪い去ろうとする凄まじい絶望だった。ミリアは思わずリョウを驚嘆の眼差しで見上げた。
リョウは無表情に画面を見据えている。
「ソロは、このAメロとBメロが終わってから……。」
突如楽器が鳴りやみ、再びアコースティックだけのラインが来る。ボーカルはすすり泣くかの如き囁きを繰り返す。そして再び、激情が押し寄せる。
ミリアはびくんと大きく身を震わせた。
ソロ、だった。ソロが入らなければ、ならない所だった。バックでのリフが強固に支える。これはリョウだ。リョウが自分を全身全霊で、支えている。
ミリアの耳に、天啓の音が響いた。それはこれしかないという必然性を伴って、絶望に打ち勝っていく音だった。絶望を微塵に切り裂く、激情のメロディー。ミリアは初めての経験にがくがくと満身の震え出すのを感じた。これを弾けばよいのだ。ミリアは凄い笑みを漏らした。
ミリアは慌てて、ケースからギターを取り出した。リョウが目を瞬かせる中、ミリアは「Bメロから、もう一回。」と事務的に告げた。
リョウは言われるがまま、曲を戻し、録音を始める。ミリアは唇を湿すと、そこで展開されているのと同じリフを刻み始める。これはリョウが多用する旋律的短音律だから、音はすぐに取れた。そしてシンバルが鳴り響きソロの到来を知らせる。ミリアは自身が得た天啓の音を具現化していった。そこにあるのは、かつて父親がミリアに対し行った数々の暴行。執念もって死を希求し続ける自我。死に至った時の突き上げるような歓喜と罪悪感。震撼、悲痛。そしてそれが誰よりも愛するリョウを救ったのだという達成感、誇らしさ……。ミリアが今まで言語化することのできなかった、形を与えることのできなかった全てがそこには籠められた。
リョウは瞠目しながらその様を眺めた。
それはもう一人の自分だった。過去の救えなかった自分か、未来の自分か。ミリアの奏でる音の中に吸い込まれていく。
やがて最後のアコースティックギターの響きが、悲嘆とも疲弊とも取れない、美しい頽廃を伴って展開される。そして、曲は、終息した。
ミリアは自分の全てを出し尽くしたという疲弊と弱々しさの残る笑みをリョウに投げ掛けた。「できた。」
デモはすぐさまパソコンを通じて、シュンとアキに送られた。
するとすぐさまシュンから興奮した口調で電話が掛かって来た。
「おい、これ凄ぇぞ。マジで、凄ぇ。」
リョウは茫然とソファに座り込むミリアに微笑みかけながら、「だろ。」と答えた。
「ソロ、マジでミリアが作ったのか。」
「ああ。」
「マジか――。」言葉にならない嘆声が漏れる。
「ミリアのソロも含め、今回の曲は随一だぞ。お前が生涯超えられねえ、人生最高のキラー・チューンって言っていた意味が、わかった。」
リョウは力なく笑った。
「……悪いが、前言撤回、するかもしれねえ。」
シュンが噴き出す。「だろうな。俺は、未来は明るいと信じて疑わない人種なんだ。」
くすりと笑って、リョウは言った。「色々と思い出したんだ。俺は過去の絶望を逐一執念深く曲にしてたつもりだったんだが、でも本当に最悪な所には蓋をしていた。ミリアの絶望を掘り起こそうとして、そこを見つけたんだ。でも、そいつを凝視するのは一人じゃ、無理だった。同じ苦しみを担うミリアが一緒に見てくれるから、」ちらとミリアを見遣る。「凝視できた。だから、もっと、凄ぇ曲が溢れ出してきそうな気がする。」
シュンが歓声を上げる。
「ミリアに代わってよ。」
リョウは無言でミリアに電話を手渡した。
「ミリア?」
「うん。」
「お前のお蔭だよ、これでLast Rebellionはホンモノになれる。本当の出発を計れる。」
「うん。」
「ありがとな。」
「うん。」
電話は、「速攻音取って、次のリハには完璧にするから」という熱意溢れる言葉で終わり、その直後にはほぼ同じ内容の電話がアキからも掛かって来た。
その数日後のリハでは、急遽だったのにもかかわらず、シュンもアキもデモを聴き込んできたお蔭で、新曲のクオリティはその他の曲と全く変わらなかった。更に加えてその凄まじいまでの激情を少しでも観客の脳裏に焼き付けたく、新曲は従来の代表作を差し置いてラストに持ってこられることとなった。
ミリアはフライングVを片手に、何度か変更のなされたセットリストを再度眺め返す。
「どっか、問題あるか? 後ろから聴いている分にはこれでイケると思うけど……。」アキがドラムセットの後ろから顔を覗かせる。
「これ、みんな、知らない。」
ミリアは後半に集中した新曲を指さして言った。ミリアは前回のライブで客が挙ってリョウと同じようにがなり、拳を突き上げる様を見ていたので、客の知らない曲を披露することへの不安があったのだ。
「じゃあさ、新曲のデモ、配布しときゃいいじゃん。事前に聴いといてもらえばさ、ライブでもガンガンやれるだろ。」アキが言った。
「そんなん、いつやんだよ。」リョウが不満げに言う。
「さくっとレコーディングすりゃあいいじゃん。」シュンが当たり前だろうとばかりに声を張る。
「レコーディング? 今から?」リョウが驚きの声を上げる。
「んなのそれぞれ録って、宗田さんにデータさっさと任しちまえばいいじゃねえか。あのエンジニアは俺らのことを溺愛してるから、徹夜したって何だって、速攻やってくれるだろ。しかもムンディのエットレ閣下も真っ青な完璧な音作りでな。」シュンの瞳が生き生きと輝き出す。
リョウが大きな溜息をついて、「宗田さんがやってくれたとしてよお、いつどこでそれを配るんだよ。聖地、三月だぞ。」
アキがふっと思い出したように言った。「二月の半ばに話、あったじゃん。ヘッドライナーでやらしてくれるってやつ。お前が演奏時間短ぇとかで断っちまったやつ。確かまだ、探してたぞ。聞いてみるか。」そう言ってポケットから電話を取り出した。
「えー、一回断ったのやっぱ出ます、って言いにくくね? そういうの、お前ら平気なの? しかも持ち時間30分だけだぞ?」リョウが気まずそうに囁いた。
「だから代表曲だけさらっとやりゃあ、いいんじゃん。目的はCD配布なんだからさあ。それにな、そういう無駄なプライドがお前は、まだまだなんだよ。もうちょっとミリアで修業しろ。」アキはそう冷たく言い放つと、電話で話し始めた。
そして呆気なく結論は出た。
二月のライブはアキの電話によって難なく決定し、ヘッドライナーは別に決定してしまったものの、その一つ前の順番で出られることとなったのである。
「ちょうどいいじゃん。ラストじゃミリア、眠たくなっちまうもんなー?」
シュンはミリアにそう言って微笑みかけ、ミリアはきょとんとシュンを見上げる。
「お前、そうやってミリアを甘やかすのやめろよな。馬鹿女になるだろ。」リョウが唇を歪めて苦言を呈する。
「よく言うよ。お前、凄ぇ天蓋付きお姫様ベッド買ったらしいな。聞いたぞ。兄貴の特権だな。ああ?」
リョウはシュンにそう凄まれ、慌てて目を反らす。
「じゃあ、そこで配布ってことで。」アキはスタジオの壁に掛けられたカレンダーを見ながら、さっさとまた電話をし始めると、レコーディングスタジオさえもその場で押さえた。
リョウは目を瞬かせる。
「お前はひたすら曲作ってろ。俺らでこういう事務的なのとか頭下げるのはやるから。余計なことは考えなくていい。お前がどんだけ今回の新曲に力入れたかは、わかってるつもりでいるから。」アキはそう言って精悍な感じに微笑んだ。
翌週からシュンとアキ、リョウ、ミリアはそれぞれ時間帯をずらし、レコーディングを行うこととなった。それもこれも急遽のことであったため、平日しか空いていなかったためである。
「平日とかってミリアが学校ある日だろ。レコーディングで休ませるとか、どこのバカ親だよ。ふざけんな。」
リョウがソファに座りながら、電話越しに不満を垂れる。
「お前、随分教育熱心だったんだな……。意外というか、何か、気持ち悪ぃな。」呆れ声でシュンは答える。
「あー、何とかしろよ。俺はミリアに仮病使わせたり、先生に嘘吐いたりすんのは嫌なんだよ、どうすんだよ。」
「別にいいじゃねえか。一日ぐれえよお。」
ミリアがリョウのパーカーの裾を引っ張った。
「先生に、言った。」
「はあ?」電話を口から話すと、ミリアに不満の矛先が向かう。
「お前、先生にレコーディングするから学校休みますなんて言ったのかよ。」
ミリアはこっくりと頷く。
「お前、ふざけんなよ! 俺がお前を悪の道に引きずり込んでいると思われるだろうがよ。もおお。」頭を抱える。
「頑張ってねって、言った。」
リョウは顔を上げた。
「CD、聴かせてね、って言った。」
「はあ?」
「じゃあ、何の問題もねえな。」電話口でシュンが言う。
「うるせえよ!」リョウは今度は二人に対して怒鳴った。「いいか、ミリアはちゃんと学校に行け。馬鹿になられちゃあ、困るんだよ! 帰り迎えに行ってやるから。お前は夕方からレコーディングだ。……俺が朝一でギターと歌とぶっ込んで、お前ら次な。夕方までに完璧に入れておけ。ミリアは夕方連れて行くから。」
そうして電話は切られた。
ミリアはにっこりと微笑み、「先生、楽しみねって、言った。CDいちまいあげて、いい?」と言う。
「先生、デスメタル聴いたら腰抜かすだろ。下手すりゃ卒倒だ。お前、世の中には音楽の趣味っつうもんがあるんだから、あんまり人に押し付けちゃあダメだぞ。特にデスメタルは、まず人様に好かれる音楽じゃねえんだからさあ。」リョウは温和な笑みを浮かべた担任教師を思い起こし、疲弊したように言った。
「リョウが作ったミリアの曲、大切ねって、言った。」ミリアは真剣に何かを思い起こすかのように続ける。
「先生、ミリアのこと、知りたいって。」
「……。」リョウは降参したとでもいうように深々と溜め息を吐く。「まあ、あの先生なら、ミリアが作ったっていやあ、確かに頭の一つぐれえ振ってくれるかもしれねえな。」と呟いた。「……完成したら、一枚持ってってやんな。」
「うん! ありがと!」ミリアは頬を紅潮させて、リョウに抱き付いた。
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