第35話

 レコーディング当日、集団下校をする子供たちの間を縫ってバイクを押し押し、リョウはミリアの通う小学校の校門前まで到達した。子どもたちは日頃より指導を受けているのか、赤髪の男に対し全員が全員「こんにちは。」の挨拶を欠かさない。

 リョウはそれらに丁寧に挨拶を返しつつ、校門から校内を眺めた。大勢の子供たちの中からミリアを探す。しかしなかなかミリアの姿は見当たらない。リョウは忙し気に腕時計を見た。初めてのレコーディングなのだから、最低限時間的余裕ぐらいは与えておきたいというのに、一体どこで何をしているのだろうか。次第に募る苛立ちが眉間に表れ出す頃、ミリアが現れた。

 てっきり美桜と一緒にでも出てくると思いきや、ミリアの隣で頻りに話し掛けているのは見たことのない男子児童である。

 リョウの目線は自ずと鋭くなった。

 ミリアは男子を横目にちらちらと見ながら足早に歩こうとする。しかし、何かを言われて立ち止まった。そして首を傾げる。ミリアは何か口早に言って、走り出した。

 その時、リョウと目が合った。ミリアは笑顔になり勢いよく駆け出してくる。バイクの前まで来ると、「間に合う?」と息を弾ませながら聞いた。

 「間に合う、……けどさあ。」リョウはミリアにヘルメットを被せ、顎の下で金具を留めてやりながら「あの男の子、誰。」と努めて冷静を装い、尋ねた。

 「男の子?」ミリアはくるりと後方を振り返る。群れの中で一人立ち止まり、先程の男子がミリアをじっと見ていた。

 「隣のクラス。」

 「隣のクラスの奴が、ミリアに何の用なんだよ?」そろそろ鍍金が剥がれていく。

 「ミリアを、好きだって。」

 「はあ?」だからそれはほとんど怒声として響いた。

 ミリアは不思議そうにヘルメットの下からリョウの変貌ぶりを見上げる。

 「おい、そりゃあ、ちっとばっかり早くねえか。早いぞ。早い早い。……そんでさあ、お前、もしかして、他の野郎にもそんなこと吹き込まれたことあるのか。」

 「ある。」

 ミリアは何でも無さそうに即答した。リョウは目をカッと見開いた。

 「付き合う? って。」初めて発する単語であるかのように、ミリアは呟いた。

 「付き合うだあ? ダメだろ、そんなん。何言ってんだよ、お前は!」

 リョウは屈んでミリアの目を覗き見、両肩を揺さぶった。

 「……痛い。」

 肩を窄めて呟くミリアに、リョウは慌てて作り笑顔を浮かべ、肩を撫で摩る。そしてバイクの後部座席に持ち上げ、乗せてやる。そして自らもバイクに跨ると、ちらと後ろを向いて、嫉妬混じりに「……お前は俺と結婚するんじゃあなかったのか?」と言った。

 ミリアは悔しそうに「だって、……法律。」と呟く。

 「法律は……、」リョウは暫く考えて、「あんだけ警察の職質に付き合ってやってんだ。ちっとぐれえ大目に見て貰えんだろ!」と言って微笑みかけた。

 ミリアは心底嬉しそうに、「うん!」と大きく肯くとリョウの背中にぎゅっと手を回した。

 バイクは車道に乗り上げると、そのまま勢いよく発進して行った。空は驚く程高くどこまでも澄み渡っていた。


 Last Rebillionとおよそ半年ぶりの再会となるエンジニアは、新たに加わった顔にひとしきり驚嘆した後、実際の音を聞いて今度は、いよいよ、動顛し出した。

 「……何で、リョウと同じ音なの、弾き方なの……? あの子何なの?」

 ガラス越しのレコーディングブースに向かって身を乗り出し、頻りに驚きの声を上げ続けるエンジニアの隣で、リョウは誇らしく嬉しく、思わず笑みがこぼれそうになるが、わざと首を傾げてみせる。「さあ、知らねえ。……兄妹だからか?」

 レコーディングブースに入ったミリアは、リョウのリフに自分の音を重ねる作業を、一音の狂いも許さぬとばかりに渾身の気迫で行っている。

 「凄いな……。確か、モーツァルトは六歳とかで人前で演奏したんだっけ?」

 「そんな上品そうな人の話、知る訳ねえ。」リョウはそう一応顔を顰めて言ってみたものの、すぐに眩しいものでも見詰めるように、目を細めてミリアの姿を見守った。

 リフが一通り終わると、続いて『BLOOD STAIN CHILD』のソロに入る。そこでは初めて家で弾いたのと一切リズムも音も変えずに、ミリアは一切をそのまま忠実に再現して見せた。もしミリアが弾けなければ、自分が弾いてレコーディングを済ませればよいと思い、リョウはあらかじめソロを楽譜に記していたがそれは全くの徒労となった。それに今度はリョウが驚愕した。

 一通りソロはミスもなく録り終わった。しかしミリアは満足がいかないのか、もう一回弾く、と言う。リョウは十分だと思いつつもやらせてみた。しかしそれは一度では終わらなかった。何度も繰り返されるそれは、その都度何が変わるという訳もない。音や長さは無論、チョーキングの上がり具合、ビブラートの掛け具合、ハーモニックスの音量まで全く同じソロが何度も繰り返された。時間ばかりが過ぎていく。

 「お前、もう十分だよ。」

 もう一回弾く、が三十回も繰り返された後、遂にリョウが立ち上がってミリアに告げた。

 「どうしても満足行かなきゃさあ、他のパターンを弾いてみたら?」

 ミリアは首を横に振る。「……これなの。」

 「じゃあ、何がダメなんだ? ミスねえじゃん。十分だよ。」

 リョウの場合には複数パターンのソロを録り、そこからメンバーやエンジニアと相談をしながら一つに絞るのが常であって、音源に入れないパターンであってもライブでは気分によっては用いることもあったので、ミリアが一パターンのみと固執しているのは意外ではあったけれど、ミスもないのになぜ々ソロばかりを繰り返すのかは一向にわからなかった。

 「これじゃ、先生、ミリアのこと、わからない。お客さんも……。」

 不満げに下唇を吐き出しながらミリアは言った。

 リョウとエンジニアは顔を見合わせる。

 そして、「感情みたいなのが、籠められねえってことか?」リョウは言ったが、ミリアは自分でもよくわからず、そのよくわからないことにほとほと困り果てているとでもいうように、軽く俯いた。

 「どうせ無料配布のデモなんだからさあ、またちゃんとCD出す時には録り直しするよ。お前は初めてのレコーディングなんだから、きっと緊張してて気持ちが入っていかないだけなんだよ。経験積みゃあ、そんなの余裕でクリアできっからとりあえずこれでいこう。な?」

 ミリアは渋々肯いた。


 そうして完成した音はエンジニアの手に依って、偉業、と言って然るべき音源へと到達した。送られたデータを聴き、「これが、デモかよ……。」と思わずリョウが絶句したのも止むを得ないことであった。特にミリアのソロはどこまでも美しく華麗で、自分で出せる音ではないとリョウはほくそ笑んだ。確実に新たな風が吹き込まれた。それがリョウにとっては嬉しくてならなかった。

 二百枚のデモCDはライブ前日の昼前にリョウの自宅に届けられた。

「間に合ったー!」リョウが玄関で歓声を上げる。ギターの練習中だったミリアも驚いて駆け寄った。

「ああ、とりあえず間に合って良かったよ。CD届いてさ。これ届かなかったら俺はこの世界追い出されクビくくるしかなかったかんなあ。」リョウは段ボール箱をありがたそうに丁重にリビングに運び込み、抱き締めた。

 うふふ、とミリアもそれを見ながら笑い声を漏らし、再び天蓋の奥に引っ込むと、明日の曲の練習を再開した。

 リョウはその練習の様をじっと見つめた。『BLOOD STAIN CHILD』のソロ。そのプレイは相変わらず、チョーキングの上がり具合から、ビブラートの掛け具合、何から何まで、レコーディングのそれと全く同一であった。

 「お前さ、レコーディングの時も思ったけど、そのソロに凄い固執してるよな。」リョウは段ボールのガムテープをびりびりと剝がしながら言った。

 「……これなの。」ミリアは申し訳なさそうに、レコーディングの時と全く同じ言葉を繰り返す。

 「別にライブなんだから、多少変えたって文句は言われねえぞ。」

 「……でも、これなの。」

 ミリアはその大きな瞳をひたとリョウに向けた。そして、唇を二度、三度と震わせると意を決したように話し始めた。

 「……ミリアはパパがごう、ごうって言ってた時、食べる物、探してた。聞いてないふりした。」ミリアは酷く憂鬱そうな眼差しで長々と息を吐く。「するめ、見つかって、嬉しかった。パパが死ぬより、食べ物のほうが大事、だった……。パパ死んでここに、」と言ってミリアは人差し指で自分の頭を指差す。「ガーンって音、鳴ったの。それが、これ。だから……。」

 リョウは絶句した。何を言っているのかはいつも以上によくわからなかったが、既に父親が死んだ時に、あるいは死んだ直後に、ミリアの頭にはこのソロが流れたということなのだろうか、と信じられない事実を想起して。

 リョウはごくりと生唾を飲み込むと、おそるおそる「親父が死んだ時、このソロを思い付いたの?」と問うた。

 ミリアは困惑気味の表情で首を傾げる。

 「……。」

 それはさすがに少々言い過ぎな気もしたけれど、萌芽が認められたのがその「時」であったことは疑いない。しかしミリアはその加減をどうしても言語化することができなかった。

 二人はお互いを見つめ合う。

 「……、まあ、このソロしか弾きたくねえってことだろ? そこまで思い詰められるソロが思い浮かぶっていうのはある意味幸せなことだ。今度ミリアも一から曲、作ってみろよ。俺がSONARでアレンジして、各パートも入れてやるからさ。」

 ミリアは幾分疲弊した笑みを浮かべ肯いた。

 平生はしっかと蓋をしている過去を思い出したせいか、ギターの練習を止め、塞ぎ込んだミリアに、リョウは段ボールからCDを一枚取り出しミリアに差し出した。

 「わあ。」とミリアはCDを受け取り、密かな歓声を上げる。ジャケットには、前作も描いたデザイナーに大至急と依頼した、風吹き荒ぶ荒野に一人立つ、血染めの少女が描かれていた。その、諦観とも達観とも取れる不思議な表情をした少女は、どことなくミリアの面影を宿していた。

 「そのジャケット描いた人、前回のライブ来てくれてたらしいんだよな。で、その時のミリアをモデルに描いたんだって。いい出来だよな。今回ばっかりは文句の付けようがなかった。いっつもぐちぐち言ってんだけどな。」

 ミリアは不思議そうにジャケットを目の前に持ち凝視する。

 「……これ、昔のミリア。」どこか納得する節があるらしい。ミリアはそう言って一つ肯くと、突然「あ!」という叫びを上げた。

 「何?」リョウは慌ててミリアの手にしたジャケットを凝視する。「何か、まずかったか? でも今更直せねえぞ。」

 ミリアは瞬きを繰り返すと、「これ、昔のミリア。」ともう一度繰り返す。

 「昔のミリア? さすがにお前、血まみれじゃあなかったぞ。それに、もうちょっと可愛げあったよなあ。……でも、そりゃあ肉親の贔屓目か?」

 ミリアは背を屈めてますますCDを凝視し、そしてぱっと顔を上げた。

 「……昔のミリアに会えば、ちゃんと、弾けるかもしんない。」と、誰へともなく呟いた。

 「何? 昔のミリア?」リョウは眉根を寄せてミリアの顔を覗き見る。「つっても、写真もねえしなあ……。」

 「お出掛け、したい。」ミリアは真剣なまなざしでリョウに歩み寄ると、パーカーの腹部辺りをぎゅっと掴み、ひたと見上げた。

 「お出掛け、連れてって。」

 「まあ、いいけど。CDも来たし、まだ、昼前だし。……で、どこ行きてえの?」

 「……夕焼け公園。」ミリアは恥ずかし気にそう小声で呟いた。

 「夕焼け公園?」そう言ってリョウは首を傾げる。近所に公園なぞあったかと。しかしあった所でその名称なぞ知る訳も無い。

 「それ、どこ?」

 ミリアは唇にぎゅっと力を入れ、ふるふると震わせた。リョウが不思議そうにそこを見詰めている内に、ふっと緩んだ。そしてミリアは滲んだ瞳でリョウを見据え、「前のおうち。」と言った。

 「前のおうち? え、T市?」リョウは思わず頓狂な声を上げる。

 ミリアは俯く。

 「何で?」リョウは目を見開いたまま尋ねる。あそこには苦痛に満ちた思いしかないはずだのに。それ故そんなことは今まで一言も言い出したことはなかったのに。なぜ自ら傷を抉るようなことを言い出すのか、リョウは暫く言葉が発せなかった。

 「……昔のミリアに会わないと、ちゃんと、弾けない。」

 再びミリアの顔が強張った。

 リョウはミリアを茫然と見下ろした。そうしている内に、ふと思い至った。ミリアは身も心も傷付いていたあの頃を来訪し、追体験することで、曲を真の意味で完成させる気なのだ。しかしそれは何という覚悟であろうかと、リョウは恐懼した。

 自分がかつて父親と暮らした街を訪れること、その後暮らした施設を訪れること、それらはいずれも無論発想だにしたことはなかったし、誰に請われても断固拒絶したであろう。それは今も変わらない。つまり、自分には、ミリアのような覚悟はなかった。覚悟なくして、曲を作っていた。リョウはそれに気付かされ、唖然とした。表面的な賛美の声に気を良くし、満足していた。全て、記憶の中の出来事だけで作っていた。だからそれはどこまで行っても虚構に過ぎなかったのだ。リョウは羞恥心に居ても立っても居られないような気がしてきた。

 リョウは今度は庇護すべき対象ではなく、尊崇すべき対象として、自分を導く対象として、再びミリアを見詰めた。そしてごくり、と生唾を呑み込む。

 『BLOOD STAIN CHILD』のソロは、古今東西あらゆるデスメタルを聴き込んできた自分の胸をも甘く痛ませ、確実に揺さ振る程に完璧だった。しかし今、ミリアはそこに安住するのではなく、更なる高みに誘おうとしている。

 リョウはどうしてもその先が見たくてならなくなった。それは芸術に携わる者としての本源的欲求であった。だからリョウは満面の笑みを浮かべ、「わかった。」と言った。「今から行こう。」

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