第24話
「着いた着いた。」
リョウがそう言ってバイクを止めた場所はビジネス街に立った雑居ビルの前だった。正面からは地下へと向かう階段が伸びている。ミリアは目深に被ったヘルメットを少し上げながら、階段の向こうを不審気に眺めた。地に降りて身を乗り出した瞬間、足元の小さな黒板に躓いた。慌てて下を見ると、「Last Rebellion」とリョウのバンドの名前がおどろおどろしい字体で記されていた。
「ほら、入るぞ。」
ミリアは感慨深く、「Last Rebellion」の字を眺めた。「これ、なんて意味?」
「今更かよ!」リョウは慌てたが、「まあ、言ってなかったか……。これな、最後の反乱って意味。反乱って、ぶん殴ったりぶっ殺したりして為政者叩きのめすことな。ほら、フランス革命とかさ。んでよお、最後って、どういうことだと思う? その反乱が成功して永劫の安寧秩序が齎されたのか? それとも、単に反乱軍の奴が全滅しちまっただけで、最悪な事態は変わらねえってことか?」
楽し気に問いかけるリョウに、ミリアは首を傾げた。
「あっはっは、わっかんねえか。まあ、どっちも大して変わんねえよ。戦えねえ生き方なんざ、意味ねえ。未来永劫の地獄ってだけだ。」
リョウはミリアの手を引いて階段を下った。
重たげな扉を開けると、そこは薄暗い空間で、ミリアは瞬きを幾度も繰り返しながら唯一明りの灯ったステージを眺めた。すると、
「おい、リョウ、それ、どうした。何。」
つんのめりながらスキンヘッドの男が駆け寄ってくる。
「これ? 今日のギタリスト。」
「あはははは。」
大口を開けた男をリョウは真面目な顔で見返す。
「え?」暫しの沈黙が訪れた。
「マジ、なのか?」
「マジだ。」飄々とリョウは答える。
ぐわああ、ともぐをおお、ともつかぬ妙な叫びを吐き散らしながら男は頭を抱えてヘッドバッキングを始めた。
それを見て上手だな、とミリアは感心した。腰の落とし方、脚の開き具合、全てリョウに教わった通り、完璧だ。
「おお、来たか。」
そこにアキがエフェクター片手にやってくる。「リハ次の次だからさ。あ、竿とアンプ、全部楽屋に入れといた。」
「サンキュー! やっぱ持つべきものはアキと車だな。」
「そう思うんなら、お前も車買えよ。」
「おい、お前らなんで普通なの? 何でここにガキがいるの?」
「だってダイキが怪我して弾けねえんだもん。」リョウが肩をすくめながら言った。
「いや、それはお前らのホームページに書いてあったから知ってっけど、何でダイキの代わりがガキなの。」
「あ、ガキじゃなくって、ミリアね。」どこからかシュンがやってきて注意を促す。「リョウの妹。」
「はあああ?」
大きな口だなあ、とミリアは再び感心する。それに声質もよい。リョウのグロウルには敵わないけれど、鍛錬を積めば、あるいは、と思わされる。
「バンド経験も無えし、どーせ名前書いてもわかんねえと思って告知しなかったんだよ。」リョウがははは、と乾いた笑いを上げる。
「リョウの実妹が弾く、っつったらチケット秒殺だと思ったんだけどなあ。」シュンが不満げにそう漏らした。
「まあいいじゃねえか。どうせチケットはソールドアウトしたんだしさあ。」リョウはそう言ってミリアの手を引き、楽屋へ踵を返した。
「じゃあ、ジョージさん、俺らそろそろリハだから。文句はステージ見てから言って。じゃあな。」
リョウは楽屋に着くなりギターをケースから取り出し、早速チューニングに入る。ミリアもそれに倣った。
「ジョージさんは失礼な人だなあ。まあ、正直ともいうけど。」シュンが楽屋の隅でベースを生音で弾きながら呆れたように言う。
「客はもっと正直だからな。」リョウは細かくチューナーを注視しながら丁寧に音を合わせていく。
「俺らだってミリアが弾けるなんて、最初思わなかったろうが。お前なんて、誘拐だの自首しろだの言ってたからな。」アキが言い、シュンが気まずそうにそっぽを向いた。しかし、あれ、お前も言っていなかったか? と思うが、小さなミリアがFlyingVを抱えてやってきた衝撃が強すぎて思い出せない。小さく舌打ちをした。
ステージでは前座のバンドがリハーサルを行っていた。ミリアはFlyingVを構えパイプ椅子で足をぶらつかせながら、チューニングを終えて後はどうしたらよいのかとリョウたちを眺めていた。
「ネットじゃ、Endless Nightのキョウスケが弾くとか、DEATH GUARDIANのシュウが弾くとか、それってお前らの観てえの挙げてるだけじゃねえのってのがやたら並んでたぞ。」アキはそう言いながらスティックを持ちながら上体を捻り、ストレッチに励んでいる。
「だからよお、そいつらこの時期みんなライブじゃん。」リョウが呆れたように言う。「どこのどいつが自分のバンドそっちのけで、他に力貸すっていうんだよ。」
「だよなあ。でも、まあ、いいんじゃね。どうせ客の目当ての九割はお前だし。お前が赤髪ぶん回してデス声轟かせ、戦車みてえなリフ弾きゃ皆満足する。それを引き立たせるギターが下手にあれば、尚満足する。」シュンが淡々と言ってミリアを一瞥した。
「今日は幕上がる前に、一曲目のイントロに入る。スタッフにも再度念押ししといた。」リョウが言ってシュンとアキが肯く。「で、ミリアに何かするような奴が出たら、俺がステージから蹴落とす。ボーカルおざなりんなったら、お前ががなれよ?」
シュンが返事代わりにぐおおお、と地鳴りのような声を上げた。「よし、大丈夫だ。今日はイケる。昨日の夜中、中本でラーメン食ってきたからな。」そう言って厳しく肯いた。
ミリアはあっと思い出して、ギターケースから白猫一家を一匹一匹丁寧に取り出し、リョウに手渡した。
「これ。」
「あ、そうだった。アンプの所に置いてやらねえとな。」
「何だよ、その人形。」シュンが呆れたように言った。
「これはミリアのエフェクターだ。主に闘争心を発生させてくれる。」そう答えてちらとステージを覗くと、既に前のバンドはリハを終えていた。「さあ、終わったみてえだな。さて、行くか。」
ステージはほの暗く、静寂に包まれていた。
ミリアはかつてライブDVDで観た、目の前に大勢の客が激しく押し寄せ、無数の光線を浴びる光景を思い起こしたが、それとは似ても似つかない様相だったので、目をぱちくりさせた。
広さもスタジオと同じぐらいだったし、何より隣にはリョウがいるので、ミリアは今朝とは打って変わって、自分でも驚く程落ち着いていた。もしかするとここで客に殴られたり蹴られたりするかもしれないという危惧はあったが、リョウと同じ居場所にいられるのだから、そんなことはどうでもよかった。父親に無駄に殴られることを思えば、比べ物にならないぐらい、マシだった。
最初にアキが、PAのチェックを受けることとなった。地を揺るがすようなバスドラの響きから始まり、甲高く鳴り響く金物、土砂崩れのようなスネア。すぐにOKは出された。次にシュン。地を這いずり回るようなベースライン。全てを支え、そして蠢かす。音を幾つか変え、OKが出る。そしてミリアの番になる。ステージ下に屯しているライブハウスの関係者や前のバンドのメンバーたちが、ひそかに息をひそめるのがステージ上にいてもはっきりと、感じられた。
ミリアはくるりと身を翻し、アンプの上に座らされた猫たちに微笑みかけてから再び前に向き直り、足元に色とりどりに並んだOne Controlのエフェクターを次々に踏んで、それを使うフレーズを弾いていった。まずは一曲目のリフから。
暗闇の向こうで、PAははっきりと息を呑んだ。
リョウがLast Rebelliionを率いてこのハコに立つようになって早五年、リョウが理想とする音を日本中で一番熟知し、体現しているという自負がある。最早気温や湿気、客の入り具合で微妙に変える程度で、何も言わなくとも音さえ出してくれれば、リョウの満足のいく音作りが完璧に、できる、そういう自負があった。しかしそこに至るまでにはかなりの試行錯誤があった。リョウ自身が細かな点まで繊細な音作りを要求したこともあるが、メロディックデスメタルというジャンル自体がそういう特性を有しているのである。メロディアスなソロと、攻撃的なリフ、この相反した音が一曲の中に同居することになるのである。リョウの場合、それが最早同一人物ということが信じ難い程に、完璧に相反していた。一体二十数年の人生のどこで学んだのか、絶望そのものを具現化した慟哭のソロ、そしてそれが終わった瞬間には、凄まじいまでの憤怒に満ち満ちた、全てを殲滅するかのリフ。それはわかっていた。熟知していた。しかしこの音の主は――、リョウではない。初めてステージに立つ、小さな女の子なのである。
信じがたい光景だった。
何度も見直した。しかし目の前にいるのはやはり小さな女の子なのである。まるで人形ごっこか、ままごとか何かが似合うような年齢の。しかし何なのだ、この音は。リョウのそれと同一なのである。すなわち、あの絶望、あの慟哭と。店長は彼女はリョウの実妹だと言っていたけれど、血だけでここまで同一の音が出せるものなのか、正直、訝る。だとしたら、何が?
PAは疑問を残したまま、表面上は丁寧にミリアのギターの音を各種チェックをして、OKを出していった。ミリアは安堵して、再び白猫一家に向き合い小声で「OK出たよ。」と囁いた。それからリョウがギター数種類とボーカルのチェックを受け、その後最初と最後の曲を演奏し、リハーサルは終わった。
本番まで時間が出来たため、四人は遅めの昼食を取ることになった。この辺りはビジネス街で定食屋や丼物屋が軒を連ねており、どこに入っても旨いんだ、とリョウはなぜか自慢げにミリアに語った。
「もうここ出始めて五年か? 俺の五年の統計によれば、ミスが一番少ねえで済むのは大串屋で食った後だ。今日はミリアの最初のライブだから、大串屋にしよう。」
というリョウの提案で、ライブハウスから一本奥に入った所にある大串屋に入ることになった。
「ライブ前は、飯も気合入れていかねえとな。何せあそこは戦場だから。お前も、戦うんだ。反乱を起こすんだ。わかってんな?」リョウは上機嫌でカウンター席に座りながら、隣のミリアを見下ろす。
「誰に?」ミリアはメニュー表を開きながら首を傾げる。
「今までにお前を傷つけた奴だ。決まってんだろ。そいつに全身全霊怒りをぶつけんだ。ぶち殺すんだ。勝者が正義になる。勝者になんだよ。」リョウは宙の一点を睨むようにして言い、ミリアは思わず息を呑んだ。父親を呪い殺したことを、リョウが知っているのかと思いなし。
「……俺はいつも憤っている。ぶっ殺してってな。あれが死のうが死ぬまいが、俺の怒りは一つも風化しねえしさせやしねえ。だからデスメタルの曲が書ける。そしてこれからも延々に書き続けられる。」
「すいませーん。」アキが店員を呼ぶ。「かつ丼大盛一つ。」
「俺も。」
「俺も。」
ミリアはふと現実に立ち返ったが、何も思い浮かばない。
「お前は親子丼とかいいんじゃね? 卵、好きだし。ここの、凄ぇ旨いぞ。トロットロで。」
ふくよかな中年女性の店員が頭上で微笑み、「うちの一番のおすすめです。」と言った。ミリアは肯いた。
「お前の最大の売りはな、」リョウが割り箸を手渡しながら、ミリアに囁く。「マジモンの地獄を知ってるってことだ。それには男も女も大人も子供もねえ。今日はひたすらそれを思って弾けばいい。目の前が見えなくなるぐれえ、客なんかが目に入らねえぐれえにな。あと、猫だな。猫守れ。」
リョウはそう静かに言って、ミリアの頭をがしがしと撫で回した。
「最初はな、」ミリアの隣で遠くを見つめながらシュンが語り始める。「ミリアが来た時、リョウは狂ったと思った。ギターの奴が弾けなくなって、でもライブも決まってるし、追い詰められて頭イカレたんだと思った。そんぐらい、ミリアは見た目でいやあ超絶あり得ねえ。今日の客は間違いなく、怒る。大人しくライブの途中で帰ってくれれば御の字ってぐれえにな。」
さすがにミリアはしゅん、となった。
「でも音を聴いた時、リョウそのものだった。マジでビビった。……リョウのギターの、どこが凄いかわかるか?」
「リョウじゃない人のギター、知らない。」
「おい! Arch EnemyにIn Flamesに、CARCASSにAt The Gates、毎日聴かせてやってんだろが。おい、シュン、アキ、ちゃんと俺は父親代わりとして、こいつに最低限のメロデス教育はしてっからな。」
「でも、リョウのギターが一番、いい。」ミリアは答える。
「どこがいいの?」シュンがすかさず尋ねる。
ミリアは口ごもった。それは飯を食わせてくれる人の音だからいいのか、おもちゃだの服だのを買ってくれる人の音だからいいのか、そう思う部分も無きにしも非ずだということに気付いて、ミリアは思わず頬を赤らめ黙した。
「多分ね、それはリョウの感情が、ギターに如実に表現されていて、聴く人の心を揺さぶるってことだと思うよ。俺らのファンはほとんどがリョウのファンだ。リーダーだし、作曲者だしな。ライブじゃ誰もがリョウの曲に酔い痴れ、ソロでは涙を流し、リフでは拳を突き上げる。俺がリョウから声かけられて、速攻前のバンド辞めてこっち入ったのは、俺が不義理な人間っていうよりは、」シュンはミリアの耳に小声で囁いた。「人の心を奥底から揺さぶるリョウの音に、心底惚れたからだ。」
ミリアはシュンを見上げた。
「そしてミリアはそのリョウと同じ音を出している。その理由が血でも親父さん絡みでも、俺にとっちゃあどうでもいい。おそらくファンも同じだろう。でもな、リョウと同じ慟哭の響きを出せるのは、おそらく日本でも世界でもただ一人、お前だけだ。だからミリア、」再び腰を屈めて、今度はミリアの目を見て言った。「それで今日の俺らのバンドを救ってくれ。お前ならできる。否、お前しかできない。」
「お待ちどう様。」
先ほどの店員が両手に盆を持ち、大きな丼を男三人の前に、それよりも小ぶりの丼をミリアの前にそれぞれ置いた。リョウは早速「旨そう!」と歓声を上げ割り箸を割ると、一気にカツ丼を口の中に詰め込み始めた。
ミリアはシュンの言葉をもう一度胸に反芻した。――『バンドを救ってくれ。お前ならできる。』
バンドがリョウにとって最も大切なものであることをミリアは熟知していた。人生、命、全て。それを自分が救える、ということにミリアはくるしい程の感動と感謝とを覚えた。
目の前にはキラキラと黄金色した親子丼が、決して自分には得られなかった親子のハーモニーを展開していた。これはリョウと自分だ。今夜、一つのハーモニーを生み出すのだ。ミリアはうっとりと溜め息を吐いた。
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