第29話
いよいよクリスマス当日となった。まずは約束通り、駅前の巨大クリスマスツリーを見に行くことと決まった。リョウはいつもはバイクだから気付かなかったが、歩いて向かう途中、店々からはひっきりなしにクリスマスソングが流れていた。ミリアは少々不満げに眉を顰めた。
「ジングルベール、ジングルベール。」気持ちを盛り上げようとリョウが口ずさむものの、ミリアはちっとも乗ってこない。リョウは不審に思いつつも駅前に到着した。
「ほら、見てみな。綺麗だなー。」最大の目的である駅前の巨大なクリスマスツリーの目の前まで来ると、リョウは手を繋いだミリアを見下ろし、その眼差しがまだ曇り気味なのに遂に、苦言を呈した。
「どうしたんだよ。お前、クリスマスツリー見てえって言ってたじゃねえか。」
ミリアは返事をする代わりに、リョウの手を強く握り締めた。
「どうして……。」
雑踏にかき消されそうなその声の続きを聞き取ろうと、リョウは腰を屈める。
「クリスマスの音楽は、リョウのと、全然違うの?」
リョウは噴き出した。
「あはは、お前、クリスマスソングが何でデスメタルじゃねえのかって、言ってんのか?」
ミリアは険しい顔で見上げ、肯いた。
「あっはははは、凄ぇ発想だな、そりゃあ!」
ミリアが悲し気になったので、リョウは慌てて続ける。
「あのな、あのな、ミリア。クリスマスっていうのは、キリストの誕生日を祝うものなんだから、メタルとは根本的思想が違えんだよ。言ってみりゃあ、敵対する者同士だ。だから、クリスマスの歌はメタルじゃダメなんだよ。」
「そうなの?」
「そうだ。だから頭切り替えてクリスマスを楽しむ方がいい。」
ミリアはそういうものかと頷き、目の前の、三階建て程の高さもあろう巨大なツリーを改めて見上げた。キラキラと輝く赤と黄色のボールに、プレゼントの箱、リボンの付いたステッキが無数に飾られている。ジンジャークッキーは男の事女の子がペアになって、あちこちに仲良さげにぶら下がっており、全てが光輝いていた。
ミリアはうっとりと溜息を吐いた。
慌ててリョウは「ツリー好きならさ、来年、買ってやるよ。こんなにでけえのは、まあ、無理だけど。」と言った。
「いらない。」ミリアは即答した。
「いらないの?」リョウは頓狂な声を出す。「ツリー好きなんだろ? ツリー。」
「クリスマスの、」ミリアは言いにくそうに口を歪めた。「曲、がいい。リョウのクリスマスの歌。」
「マジか……。」そう言って、今度はリョウが感嘆し切りといったように溜息を吐いた。「……。わかった。……わかった。人に曲書いたことねえけど、お前のためならやってやるよ。凄ぇの書くから、任せろ。」
ミリアは長いまつ毛の奥から真っ直ぐな輝く瞳をリョウに向け、笑顔で肯いた。
リョウは右手でミリアの手を引き、左手にチキン入りのバケツを持ち、最期の目的地である駅前のケーキ屋に入った。そこには煌びやかなケーキが幾つも並んでいた。
ミリアが選んだのは中央に雪だるまとブルーのドレスを着た姫君が並び、その周りをいちごが取り囲む華やかなショートケーキだった。
「うわあ。」と頬に手を当てて溜め息を吐くミリアを店員もにこやかに見下ろし、サービスだと言ってジンジャークッキー二枚を付けてくれた。
「お姫様はお前が食っていいからな。」リョウはミリアの手を引き引き、寒風吹き荒ぶ街を歩いた。
「食べない。」
「なーんで。」
「飾るの。」
「腐るぞ。」
ミリアは驚いて立ち止まった。
「腐るの?」
「そりゃ腐るだろ。だって、食い物だもん。」
ミリアは眉根を寄せ俯いたが、リョウに引っ張られ再び歩き出した。
「何で? ……どこに飾りたかったわけ?」
「……白猫ちゃんのお友達にしたかったの。」
「え、でも、ほら、猫と人は話ができねえから、友達にはなれねえよ。」
「なれるよ。」いつになくミリアは怒りを込めた口調でそう断言した。
その背後には、かつて父親と住んでいた際にいつも一緒だった、公園の野良猫たちとの交流があった。いつだって父親に殴られ、蹴られ、追い出されした時に慰めとなってくれたのは、猫たちだった。人間は誰も近寄ってさえ来てはくれなかった。臭い、汚い、卑しい子、そう蔑まれ……。
だからミリアは絞り出すようにもう一度、言った。「……なれるの。」
その声はあまりにも悲痛を帯びていたので、驚いてリョウはしゃがんでミリアの顔を真正面から見据えた。
「そうだよな。悪かった。俺が、間違ってた。あんまり、猫と付き合ったことがねえもんで。」
ミリアは俯きながら肯く。
「いつかでけえ家に住めるようになったら、猫、飼おうな。」
ミリアは再び肯いた。潤んだ瞳にひくひくと鼻を蠢かしながら。
二人は帰宅をすると早速夕食の準備に取り掛かった。
やがてテーブルには姫君のケーキを中心に、チキンの詰まったバケツ、それから半分に割ったゆで卵が大皿の縁を埋め尽くしたサラダ、ミリアが具材を切ったホワイトシチューが並んだ。
ミリアは全てが並んだテーブルを「うわあ」と歓声を上げて拍手をし、それからうっとりと手を胸の前で組みながら見下ろした。
リョウはビール片手にソファに植わると、含み笑いをしながら言った。
「ほら、いただきます。飯は見るためにあるんじゃねえぞ。」
ミリアはソファに座り、銀色のスプーンをリョウから受け取ると、「いただきます。」と言い、ふふっと笑うと早速卵を頬張った。
ディナーは味も見た目も格別だった。
ミリアは、サンタがもう一足早くプレゼントをくれたのだと信じて疑わなかった。サラダも、チキンもシチューも、全て素晴らしい味だったし、目の前には上機嫌なリョウがいる。リョウといっしょにいたいという願いをサンタクロースは叶えてくれたのだ。美桜がサンタへの手紙の書き方を教えてくれて良かった、と心底ミリアは感謝した。
夕食を食べ終わると約束通りケーキに乗った姫を、えいと目を瞑って齧るとミリアは「甘あい。」と頬を抑えた。
皿が空になり、それらを台所に運ぶと、片付けはもう明日にしようとリョウはギターを弾き始めた。ミリアもそれに合わせてギターを手に取り、弾き始める。
最初は、最近ミリアが気に入っているCARCASSの『HEARTWORK』。リョウがそれに合わせて歌を歌う。吐き捨てるようなデスボイス。しかし今日はステージのような鬼神の形相では無く、笑顔だった。一通りそれが終わると、先だってのライブでリョウと一緒に弾いた曲を共に弾いた。美しいハモりのメロディーライン。ミリアは目を閉じてその音を永遠に記憶しておきたいと願った。
リョウの曲をリョウと弾き、その思いを共有したい。それがミリアの今一番の希望だった。またリョウと一緒に、全ての過去を浄化しながら演奏できたら――。ミリアは来年のサンタさんへのお願いはそれにしよう、と思い付き微笑んだ。
その夜、いつもは八時を過ぎれば寝ろとうるさいリョウも、ビール片手に上機嫌で日付の変わる頃までミリアとギターを弾き続け、遂に疲れ果てたミリアは至上の幸福感に包まれながら、ソファに横たわりもっともっとリョウとギターを弾いていたいのにどうしても目を開け続けることができず、引きずり込まれるように深い眠りに落ちていった。眠りに落ちる寸前、ふと、父親と暮らしていた時、こんな人生を自分は想像だにしてはいなかったとミリアは思った。するとリョウが愛おしくて堪らず、その頬に接吻をしたいという衝動が沸き起こって来た。だのにどうしても睡魔に打ち克つことは叶わず、ミリアは不甲斐なくもそのまま幸福な夢の世界へと入って行った。
リョウはミリアに花柄模様の毛布を被せる。長い睫毛に瑞々しい唇、つんと上を向いた鼻。全てが愛らしかった。リョウは微笑んで柔らかな髪の毛を掻き上げ、衝動的に白磁の額に唇を寄せた。
築三十五年の力荘の一室に、早朝の清新な空気を劈く悲鳴が上がった。
リョウは慌てて布団を撥ね退けると、すぐさまリビングに駆け込んだ。
ミリアは大きな箱を持ち上げながら、窓辺に立ち、朝日に向かって歓声を上げていた。
「……お前、何やってんだよ。」
「これ。」ミリアは苦しいような笑顔を浮かべ、リョウの目の前に箱を持って走り来る。
「……ああ。」リョウは目を細めて肯いた。
「これ、猫ちゃんのおうちなの!」ミリアの頬が興奮で紅潮している。「灯りがついて、暖炉もソファーも、台所もテーブルも、ピアノもあって、美桜ちゃんのお願いしたのとおんなじなの! 美桜ちゃんがサンタさんに頼んだやつと! 美桜ちゃんと仲良しだから、お揃いのくれたの?」
リョウは一瞬目を見開いたものの、「ああ。」と努めて生真面目な顔を作り、肯いた。
「サンタさんが! ……お手紙に、おうちなんて書いてなかったのに!」ミリアの双眸から涙が零れ落ちる。
「そう、なのか。」そう言って、リョウは自分のスウェットの袖口でミリアの涙を拭ってやる。こんなことばかりだなと思い、噴き出した。「で、外見てサンタ探してたのか?」
「うん。」
「どれ。」
リョウはミリアをプレゼントの箱ごとひょいと持ち上げ、窓際まで歩いた。
「サンタ、どこにいったかなあ。」リョウは窓の外を眺めながら呟く。空は雲一つない快晴だった。眩し気に目を細める。「赤い服着たオッサン。どっかに見えるか?」
ミリアは懸命に目を凝らした。しかし家々の屋根が朝日に照らされ、輝いているばかりで人気はない。
ミリアはやがて諦めたように静かに首を横に振った。「いない。」そしてふと、今し方気付いたとでもいうように、目の前のリョウを見ると、「赤い髪、ここにいた。」と言ってリョウの髪を引っ張り、きゃっきゃと声を立てて笑った。リョウは一瞬ぎくり、としたが、まあいつかは気付くことであろうと、されるがままにミリアに髪の毛を弄ばせていた。
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