第27話

 リョウは茫然と立ち尽くした。

 目を瞑って、ああ、と声を出さずに呻く。自分が、間違っていた。ミリアはそんな子供ではなかった。

 一筆箋には大きな字で「リョウとずっといっしょにくらせますように。」とあった。

 暫くリョウはそれを凝視すると、再び封を閉じ、部屋を眺め回すと部屋の一番高い所に乗せたアンプの中の空洞に手を差し伸べ、入れた。

 今まで自分はミリアに何をしてやったろう。無論いつだって幸福にしてやりたいと思ってはいる。しかし実際の所では、自分は定職にも就かないバンドマンで、それに人生を賭している。おまけにレッスンの仕事は不規則で、ツアーでは一か月もほったらかしにし、さんざ寂しい目に遭わせてきた。ミリアを大切にしたいと思いつつも常に自分の二の次になってしまっていることは明らかだ。だのに、こんな自分を――、ミリアはこんなにも慕ってくれている。それは、あの父親と比較しているからだろうか。自分から見放されたら行き場がないと、そう、思っているからだろうか。否、そんな計算ができる子ではない。リョウは無償の愛に触れ、身の震え出すのを覚えた。初めての感覚だった。


 翌朝、ミリアが目を覚ますと、既にリョウは台所で朝食の卵を焼いていた。ミリアは暫く寝惚け眼で呆然とその様を眺めていたが、はっとなって枕元を見た。無い。枕を上げる。無い。ソファの下を探し、テーブルの上を見、毛布をぶんぶん振って何も落ちてこないのを確認し、口をぽかんと開けた。

 「どうした、ミリア。おはよう。」

 リョウが台所から何気なさを装い、そう、やけに低音響かせた声で言う。

 「無い。」

 「何が。」

 ミリアは一瞬口籠り、それからそっぽを向いて「……お手紙。」と低く呟いた。

 「へえ、お手紙。」リョウは噴き出しそうになるのを、空咳でごまかす。「……誰に、書いたのかな。」

 ミリアはそれには答えず、毛布に顔を突っ伏して、足をバタバタさせた。

 リョウはさすがに可哀想になって、「ああ、そういやさあ、昨日、俺、一時過ぎに帰って来たんだけどさあ、あいつ、が、いたんだよな。」

 「あいつ?」ミリアはそうっと顔を上げ、毛布を抱き締めながら、神妙そうに復唱する。

 「ああ。……サンタ、って奴か?」

 全身に冷や汗を搔きながら、しかしリョウは何とかそう言い切った。

 ミリアは毛布を振り払い、目を真ん丸に見開いた。そして突然立ち上がると、テーブルの周りを慌ただしく巡り始めた。リョウはその様がおかしくてならない。鼻息荒くしどうにか笑いを収めた。

 ミリアはテーブルを三周ばかりしてそのままリョウの隣に走り込んで来ると、大きな瞳でひたと見上げた。

 「サンタさん、何か、言ってた?」

 リョウは困惑する。そこまでは考えていなかったので。

 ミリアの光り輝く眼を見下ろしながら、焦りを隠すように深呼吸をする。「何て、言って、た、か、なあ。……あ、そういや、」ごくりと生唾を飲み込む。「余裕だっつってたな。」

 「よゆう?」ミリアが顔を顰める。まずい、サンタの語彙には無かったか、とリョウはたじろいだ。

 「ああ、あれだろ? だから、この子の願いは余裕で叶えられるなってことだろ? ほら、中にはよお、クソ高ぇオールドのギブソンくれとか、ジャクソンのキングVくれとか、はたまたホンダのマグナくれとかヤマハのドラッグスターくれとかって言う、恥知らずなガキもいるんだろう。多分。」それらは全て自分の趣味なのである。

 ぱあっとミリアの顔に満面の笑みが広がった。そしてその大きすぎる双眸がじんわり濡れ、妙な輝きを秘めだしたかと思うと、大粒の涙が溢れ出した。

 リョウは慌てて、思わず今し方包丁を拭ったばかりの台拭きでミリアの目元を拭った。

 「ダメか? ダメじゃねえだろ? だって、お前がお願いしたんだろうよ!」

 ミリアは固く噤んだ唇をふるふると震わせ、それに耐えきれずうわあと喚くと、頻りに激しく肯いた。

 「なんで泣くんだよ!」

 ミリアはリョウの、Cannibal Corpseの来日記念に買ったトレーナーの腹部に顔を埋めると、ひっくひっくと声を静め始めた。

 「リョウが。リョウと。一緒に……。」

 ミリアは全ては言わぬつもりなのか、そこまで言って苦し気に喚いた。リョウは仕方なしに右手でミリアの手を引き、左手で卵焼きを挟んだサンドウィッチを乗せた皿を持ち、ソファに座らせた。

 ミリアは目を真っ赤にしながら、濡れて光る頬を頻りに拭い、それからサンドウィッチを眺めた。レタスとハムと、それからミリアの大好きな卵焼きがはみ出している。ミリアは腫れた目でにっこりと笑った。

 「そうそう、笑え笑え。朝から泣くもんじゃねえよ。早く食って学校行かねえとな。な。」リョウはそう強く念押しをすると、冷蔵庫からミルクを取り出し、グラスに口いっぱいまで注いで手渡してやった。ミリアは「いただきます。」と言うと、ごくごくと喉を鳴らしてミルクを一気飲みし、リョウが呆れるぐらい大口を開けてサンドウィッチを頬張った。


 ミリアを学校へ送り出すと、リョウはそういえばと、昨日レコーディングに向かう途中、いつもの街並みがクリスマス色に染まっていたことを思い出した。おそらくは小学生の間ではその話題で持ち切りなのだろう。その中で、ミリアはサンタへのお願いの仕方を教えてもらったに相違ない。

 それでもさすがに、一緒にいられるのだからクリスマスプレゼントはそれでおしまい、という訳にも行くまい、とリョウは一人ソファで腕組みしながら考え始めた。冬休み明けの教室で何をもらった、かにをもらったと報告し合うであろうことを思い浮かべ、その中で兄と一緒にいられたのだと告げるミリアはあまりに不憫に過ぎる。

 リョウは深々と溜息を吐いた。どれだけ頭を捻っても、ミリアにどんなプレゼントをしたらよいのか、浮かんでこない。女へのプレゼントなどというものは人生最大に不得手であった。

 大体この時期街へ出る際には、ヘッドフォン冠ってThousand Eyesの『Endless Nightmare』を大音量で流し、この浮かれ調子に僅かにも脚を救われればデスメタラーの沽券にかかわるとばかり、眼光鋭く歩くのが常であった。しかし女児と暮らす以上、この妙なプライドも終いだ。リョウは鼻息荒く決意を固めた。

 ツアーが無事に終了したこともあり、クリスマス、大みそか、正月と、リョウは久方ぶりに世間と軌を一にして休暇を楽しむ、というメタラーにしては僥倖とも言える栄誉に預かっていた。新曲のレコーディングを少しずつ行ったり、ギターのレッスンに行ったりする以外は、家のパソコンで曲を作るぐらいが、今のリョウに辛うじて課せられた日課であると言える。

 だからリョウは顎を撫でながら、ミリアへのクリスマスプレゼントは何にしたものかと、暫く考え込んだ。

 おそらく一番の喜びを与え得るのは本物の猫だが、そんなものを連れ込んだ日には、追い出されること必定。即刻宿無し兄妹の出来上がりだ。リョウは項垂れる。ならば猫のぬいぐるみにしようか。でもそれを次にライブをまた一緒にやることになったとして、アンプの上に載せてくれと言われたら、……さすがに客にばれる。Last Rebellionはファンシーショップになったと噂を立てられたら、……今後やりにくいことこの上ない。リョウは溜め息を吐いてふと視点を上げた。パソコン台の脇には白猫一家が楽し気に団欒を繰り広げている。やはり、鍵はこいつらか、と。

 リョウは立ち上がってパソコン台に近づくと、白猫の父親をつまみ上げ、じろじろと見た。小さなネクタイやベルトに加え、更に小さな鼻眼鏡まで付いているのにリョウは改めて驚いた。続いてその隣に置かれた母親猫をつまみ上げる。花柄のエプロンにはフリルまで付き、やはり凝った作りだ。

 この白猫一家を倍増させて、白猫街か白猫国を作ってやろうか。

 ……安直過ぎる、とリョウは力なく首を振る。それでは質より量を体現しただけだ。

 求められるべきは、質。

 それは音楽と同じではないか。リョウは思い当たる。いくら評判が良かったとはいえ、既存の曲と同じタイプの新曲を量産したところで、誰が喜ぶだろうか。終わったバンドと、呆れられ客を逃すだけだ。

 突如、あ、とリョウは小さく叫んだ。

 そして壁の時計を見た。まだ九時前だ。今から行けば、ミリアの帰宅までには十分に間に合う。

 すぐさま財布とバイクの鍵を尻ポケットに突っ込み、ヘルメットを搔っ攫うように胸に抱くと、リョウは慌てて家を飛び出した。

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