第31話

 その日の夕方、ミリアは約束通り、猫の顔のついた青いピックを三十枚ほど握り締めてシュンと意気揚々と帰宅した。そして、今朝背負って出て行った猫顔のリュックがやけに膨らんでいるのに気付き、リョウは首を捻った。

 「何入ってんの。」

 「貰ったの。」ミリアは照れくさそうに、猫のリュックを見せるべく身を捩りながら答えた。

 「誰に。何を。」

 「ミリアといると凄ぇのな! 可愛い可愛いっつって、何でもくれる。これ、大人になったらやべえそ。」シュンがソファにふんぞり返りながら缶コーヒーを呷り、言った。

 「あ?」リョウは眉間に皺をよせた。

 ミリアはリュックを降ろし、中からポテトチップスの袋、クッキーの袋、キャンディー缶に何故だかジャムの瓶を取り出し、続いて猫を模したご当地キャラのぬいぐるみまで引っ張り出した。

 リョウは唖然としてそれらを見詰めた。

 「工場の人たちがさ、ミリアが可愛いっつって、何でもプレゼントだっつって持ってきてくれるんだよ。俺もついでにこれ、もらった。」そうしてシュンはあまり羨ましくもない、会社のロゴがでかでかと入ったフェイスタオルを見せた。

 リョウは唇を歪める。そして、「おい、こんなんダメだろ、ちやほやされて勘違い馬鹿女になっちまったらどうすんだよ!」と怒鳴った。

 シュンはきょとんとして「いいじゃん。世の男共を翻弄する女。かっけえ。」と言った。リョウはもうだめだとばかりに今度はミリアに眼光鋭く向き合うと、「お前、ちっとは日頃からちゃんと整理整頓しろよ。こっから」と言って、カラーボックスを蹴飛ばす。「半年前の給食の献立表とか出てきたからな! どんだけ給食愛してんだよ、てめえは!」

 ミリアはそう言われてしゅんとした。

 「小せえこと言うなよ。」慌ててシュンが擁護に出る。「お前だって棚、ぐちゃぐちゃだったじゃん。ギターだけじゃん。綺麗なの。なあ、ミリア。」

 「何でお前ミリアのこと庇うんだよ。普通考えてダメだろ、こんなんじゃ、将来お嫁に行けないだろ。」

 わあああああ! とミリアは突然大口開けて号泣し始める。二人の大人はその音量に思わず身を竦めた。

 「……あーあ。」とシュンはミリアの頭を撫でてやりながら、リョウを横目で睨んだ。「可哀想になあ。今日車ん中で、ずっとリョウと結婚するんだって話してたのによお。嫁に行けだなんて、お前は血も涙もねえ。悪魔だ。」

 リョウはどきりとした。法律で禁止と言ったのに納得し得なかったのかと、さすがこの齢でデスメタルを愛好するだけあると、妙に感心する。

 「あーあ、何でお前は女心がわからねえかなあ。死だの絶望だの、そんなんばっかり詞に書いてるからダメなんじゃねえのか。たまには愛してるだの、可愛いねだの書いてみろよ、タコ。」

 「あ。」とリョウはそれで思い出した。「そうだ、ミリア。ミリアちゃん。可愛いミリアちゃん。泣き止めよ。ほら、お前が言ってたクリスマスソング作ったんだからよ。」

 ミリアは素直に声を収め、リョウを見上げ、濡れた睫を瞬かせた。しかしそれよりも驚愕した顔で固まっているのは、その隣のシュンである。

 「大掃除っていうのは案外疲れるからな。そういう時には曲を作るに限る。」

 リョウが妙な理屈を捏ねながらパソコンを操作すると、リンリンリンと鈴の音が鳴り響いた。

 ミリアは完全に涙を止め、それに聴き入る。

 しかしすぐさま凄まじい土砂崩れの如きドラミングに、唸りを上げるギターが入る。ミリアの頬が弛んだ。そして世の全てをつんざくような怒号。ミリアはぱっと明るい顔でリョウを見上げた。デスボイスはよく聴けば、「ミスター・サンタクロース!」と絶叫している。


 赤い服着た男は どこへ行った

 ミリアが探している

 赤い髪しかここにはいない

 赤い服着た男は どこへ行った

 探せどいない 青空しか見えない

 ここにいるのは

 ミリアと赤い髪二人きり

 赤い血がおそろいの

 赤い血がおそろいの


 「なかなかだろ。」

 ミリアは笑顔で肯いた。その隣でシュンは唇をひん曲げながら、目を瞬かせる。

 リョウはギターを持ち出し、曲に合わせてリフを刻んだ。Eマイナーを基本とした、暗さの中にも強靭さの宿る印象的なリフだった。きゃあ、とミリアが歓声を上げる。

 「……お前、変わったよな。」

 ぷつん、と、シュンが呟いた。

 「何で? 俺、このコード使いまくりじゃん。凄ぇ俺らしいリフだろが。」

 「違ぇよ。」シュンは軽く頭を左右に振った。「よくこんなん作ったな。死も絶望も、ねえ曲。」

 「言っとくが、ライブでやろうとか、レコーディングしようとか、一言も言ってねえからな。趣味だよ趣味。ただ、ミリアとの約束だったからな。こいつ、笑えるんだぜ。何でデスメタルのクリスマスソングはねえの、とか言いやがって、クリスマスの日、落ち込んでやがんの!」

 「それだよ。」シュンは空いた缶をゴミ箱に放ると生真面目に言った。

 「お前、ミリアと暮らすようになってからさあ、何つーか、地に降りてくるようになったよな。」

 「はあ?」と言ってリョウは目を見開いた。

 なぜだかミリアも眼を見開いた。

 「前のお前なら、死んでも人に曲なんて書かなかったじゃねえか。俺は俺の感情を浄化させるためだけに歌う、とか言ってよお。」

 リョウは引き攣った笑みを浮かべ、「そう、だっけ、か?」と痛々しいぐらいの作り笑顔を浮かべた。「でも、まあ、ミリアは妹だからさ……。」

 「良かったな、ミリアがお前ん所来て。それで俺はミリアよりもお前の方が救われた気がするよ。」とシュンは言った。

 曲のラストを飾る鈴の音が静かに鳴り響いていた。


 明くる日の午後、運送業者から派遣されてきた若者二人が力荘の前に降り立ち、住所を再度確認し噴き出したのは、決して彼等に精神的忍耐力が不足していたためではない。

 築三十五年の力荘の壁はそれに恐ろしいほど相応しい外装内装を誇り、おまけに部屋に一歩踏み入れればこの部屋の主は赤鬼の如き容貌をしていて、しかも部屋にはやたら尖った妙なギターばかりが並べ立てられていて、曲線見事なこの天蓋付きベッドとは地球の北極と南極ぐらい懸隔している。

 二人はその部屋と主を一目見るなり、必要以上に目深に帽子を被り、古びた板の床の上にどっかと天蓋付きベッドを設置すると、挨拶もそこそこにそそくさと退散した。そして帰社するなり二人の口から勢いよく語られた力荘の一室の有様は、その後もしばらく社内で語り継がれることとなった。

 引っ越し業者が帰り、リョウは店内で見たそれよりも遥かに非日常を体現することとなったベッドをごくりと生唾飲み込み眺め直し、さすがに暫くは動じることができなかった。意を決し呼吸を一つ、二つ、置いて、「ミリア、入ってきていいぞ。」と告げた瞬間、先程からリョウの寝室での待機を強いられていたミリアが、勢いよく飛び出してくる。

 ミリアは出てくるなり目と口をここぞとばかりに開け、固まった。声さえ出ない。

 頸ばかりを何度も上下させ、目の前の天蓋付きベッドを上から下まで、隈なく焼き付けるが如くに、見た。

 「……お姫様……」

 ぼそり、と呟いてふと我に返り、「どうしたの、ねえ、どうしたの。これ。どうしたの。」リョウのSOILWORKのパーカーの裾を引っ張り引っ張り騒いだ。

 「誰の? リョウの? ミリアの? 誰の?」

 「お前の。」

 ふうわああ、という声とも溜息とも付かない音がミリアの口から発せられた。

 「背、伸びてきたし、ソファーじゃ小せえだろ。それにいつまでもソファじゃ、」虐待だよな、と言おうとして慌てて言葉を呑み込み「不便だからな。」と付け加えた。

 ミリアはベッドの前で拳を固く握り、唇を固く結ぶ。それらはすぐに小さく震え出した。「お金、いっぱいかかった?」と聞いた。

 リョウは「かからねえよ。」と笑った。六ヶ月分割払いコース、今日から半年間、スーパーは何があっても夕刻以降にしか足を踏み入れず、半額の食材だけを買えばな、と胸中で再び計画を反芻する。

 「かかった?」疑っているのであろう、先ほどのそれよりも涙声になっている。

 リョウは溜息を吐いてミリアの前にしゃがみ込んだ。

 「お前がライブであんだけギター弾いてくれただろ。そしたら俺が教えれば、ものの一年であそこまで弾けるようになるって、レッスンの希望者がもう、すっげえの! 毎日満員御礼。俺、今超金持ち。」

 最後は少々盛ったがそれ以外においては全て事実であったので、リョウはしっかりミリアの眼を見て語った。

 「つまり、お前が稼いだも同然だ。お前のお蔭なんだから。」

 するとミリアはリョウの頸に両手を絡め強く抱き付いた。リョウはすぐさま頸筋に熱い涙が伝うのを感じた。

 「ありがと。」籠った声は完全な涙声になっていた。

 「どういたしまして。」リョウは再度、シュンがもたらした少々のキティちゃんグッズとは比較にならない程、デスメタルボーカリストの部屋を著しく混乱、狂乱、錯乱させる天蓋付きベッドを眺め上げた。そして、その無茶苦茶な非日常的風景に、今更ながら噴き出した。

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