第14話
いよいよ明日から二学期が始まるという晩、リョウは練習もレッスンも入れずに、スーパーで半額になっていたアジの干物を焼いた夕食を挟んで、じっくりと腰を据えて話し始めた。
「もし転校生だなんつって学校でいじめられたら、すぐに俺に言えよ。俺はデスメタルバンドのフロントマンだ。世界で一番強い種族の人間だからな。即座にぶっ飛ばしてやる。」
ミリアはアジを食べながら、公園の猫たちにあげたらどれ程歓喜するだろうと、そんなことばかりを考えていた。
「それから学校で必要なものもな。金がかかるなんて、もう、金輪際遠慮するなよ。曲の印税だって入るし、俺のギターのレッスンは前も言ったようになかなか、人気なんだ。それは俺が始終家を出てることからも、わかるな? 遊び行ってるわけじゃあねえぞ。……あと、何か心配事はあるか?」
ミリアは飯を頬に詰め込みながら首を振る。
「よし。じゃあ、明日は遅刻をしないためにも早く寝ろ。さすがに最初っから遅刻は、恰好悪いからな。目立ちてえなら、他に方法はごまんとある。……ということで、ギターの練習はまた明日だ。」と言ってさっさと皿を片付けると、自ら範を示すかのようにすぐにシャワーを浴び、ギターの練習も止めて、ゴウゴウ鼾をかいて寝てしまった。ミリアも仕方なく、ソファで横になり暫く隣の部屋から響くリョウの鼾を聞いているうちに、いつの間にか眠りに落ちていった。
リョウが自らかつてない早寝をした理由は翌朝すぐに知れた。ミリアの手を引き、学校まで送っていくことになったのである。バイクではない。十五分かけて一緒に歩き、中途「ここは信号がないから、車が来ないか、ちゃんと右左見ろよな」とか、「ここは塀が高くて視界が悪いから、変な奴に追っかけられたら、どこでも家に逃げ込めよ」とかと、逐一注意深く言った。他の大勢の子供たちと共に新しい小学校の校門に辿り着くと、そこには先日面談をした校長が満面の笑みで立っていた。リョウは深々と頭を下げ、ミリアの耳元に口を近づけながら、「まずったな。赤髪がばれた。」と苦々しくミリアに囁いた。「説教されるかもしれねえから、ここで、終いだ。」それからやけっぱちたような笑みを浮かべ、「じゃあな。行ってこい。」と言い、そのまま小学生の波を逆行し、(そこには自ずと道ができた)リョウは赤髪を棚引かせながら帰っていった。
校長に誘われ、ミリアは初めての生徒でいっぱいの校舎に足を踏み入れた。学校は騒がしかった。ミリアは自分が以前通っていた(それはとても昔のことのように思える)学校も今日はこんな感じなのかしら、とふと懐かしく思うと同時に、誰にも別れを告げずに来てしまったことに、今更ながら胸苦しさを覚えた。
ミリアは四十過ぎの女性の担任教師に手を引かれながら、長い廊下を渡って教室へと向かい、好奇心に満ち満ちた瞳を持つ大勢の生徒の前に引き出され、紹介を受けた。ミリアは一層か細い声で名前を告げ頭を下げ、言われるがままにの中央の席に着いた。
隣はつやつやとしたお下げ紙の元気そうな女の子で、席に着くや否やすぐにミリアに微笑みかけた。教師が友達と仲良くすることの大切さを強調した話をして、一時間目が終わった。
早速休み時間になると隣の席の少女が、嬉々として身を乗り出しミリアに話し掛けた。
「今朝ミリアちゃんのパパ、校門の所で見たわ。髪の毛真っ赤ね。ライオンみたい。」
ミリアはパパ、という単語を聞いて一瞬体を硬直させたが、すぐに心得顔に肯いた。
「リョウは、ギターがとても上手なの。」
「リョウ?」女の子は大きな眼を一層大きくした。「パパのこと、リョウって呼んでるの?」
ミリアは返答に詰まった。
しかし少女は全く気に介することも無く、「私はパパ、ママって呼んでるの。名前で呼ぶなんて、外国人みたいね。素敵。」とにっと笑った。「私、相原美桜。よろしくね。」
美桜、は明るくおしゃべりだった。どこに住んでいるの、わあ、近くね、本物のライオン見たことある? 今年の遠足は動物園だから一緒に見ようね。そしたらその次は運動会があるのよ。ポンポン作り楽しみ。
次から次へとそんな話をしている内に、クラスの男子も女子も挙って美桜の傍に依って来て、ああだこうだと会話に加わり始めた。ミリアの最初の友達との称号を得た美桜は、ミリアのことを声高く彼らに伝えた。「ミリアちゃんのパパは、真っ赤な髪をしていて、ギターが上手なのよ。」
輪を成した何人もが皆で肯き合う。
「今度、運動会来るかなあ?」
美桜はミリアの顔を見た。ミリアは心配そうに俯いていた。父でもないリョウにこれ以上の負担を掛けたくはなかった。でももし学校に来てくれたとしたら、こんなに嬉しいことはないとも思われた。
「きっと来てくれるよ。だって今朝だって学校までミリアちゃんと一緒に来てたもん。」美桜が言い、ミリアははっと笑顔になり、小さく肯いた。
チャイムが鳴り、教師が教室に入って来る。ミリアと美桜を大勢が囲んでいる様子を見て、「さあさあ、みんな、席に座って。」と安堵の笑みを浮かべた。心に傷を負った、自己表現の難しい子供なので、クラスに溶け込んでいけるかの不安はあったが、相原美桜と親しくなれたのならばひとまずは安心である。教師は美桜の隣に座らせた自分の選択を改めて間違ってはいなかったと内心喜んだ。
それから皆が大騒ぎをしながら宿題を提出し、夏休みの思い出というテーマの作文を書き、騒がしい二学期最初の一日が終わると、美桜は「うちに遊びに来て」、と強く誘った。リョウは、今日は昼からレッスンがあると言っていたし、美桜の家はどうやらミリアの家のごく近くということだったので、ミリアは初めて、友達の家に遊びに行くというイベントを自らに許した。ランドセルだけ置きに家に帰るとすぐに、ミリアは階下で待つ美桜と共に美桜の家へと向かった。
歩いて数分のそこは、豪邸だった。少なくとも、ミリアが見たことは無い程大きく、何もかもが立派だった。王宮さながらの門構えに、悠々と走り回る大型犬。花壇には色とりどりの花が咲き誇り、窓からは美麗なカーテンが揺らめいていた。
ミリアはそれらを前にしながらも、楽し気に自分の家族の話を続ける美桜の隣で唖然とするしかなかった。美桜はそのままミリアを引っ張り、庭を抜けると、玄関を開け、「ただいまあ。」と叫んだ。すると奥から美しい笑顔を湛えた母親がそそくさと出て来た。美桜は誇らしげに、ミリアを母親の前に突き出した。
「黒崎ミリアちゃん。今日、うちのクラスに来た転校生なの。」
「まあ、まあ、よろしくね。うちの美桜は我儘で仕方がない子なのだけれど、どうぞよろしくね。さあ上がって頂戴。ちょうど今クッキーが焼けたところなの。」
美桜の母親は、美桜とそっくりの笑顔を浮かべながら二人をダイニングテーブルに着かせた。
ミリアは、再びその対応に目を丸くした。今までならば、汚い子、暗い子、食べ物をもらいに来たいやしい子、などと言われ、来訪を歓迎してくれた大人なんぞ一人もいなかったから。それはきっと、――ミリアは自分の服を改めて見詰めた。体にぴったりと合った、伸びてもいない、毛玉もできていない、破れても、色褪せてもいない、新品の猫の顔が付いたTシャツと、綺麗な三段フリルのついた水玉模様のスカート、それに、整えられた髪の毛。これらのお蔭なのだ、つまりはリョウが揃えてくれた――、ミリアは目頭が熱くなるのを覚えた。リョウに今すぐ会いたかった。今すぐ駆けて行って、あの大きな胸に飛び込み「ありがとう」と叫びたかった。拳をぐっと、握る。呼吸を整える。
美桜の母親は焼いたばかりの色とりどりのクッキーを大皿に並べて出してくれた。美桜は「どうぞ。」と言ってミリアに一枚差し出し、自分でもぱくりと頬張った。ミリアもチョコクッキーを頬張り、目を見開いた。それは本当に美味しいクッキーだった。少なくとも人生においてこれ以上美味しい菓子を食べたことはなかった。目でそう伝えると美桜は心得顔に肯いた。ミリアは即座にこれをリョウにも食べさせたいと思って、そっと美桜に、「一枚持って帰ってもいい?」と尋ねると、美桜の母親が「そんな少しじゃダメ。」と、台所に残っていたたくさんのクッキーを、可愛らしいリボンの付いた箱に詰めてテーブルに置いてくれた。「帰りに、忘れないで持って帰ってね。」ミリアは心臓の鼓動が高鳴るのを抑えられなかった。
「ミリアちゃんのパパは、とってもおしゃれなのよ。」美桜ちゃんが教室でのように自慢げに言った。 「だって、髪の毛が真っ赤なの。ライオンみたいなの。」
「リョウは、」そう言ってしまってから、ミリアはまた不審がられるかしらと一瞬怯んだが、美桜の母親は美桜と同じ笑顔でにこにこして聞いてくれている。「とっても速くて綺麗なギターが弾けて、毎日ギターのレッスンもやっているの。ずっと教えている人も大勢いるの。そして壁にはいっぱいのとんがったギターが飾ってあって、凄いの。」
「ねー。」美桜は部屋を見たこともないはずだのに、そう満面の笑顔を傾けて同意した。
その後美桜の部屋で一緒にビーズのブレスレットを作り、頃合いを見て美桜の母親が出してくれた梨を食べ、山ほどのおしゃべりをした。まるで今まで出会っていなかったのが理不尽なことで、だからこそそれを早々に埋めなくてはならないといったようであった。
美桜は口数の少ないミリアの話も引き出していった。中でもミリアがリョウと一緒に郊外へとショッピングに行き、白猫の人形を買って貰ったことを、大層羨ましがった。美桜は自宅で飼っている犬のロビンを大層可愛がっているらしく、犬の家族はなかったかと頻りにミリアに尋ねた。ミリアは多分いたから、その内買って貰ったらいいと進言した。その後美桜も美桜の母親も口を揃えて夕飯を食べていけというのを、リョウが帰って来るから、と断りミリアは走って家に帰った。
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