第七章 4

 冷えた缶を頬に当てると、目をさました。あなたは二時間ほど眠りについていた。


「すこしは疲れがとれたかい」


 ことばを口にすると、起き上がりカフェラテの缶をあけながらうなずいた。


「ほんとはもうすこし眠らせてあげたいが、時間がないので起こした。基本からもう一度おさらいするけど、その前につたえないといけない大切なことを語るから、食べながら聞いて」


 ぼくはメロンパンをほおってカフェラテの缶をあける。二口飲んで語りはじめる。


「魔術の研究をぼくはとても遠い時から行ってきた。ぼくが歩いてきた遠い道程をあなたは三日で駆け抜けないとならないわけで、この三日であなたが得ることのできるものは知識の領域のちからになるだけでしかない。魔術とは知恵だから知識を知恵に変えるための儀式が必要になる、儀式とは得た知識を活かす体験」


 あなたはぼくの口から放たれることばを心でなんどもくり返しているようだ。ことばをつないでいく。


「儀式をことばにするなら御心に叶う生活ということになる。ぼくの魔術は帝たる主に祈りを捧げて願いをつたえる。どうやって主に願いをつたえるのか、ここに僕の魔術の秘密があり、彼の教えに秘密を解く鍵がある。それは、どうしてわたしを善い者というのか善いものは神のみである。ということば」


 真剣な表情であなたはぼくの顔を見ている。


「この謎の秘密はすこし考えて。なんでも答を先にしっては面白くない。秘密があるから面白いのだと思う」


 たしかにそうだと理解している顔でうなずいた。


「では魔術をかけるためにもっとも難関となる障壁の話をする。それはあなたが魔術をかけると思うこと」


 意味がわからないという仕種をしそうになりあなたは押さえた。


「魔術とか魔法とか呼ばれる技術や方法は世界中にある。魔法とか魔術とかいう名の方法や技術になくてはならないもの、それは数。現在の科学はその基盤を計算によって支えている。それは太古の技術も同じ、魔法の技術に欠かせないのは数と色と音」


 同じようなことばをぼくは繰り返す。


「魔法の技術にもっとも不可欠なのは0という数と0という色と0という音」


 余計に意味がわからないとあなたの顔は表示していく。


「放浪の民の神、つまり創造の神の名はこうつたえられている。あるもの。あるものを創造した神はどこにあるだろうか」


 どこにあるかあなたは考えている。


「彼は神の子と呼ばれているが、彼の名は天の使いによりつけなさいといわれた名であるらしく、その名の意味は神は我々とともにいる」


 固まったようにうごかず、あなたはぼくのことばを追いかけている。


「神とは我々すべてをうごかしているちから。神の体が宇宙と呼ばれるもの。ということは神の体をうごかしている神の心はどこにあるのか。占は神の心をしるための術としてして生まれた。占は内にあると思う、それとも外にあると思う」


 たずねるとあなたは外と答えた。ぼくは理由を求める。


「占は卜とも書くから」


 どうやら種は蒔かれたらしい。


 答えるとあなたは辞典に外と打ち込み検索した。あなたはしった。外という字が月の欠け方を見て占うことから生まれた字であることを。


「知識って大切だろ、ゆり」


 ほんとに。という顔をしてあなたはうなずいた。


「太古の放浪の民が用いていたことばには数を示すことばがなかった。ことばそのものに数をあらわすちからがあったらしい。つまり言葉が数だった。そのちからをこの国の言葉にも応用すると一はあるということばにできる。一はもとからはじめとも読むから一にははじめという意味がある。ここまでは理解してるかな」


 理解できたとあなたはことばにした。


「零はあるだろうか。ないだろうか。答えは数としてはないをあらわすことになる。けど、それは数としてはあらわせないことをしめすだけで零がないわけではない。なぜなら零ということばにはしずくという意味があるから。ではないとはどういう意味だろう。それは鍵括弧付きのないで、見えない。聞こえない。感じない。というないだとしたら、そのない零はどこにあるのか。答は内となる。内とはなにから生まれた字なのかというと、屋根に入れることから生まれた字。宇宙とは家。ここで思い出されるのは祈りの家ということばでないと、困る」


 あなたの心には祈りの家ということばが浮かんでいた。


「祈りの家とはなにをさしていわれたことばか、答えは肉体であろう。このことばは肉体とは内なる神の家。と預言者が神のことばをつたえたことばだとぼくは感じている。それは神の心の表れが宇宙というおおきな家で、その家のなかに内なる神の心を表したものとして内なる神の家である人の肉体があるということで、内なる神の心をしるためには、家である自分の肉体をしらなければならない。ということを意味するだろう」


 理解しながらあなたはぼくのことばを追いかけている。


「もとのもとは同じものでつくられているのだから、根本の原理はおおきな家もちいさな家も同じであろうという推測が成り立つ。根本の原理が数として示されるのであろうというのが魔術の根本的な原理。空間の広がりは時間の流れでもある。はじめがあればいつかはおわりを迎える。はじめとおわりしかなければそこにはなにもない。はじめがおわりで、おわりがはじめ。時間と空間が生まれて途中が生まれる。これは過程ともいえる。はじめからおわりの過程、人というものにすると誕生から死亡の過程である人生ということに。つまり二ではおわれないから三につづくことで空間の広がりと時間の流れを感じることができるようになっている。それが生きるという、ちからであるだろう」


 理解してあなたはついてきているようだ。


「内なる神の祈りの家である肉体であれば、肉体には内なる神がいるわけであるが、それを実感として感じないのはなぜ。それは内なる神は数として零であるから。実は僕の魔術とは内なる神である零によりこの宇宙をうごかすおおいなる神の心へと祈り、願いを通す技術。彼はこの零のちからを聖霊と呼び、新約では真理の霊ということばでこのちからをあらわしている。簡単にいうと主の道を整えその道筋をまっすぐにするちから。零とは隠れたる光のちからだとぼくは考えている。そのちからである零のことばの意味はおちるであることにその隠れた意味があると感じている。零の意味のことばをほかのかんじに直すと雫となり、雫がおちると霜となる。ちからとなった想いはかたちになり、かたちは祈りの家で感覚として受け取られ、感覚は隠れた零に感情として響き、響いた音のない振動は感動となり、感動が色のない祈りへと変わり、透明な祈りが僕の想いを真っ直ぐに透き通らせ神の心を貫く。これがわたしの魔術の仕組み」


 彼はあなたが考えを巡らせているのを見ながらことばをつづける。彼は、ふいにぼくのなかに降りて来る、挨拶もなく。


「でも、仕組みをしってもその祈りは魔術師としてのちからがないと透き通らない。なぜなら感覚が情報化されて感情となる過程で自我という表の層の情報が混入すると受け取らなければならない情報を誤って認識してしまい、透明という情報を白に変えてしまう。すべての零の集合である全霊まで正しい情報が届かずに誤って認識された情報である誤解が悪を生み出す結果になる。全霊に届く想いは全てが善いだけである。すこしでも欠けたらその想いは届かない」


 彼の説き明かしを注意深く音としてあなたは描いている。しらされた情報をあなたがどの程度理解の領域へと届けることが出来たかをぼくには表情から読み取ることは出来ない。彼が語りたいことは魔術とは人のちからでかけるものではなく彼がかけているということで、だから誤解して自分でかけているきもちを抱けば白く映り自分が白いという誤った情報は相手が黒いという情報を生み出し優越感と劣等感という感覚を生じさせ、現実という王国に混沌を生み出すということだろうと思う。


「心とは情報で情報を伝達するものがことば。宇宙が創造された原理の情報で人も地球もその存在が成り立っている。人にある心という情報は宇宙の情報を人に伝達するために宇宙を創造したちからが創造したもの。いまも宇宙を創造しつづけているちからの情報を人は神と呼んでいる」


 ここまで理解出来ているのだろうかとあなたの顔に表れた情報を読むとつづきを欲しているのを感じた。


「宇宙というとおおき過ぎて実感がないと思うから、ことばを変える。それは自然ということばに変えることができる。つまり自然をうごかしつづけているちからの情報が人が神と呼んでいる情報の正体ということになる。自然とは数にすると一でその一を生み出していく数が零ということになる。その零はつまり零だけでは計算ができない数となり、計れない数だから計りしれないちからとして一のまえにかぎりなくあるちからとなる。かぎりないちからにかぎりを与えたものが一という数。ちからはとじる方に向かいかたちを生み出していく。拡大ではなく縮小していく方に向かうと全体像が見えてくる。つまり、祈りの家は宿であり自分の家ではないという糸が小さくなると見えてくるという情報がこのことばという伝達された情報に含まれていると感じる感性がなければ、心という情報を伝達する数である零から一という情報が生まれるのを感知できない。という仕組み。思考の元がことばであり、思いがことばとなることで考えることを導く。ことばとは感情のちからの変化したもの。ことばの仕組みを自然の仕組みにたとえると自然とは、空とは、神が思いを現したもの。ことばとは、空から降ってくる雨のようなもの。神の思いのなかから空である心がある思いを自分で選び、自分の思いとすることで、空に浮かぶ雲という神の思いのなかで選んだ思いが一点に集まり、重くなることで雨として降ってくる。雨として降ってきたことばは自分のなかで波紋を描き、知覚となり、感情となり、思考となる。思考をかたちにあらわしたものが文字。ことばとは期待である空気、思考である液体、ことばである固体、白い水を糸として線を描くことで文字として心に象りを描くことができる。つまり、理論の上ではここで自分という思いや考えがなければ、神の思いをそのまま、ことばにすることができる。自分がない状態が、直観。なにも分けることのない状態を神ということばにして表しているのが自らの神。ということは神がなにを思っているのかをしるには自分がなにものをも分けることなくすべてを自分であると実際に感じないとわからないという結論に至る。これはかぎりなく難しい。神の心を人が理解することはかぎりなく無理に近いということが結論としていえることになる。自分という情報がある以上その情報をなくすことは、ほぼ不可能。そこで新たなる方法を探すことになる。それは神という全体を成す情報があり、自分という全体の一部を成す情報があるという情報を基にして全体と部分で主従関係を生み出す。主はうごかず、主の命を受けて僕がうごく。これが僕と神の関係。ぼくには僕の情報として一という数があり、その数のまえに零という数である聖霊という存在がある。ぼくは聖霊という零という数を彼と呼んでいる。彼方からくるから彼。二人か三人でいるところにわたしはいる。と彼は言う。零という数をタロットでは愚者という言葉で示す。魔術師は魔術を遣う前に愚者である必要があるということをこの情報は示している」


 無理矢理にこじあけられた穴から、あなたは未知を注がれ、混乱を起こしていた。人が自らの心をしることはそれまでの仮初めの自分の死を意味する。これが真実の教えが秘密にされる本当の理由であり、人が自らの心に気づけない理由。堅牢なる死を壊すのは四方が正方である直なる線でしかありえない。そこは慈悲の司る法の世界。水から去らないと見えない火の力を、仁と変える似の世界である知恵の世界には直は即に球でしかない。そこが天を点に帰らせる方向に導く力である弱と諾の領域であるから、彼は十字架にかけられることを自らに赦し、昇天する。あらゆるものがそのかたちでその名で真実を示していく、それが最後の扉をひらいた赤しとなる意志の世界、それが赦された熱意、峻厳の扉を叩いた証。鉄は金を失い、見える失意の底にある真実の響きは仮死となる象徴の解き、蛇は眠り、鷹が飛び立つ。それは声を失い、音を失い、肌でその振動を感じることの出来る程の感性を用いることでしか辿り着けない風のしらせ。


 紫が語る句の答は美となり碧の空を翔る。理解の領域である参道は真ん中を避けることでしか歩くことの出来ない未知でしかない。

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