第一章 2

 立ちつくすあなたの背後に、安物の管でできた組み立て式の白い棚があり、肩の高さほどの棚の天板に白い座布団が二枚かさねて置いてある。白い毛の座布団を手にとって笑いかける。


 「すわって。大丈夫、座布団を用意しておいたから、すこしいろあせているけどだれもすわったことないから。この家に、家のなかがこんなによごれてから入ったのはあなたがはじめてだから」


 あなたは胸のまえでかさねた手をたずねたそうに、にぎっている。


 「彼のことがきになっているんだ、彼とは解き明かしがとてもむずかしい、いまのあなたにはことわりを解くことはできない。ほどきのときがきたら彼について紐解く」


 なにかにひっかかってうごけないという顔をして見ている。


 「あ、そうか。一章は彼の物語として描くはずだった。心配はいらない、あなたがここをめくるまえにすでに彼との大切な場面は短編にして描いてある、これからあとは機会がおとずれるごとに短編の小説で魔術の力を説き明かす。というか、多くを悦にして感じることになる」


 いくつかの連なる小説のなかであなたは彼に会う。りかいができたという顔でうなずいた。


 「ぼくが感じる彼についての印象を少しだけ語れば、とてもせんさいな者。彼の秘密に近づくにはせんさいさがいる。目が語る、うそがきらい。わかったこと、うそをつく。やさしげな唇にかすかな笑みを浮かべる。出会ってからおもいをかわすかぎりあらわそうとすれば彼の慣用句は否定がにあう。わかったことのつづき、彼はきらいだ、人がきらい、ぼくがきらい。だから無口でただ微笑む」


 小さい声のあとに間をあけることなく微笑みかけたが、あなたはまだ微笑めない。


 「まず、どうして家がきたないのかという解き明かしから入る。いや、そのまえにあなたのみとめられる知識とぼくのみとめた知識を同じとまではいかなくても、似ているくらいにまではしておかないと後々そのゆがみからこまったことになるから、あなたが手にしたいと感じた魔術とぼくがあなたにかけている魔術のことなりを説き明かすことから魔術の学びと習いをする。いいかい」


 あなたは、うなずいた。


 わかりきっていることだけど、物語のなかであなたには自由がない。返事もせりふも行動もきめられたこと、けしてかえられない。けしてかえられない領域を一なる領域という。一なる領域とはかえられないせかいだとおぼえておくこと。


 小説のなかであなたはぼくにさからえない、魔術師の師匠と弟子の関係は死をこえる従順でなりたつ。あなたは魔術を手にしたいと感じたからぼくが描いた本をめくり、ぼくを師匠とした。師匠としてぼくがあなたにはじめにすることは魔術師としての名前をおくること。魔術師には魔術をつかうための名前をつけるという慣例がある、慣例にならい魔術をかけるために名前をつけることから魔術をする。魔術師が魔術をかけるためには、魔術をかけることができることなるせかいに入らないとならないし、ことなるせかいに入るためにはことなる名前がいる。この名が魔法名とよばれ、魔術師は魔法の技術である魔術をかけるときには魔法名でことなるせかいをいきる。


 魔法名は魔術をさずける師匠から弟子におくられる慣例があり、ぼくも魔術師として魔術をつかうことなるせかいに入るときは魔法名をつかい現実とはことなる現実より奥にある現実となるまえのせかいのとびらをひらく。僕は彼から魔法名をさずけられた。あなたはぼくから魔法名をさずけられる。あなたはここから魔法名で現実とことなる現実の奥のせかいをいきる。


 あなたの魔法名は、ゆり。ゆりとはりかいのちからがうごくせかいを象徴する植物。あなたが魔術のことわりをとくことができるようにというねがいと、いのりをこめた名。これからさき、いまよりも深く、奥にあるせかい、ありえるせかいの裏側で、あなたはゆりとして現実ではありえないときをきざむ。返答に否定や拒絶をあらわすことばはありえない。それが魔術をおこなう者と彼との契約。契約をした事実と内容をしった時点で契約され、ゆりとして師匠の命令には背けない、それがどのような命令であろうとも。これからとてもかたく、とけないとおもわれている魔法とか魔術とよばれてきた方法と技術の原理と仕組みを説き明かしていく。


 が、そのまえにいまあるあなたのあやまりをとかないとならない。あなたのあやまりとは、現実のせかい、この実際にあるせかいをありえるせかいとか、ありえるはんいとか、ありえるりょういきというが、この現実とよばれる実際のせかいで魔法とか魔術とよばれている現象をうみだすこころがかたどるかたち、このかたちをしり、おぼえて意識したことを認識というが、この認識を魔法とか魔術とよばれてきた方法と技術をしらない、つかえない者はあやまりといていく、なぜなら現実のせかい、つまり実際にある場には人のうそが衣としてきせられているから。魔術師とは現実のせかいをおおううその衣をはぎとり、あらわせないせかいの果てを見つめることのできる者。


 では、どうやってこの現実とよばれるせかい、つまり実際の場にあるうその衣をはぎとるのかという、うたがいの問かけが浮かぶはず。だが、それは追々説き明かしていくから、あわてない。まずは魔術とよばれる方法と技術をつかうために、魔と冠された方法と技術とはなにかをしらないとならない。


 あなたはぼくの口もとをみつめている。


 「ゆり、魔術とは、と問うたらこたえることができるかい」


  かんがえるそぶりもみせずにあなたはぼくの口もとをみつめたまま口をひらいた。


 そのとおり。こたえることができない。


 「では、なぜこたえることができない。と問われたらどうこたえるかい」


 あなたはまた、かんがえるそぶりをみせずに口もとをみつめたまま言葉を口にした。


 そのとおり、すばらしいこたえ。しらないからこたえようがない、あなたには。


 ぼくにはこたえることができる、しっているから。あなたが問いかけた、魔術とはなに。ぼくはひとことで告げる。


 「変換」


 じつは、魔術とは簡潔にいうとこれだけのこと。


 だが魔術とは変換ときかされてすぐにひかりがみえるのは、もっとも奥の領域のとびらをひらきながらことなる現実をいきるちからをつかうための契約をした者だけ。現実を魔術でみずからのおもうままに、ほしいままにできたなら、そのうたがいようのない事実がことなる現実のせかいをうごかすちからをつかう契約をしたあかし。


 ふりしきるあめがしぜんに、ちにしみこみ、ちかすいとなりわきだしてくるように、いくどとなく、いくどもことなることば、ことなる角度で魔法の技術の原理と仕組みをしめす、あなたが自然にことわりをとくちからがはたらく場に葉をひらくまで。


 では、魔術の方法の学びと技術の習いをはじめる。というか、あなたがゆりになる前、本を目にしたときからおこなっているのだけど彼が、実際にあらわれでた一なる領域で。


 「永遠とはまたたくあいだのつながりにすぎない。それに、このせかいはながくとおいときをきざむと人はいうけど、それがたもたれるあかしもない。あしたには、もしかするといま、このまたたくあいだに宇宙と名づけられたこのせかいが消えてもおかしくない。そうはおもえないかい、ゆり」


 目線を落とし、だまったまま、あなたはうなずいた。


 「ゆりは星をながめるのは好きかい」


 またたくあいだ、かんがえ、こたえようとしたのに、返事を待たずに告げた。


 「おさないころ、ながめてすごした。ひかりをうつすあおいそらも、やみをうつすあいのそらも。ひとはみんなうそつき、だれもほんとのことをおしえてくれない。だからさがした、いきている星のほんとを。おぼえておいて、かぎりないあいはいまをこわすようにしてあらわれ、あいはかぎりとしてあらわれるから、みること、きくこと、かんじることができる。かぎりがないのは可能性、魔術はいまだしらない可能性である未定を仮定し予定にかえて過程をとおる」


 あなたは目をみつめ、しらないことばをこころにふかくしずめていく。


 「あまりにもとおく、すぎさったときのあいだをおもい描くと、こころが現実というかぎられた領域にある実体の感覚をこえるおもいに応じきれず、かくされるかぎられた領域の向こう、わかれるまえの状態に近づきやすいと感じる」


 あなたのこころがすこしだけ現実から浮きあがり、あのいちをもとめてゆれた。


 「見あげると、そらのかけらでしかないと感じ、こころがとけていくんだ、ほんとに」


 こころのおくのそらを、あなたはみつめていた。彼に望まれるままに告げる。


 「彼がつたえるかぎり、魔術はとてもせんさいなこころの技術。魔術師にとってこころとはうたがいようのない真実の鏡。姿をうつす鏡がひかりを反射し、物の姿を銀盤にうかびあがらせるように魔術師はこころの線をひかりにかえ、ただしくかたどることで実際のせかいにできたひとのごかい、ゆがみをただし現実からことわりをおもう領域にそうぞうのちからをとおし、まだあらわれない、いまだしらない、しることのできない領域にみずからのいしで線を描く」


 真っ白な画用紙を前に、なにを描こうかと迷っている子どものような顔で言葉を追いかけているあなたに、クレヨンにかえるおもいを告げる。


 「魔術は、ひかりの芸術。感動をあたえ、感激したきもちをかえられないせかいでこぼし、こころの奥にひかりの波紋を描かせる者こそ魔術師」


 りかいの追いつかないことばの洪水にながされそうになりながら、あなたがおもいつめた顔で見つめている。


 「ゆり、もうすこしやわらかく。こころはかたくなになる。それはしかたないけど、そこをこえないとこころをつつむことはできない。くびのすわらぬ幼子をだくときのように、やさしく」


 指差し、振り向くようにしめした。


 「魔術はほんとはとてもかんたん。だから顔をこわばらせる必要はない」


 姿見の顔を見つめ、あなたはおおきくためいきをはいた。きづかずにいれていた肩のちからを抜き、ゆったりとすわりこむ。


 魔術とはじつにとてもかんたんなもの。それには理由がある。魔術とはなにか、しらべたことのすべてからいる部分を抜きだして説き明かすと、名前としては魔術とか、魔法とか、呪術とか、色々な変化を起こしながらも、魔とか呪とか冠されたなにかの本質はかわらない。それはこの地球と名づけられた惑星に人と名づけられた生き物が生まれたときからはじまる、人という生き物が自然とよんでいる地球の活動に感じてきたおそれを解消するための方法や技術。まだ人という生き物があらゆることを事細かに分類することができなかった、知識をたくわえ積みあげることがほとんど起こりえなかった遥か遠く過ぎ去ったとき、人が地球の活動である自然と名づけた環境からうけたものを感じをたよりにしながら解釈し、それを方法や技術としてかたちづくったもの、かんたんにいえば魔法とか魔術とか名づけられた方法や技術とは、こころをあやつる方法や技術といえる遥かなときのあいだを生きてきた人々のたくわえられ、積みあげてきた感覚の結晶。

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