第九章 3

 「ゆり、いいかい。これから魔術の真髄を語るから、よく聴いて理解が出来るまで、正しく解けるようにすること」


 あなたは意思を音に変え、ぼくに伝えてきた。


「生まれるときに設計図があり、設計図の通りに組み立てられるとしたら、先にその設計図を手にし、組み立てる前に解体の仕方をしれば、同じ材料の質と量であれば、異なる設計図に書き換えても異なる形で組み立てることができるはず、これが魔術をかけるということ」


 理解の門の前であなたは足を止めていた。ぼくはそれに気づきながら、語るのを続けた。


 「象徴されるなまえとは、微かに象られる名前。微かは幽かと変換できる。名前は、夕の口の前。微かに象られるのは輪郭が薄いから、つまり光が強くないから。光が強くないから見えにくい、見えにくいから、口を開く。誰かわからない、だからたずねる。答えてもわからないといけないから、名乗る。

 わたしは誰。嘘を答えても声をしっていれば声でわかる。覚えているなら見て学んだのだから、誰かが教えた。教えた者は先生、つまり先に生まれた者」


 心とは中心となるもの、それは風のようなもの。風は見えないが雲の動きが風をしらせる。声にあたるもの、文字にあたるもの、それが雲、だろう。雲には決まった形はない。しかし決まった動きがある。動きの次元が火で表れ、形の次元が水で表れる。自然は、語る。理を想うこと、形を象ったものが星だと。星は晶かに生まれる。象形の象とはゾウ。ゾウは大きな動物。ということは象るとは大きなこと。大きな形が象る。にていることは、しることが出来る。ことなることは、うたがうことが出来る。知ることが出来なくて疑うことが出来ないなら、それは、信じることになる。物事は、事物でもある。それは空間と時間がけして分かれることがないのと、似ている。


「ゆり、はじめは同じから。ここを間違うと、永遠にそこに辿り着かない」


 あなたはきづいていた、そこという文字が意味と内容で底と象ることを、解き明かしをぼくが続けることを。


 大きくことなることは小さくにている。小さくことなることは大きくにている。似ていることが少ないなら、異なることが多い。似ていることが多いなら異なることは少ない。多いものは小さく、少ないものは大きい。知恵は二で、理解は三で、信仰は一。知恵よりも理解が多いということは、理解よりも知恵は少ないということ。一は最も少ない数ということは、一は最も大きな数。ということは最も大きな数が一だから、一である信仰は二である知恵よりも大きく、三である理解よりも大きいということは、三である理解よりも二である知恵は大きく、二である知恵よりも一である信仰は大きい。ということは、一桁の整数で最も大きな数が一であるなら、最も小さい数は九となる。最も大きな数が一で、最も大きな数が最も少ない数であるなら、最も多い数は九で、九は最も小さい数ということ。 一がはじめで大きいから、天がはじめで少なく、なら、地はおわりで多いから、小さくなる。地とは土で、土を表す数は六で、これは陸となる。ということは、一が天で、六は地。これは、はじめが一で、一である限り、そこは同じ領域になるという限界から導いた式であり答。宇宙がいつ生まれたかわからない、だが、生まれた時に解きが仕組まれ、宇宙を生み出した素材はありふれたものでしかないことは決まっている。なぜなら、大きいものを生み出すためには多いものでないと無理だから。ということは、最も小さいものが最も多くなるのが道理。ということは、分解していくとそれ以上には分解出来ないものに辿り着く。これを原子と呼んでいるが、最も始めに生まれたものから、しか、元を生み出す力はない。なら、宇宙はもっともありふれたものでしか解きようがないことがわかる。それは形として現せないとならないもの。だから、水。その形である水を動かすもの。それが力としての、火。火と水を結ぶもの、これが酸素で、三の素で、三は水で、二は火で、一は風。風は、空気ということで酸素ということになる。ということは、風は信仰で、火は知恵。水は理解ということに。


 宇宙にわかれたところはない。ということは、想いは連なっている。だから、宇宙の想いは連想。ということは、連想がなにかを理解し、しることが知恵。しる恵みは、にることで、理を解くことは疑うことだから、しる恵みを疑うことで、しらない恵みに気づくことに。連想は、ある事柄から、それと関連のある事柄を思い浮かべること。事柄は、ものごとの内容や様子。関連は、ある事柄と他の事柄との間につながりがあること。連は、つらなること。関は、出入りを取り締まる所。関はかんぬきのことで扉の金具を貫いて門をしめる横棒。かんぬきは閂で、感抜き。感は、物事を見たり聞いたりして起こる心の動きで、外からの刺激を身に受ける、反応すること。ということは感抜きで、閂で関ということは、しる恵みではなく、しらない恵みに気づくことが、隠れた知恵に辿り着く秘訣になる。隠れた知恵は風で、光で、白であるから、闇で黒で現れたものを理解する。理解は三で黒色。信仰は一で白色。二は知恵で灰色ということは、黒から白を引いても灰にはならない。灰になる方法が黒と白を混ぜることなら、黒である闇と、白である光は、どちらが大きいか。知恵は火で、理解は水で、火を使う時には必ず水を必要とすることに気づけば理解出来るだろう、知識を。


 慈悲は、青で四。峻厳は、赤で五。青が水を、赤が火を示すことはわかる。慈悲と峻厳は感情の天秤を支える重さ。それは優しさより、厳しさが多くないと均衡を取れないという現実を示している。青の四と、赤の五を混ぜる、つまり足すと、九の紫。色で糸が描かれるのは、紅と緑と紫と紺。ひとつひとつの文字に意味を含ませ、文字が秘する領域の力を表現することで裏に隠れている心を文章に変えて表に描き、言葉を越える感覚を写すために、ひとつの音の響きに異なる形を与え、微かな角度の異なりが意味を大きく変える仕組みを実感させ、魔術の本質を目覚ませた。だから、雪の結晶が、水が晶かに結んだ星となる力の根源で、冷にあることを気づかせたことに気づいた。かな。


 物語にたとえることで気性と気象の関係を描こうとした彼の想いをあなたは感じた。


 ひらがなとは一葉、つまり一枚の紙のようなもの。ひらがなという曖昧なもじをえがく音が色のようなもの。それは、ひらがなは色紙のようなものだとおもえば、色であるおとが変わらないかぎり、色紙をどのような折り方にしてもおとであるもじの音、つまり読みは変わらない。ということは、おもいという色紙を折り、おもいという意味と内容を形で変えても、その音はおもいでしかない。つまり、色紙を折紙にするように輪郭である形を変えることで、曖昧なおもいをはっきりとしたおもいに変えることができる。それはつまり、おもいというひらがなを漢字にすることで思いにしたり、憶いにしたり、念いにしたり、想いにしたり、重いにしたりできるということ。


 魔術は、簡潔にいえば変換。最も単純な変換とは返還。つまり、もとにもどること。もとにもどると自然になる。自然は自然に答えをだす。重いと軽い、どちらが大切にすることか。いるものは入るもので、はいるものは要るもので、どうしても要るものは必ず要るもので、必ず要るのは重要だから。おもいは重いで、重いのはかさなるもので、重なるものは、思いか、憶いか、念いか、それとも想いか。


 感覚がただしくはたらくなら、重い力は動かす、働くのは人だから。ひとは、おもいをかさねるために、おもいちからひかれる、そのちからのはたらきを重力とか、引力とか名づけたのは人でしかない。自然にある自然に働いている力、それが引力であり、重力であるならその力は重く、重いから引かれる力で重いのは重なっている、つまり集まっているから。自然はあたりまえに、ふつうに落ちる。だから落ちることを不思議だとおもうこともない。


「どこに落ちるか、しっているかい」


 あなたのなかに、おとにならないおとが響く。これは、おもいが言葉という衣を剥ぎ取られた徴。


 

 いつのまにか照明はきえ、水面をゆらす光は、理解から慈悲にかえる冷めた熱意を射しこんでいた。


 「あなたのパンをみずのうえになげよ」


 ささやくと、あなたは手にしたフランスパンをちぎってなげる。硬いパンの欠片が波紋に沈んでいく。


 ぼくはそのままほおった。あなたは永いときを、みていた。水を吸いふやける塊を小魚が群れついばみ、身を重ねるように水面を叩き、白い音を響かせる。


 「らしくないらしさに惹かれやすい、男なのに声が高いとか、女なのにケンカが強いとか、雲ひとつないのに雨が降っているとか、意外という思いになるような感じ」


 薄明かりに輪郭を描かれたあなたは振り返り、ぼくの目をみた。


「ほおが濡れている。降り出したのかな、いつか虹になるよ、こぼしたやさしさは」


 濡れたほおを真顔でぬぐった。


 いまはつらく、あなたという物語は悲劇で幕を閉じるように思えるかもしれない。けど、ここでは終わらない。こんなおもいが描かれたのは、薄っぺらい青い色したプラスチックの椅子で肩を落とした、いまにも声をだして泣きそうだったあのときのあなたに、いまのあなたをつたえたかったから。


 はじめをつげたい。あなたをなんどかみた、仕事で通っていた小学校がある、あの町の駅舎。あなたは腰掛け、本をよんでいた。あなたによんでほしくてこの本をかいた。そしてよんだ、すきとおしたこえで。きづき、あなたは本を手にした。


 終わりのいまだから、彼からあずかっていたおもいをつたえられる。


「いつか、あいたい。微笑んで魔法をかけていたあのときの、あなたに」


 おもいをなげかけ、場をはなれようとして、振り返った。おなじだった。あのときのぼくのようにゆれる水面をみつめていた。


 彼との契約は果たした。ついの頁をあなたはめくった。ただ、しろいだけのかみに結末を描くのはあなた。物語を描くことがすでに魔術をかけること。だから、みずからつづきを描いて心をといて。


「願いを叶えてくれるかい」


 とくときは、ちいさくといて。心はみえないくらいに、おもえないくらいに、おおきくなるから。ついの頁をめくるなら、いつでも、どこでも、難解でも、あなたが望むかぎり、魔術をかける。ことばはかぎりがある。けど、奥にある、ここをみつめるかぎり、つうじる。彼がまつ、かぎりなきせかいへと羽を広げ、ただひとつのきせきを描く。


 触れると、光を漏らした。

「透き通っていく……」

 響きは、もう一度、射られた。

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不透明な薔薇の王冠 冠梨惟人 @kannasiyuito

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