第三章 ことわりを解く、説き

 透かし模様を編みこんだ窓掛けをひらいて外をながめると遠くで星がまたたいた、せかいはいろを変えあいに包まれている。


 すぐに、またたく星の近くでかすかに輝く、もっと遠くにある星をさがす、いつからか癖になったしぐさ。


 「もうこんな時間」


 ぼくがきもちをことばに変えると、あなたは画面から顔をあげた。


 あなたの顔をみてすぐにぼくは星空に視線をもどす、望むならもうすこしだけ時間を預けると言ったことばからあなたは短編を読んだ。


 夢中になっている姿をいとしくおもった。


 短編のせかいを感じてもらうことにしたから、おもいは口にしなかったけど、緩やかなしぐさから、なにかをあなたは受け取った。


 建物を見てあなたがどうおもったのか、わかりようはないが、ここに入ったときの顔には印象が描かれていた。


 おどろきにかきけされて内側のようすまで見ることはできなかった。 


 あなたが立ちあがる、また、短編を感じ終わったらしい。


 家に備えつけのちいさな冷蔵庫から、用意していた飲物をだしながら見つめた。


 「珈琲は飲めるよね。好きでも嫌いでもいいけど、珈琲は飲むこと。これからは語りを聞いていても目が自然にとじて、そのままこの場でうずくまってでも眠りたいという状態になるまで、ぼくのことばを感じさせるから」


 ことばを並べながら、白い器を目の前に二つ並べ、すこしすくなめに液を注ぐ。


 あなたはおおきくうなずいて陶器の器を口に運んで一口だけ飲んだ。


 ちいさな喉がわずかにうごくのを見ながらことばをつづける。


 「ほんとは好きではないけど、珈琲は毎日飲んでいる。好きでもないことをぼくは色々としている。好きではないのに、人として生きている」


 あなたは器を置いて言葉の先を見つめている。


 描いている情景には、意味がある。この小説にはじつは壮大な秘密が秘密だとわからないように語られている。そのことがこれまでにあった魔術の奥義の本とことなるところで、いままでのあらゆる魔術の本は魔術の奥義を隠して暗号のように書かれている。いや、本当に大切な所は文字にせず口頭でつたえることで奥義を隠した。だから、魔術の奥義の本を読んでも誤り解かれた解釈が広まり本当に魔術がつかえる者はほとんどいない。すくなくとも、ぼくは本当に魔術がかけれる者に会ったことがない。だからぼくは隠された魔術の奥義を探すために西洋や東洋という枠に囚われず片っ端から魔術の本を読み漁り、そのなかから等しく大切だといわれていることばを抜き取りながら、そのことばを不変なかたち、つまりそれ以外に変えようのないかたちに変え、隠される、ともに通じる秘密をその隠されていることばのズレから予測していく技術のちからをきづいたら、身につけていた。


 一呼吸置いて、目を見つめて口をひらいた。


 「大切なのは、きづくこと」


 こういいたげにあなたは見つめ返している。なんにきづくことですか。微笑んでその真顔に答える。


 「きづかないことに、きづくこと」


 ありとあらゆる魔術を研究してきた、そして魔術の原理といえるものを見つけだし、原理といえるだろうあらゆる魔術の精髄をぼくは小説にしてつたえようとしている。この本を手にした時から、もっといえばこの本を目にした時からあなたは魔術にかかっている。


 あなたは本のなかに、この小説のなかにきてしまった。きづかずに、あなたはきづかずに祈りの家と呼ばれる領域に足を踏み入れ、この家の異様な様子になれてしまった、塵袋もきにならなくなっている、だからきづいた、家の壁紙が真っ白なことに。厚手の窓掛けも、奥にあるちいさな薔薇の透かし模様を編みこんだ窓掛けも。


 「きづいたね、壁紙の白さに。この家はぼくのこころをかたどって描写したもの」


 なるほどというおもいを、あなたは顔に浮かべた。


 「ゆりは、魔術がいつはじまるのかしっているかい」


 答をしらないとしりながら、ぼくは問いかける。すこしかんがえてあなたは答えた。


 「そうだね、しらない。では、どうしてあなたはいま、しらないことをかんがえようとしたのかな」


 ぼくはやさしく微笑んだ。


 いまの姿はほんとにかっこいいですねといわれていた数年前とはことなり、どうしてこうなるんですかと、同僚の女の人にどうして怒られているのかと思う口調で問いただされるくらい太っている。理由は色々あり過ぎて一言で解き明かしができるほど、ましてや仕事前のときにできるほど簡単な話ではないし、普段は魔術師であることを隠して魔術をかけているから、それは魔術のためとか、そんな感嘆な説き明かしもできない。でもこころはいまもあのときの、羨望の眼差しで見つめられていたときのままなので、あのときのように見つめてしまう、もう癖になっているから。目はうそをつけない。どんなにたくさん肉がついても骨格まで変わることはないし、目も変わらない。大切なのは変わらないものに、変わらないことに、きづくこと。そのことは嫌というほど繰り返しつたえるつもりだけど、あ、そうぼくにどうしてこうなるんですかと問いかけた女の人はこうつづけた。


 「やせなさい、けんちゃん」


 ぼくは人にけんちゃんとよばれている。たいていの人はぼくをそうよぶ、四十をいくつかこえている大人のぼくを。つまり外見はその歳には見えないということの証であるけど、これも彼が魔術をかけているから。といわなくてもこの姿を見ているあなたは感じる、彼の魔術が本物だと。


 ほんとうはときがないけど、ときがないから、遠回りして魔術をほんとうにわかるためにあのときまでさかのぼって語る。あなたはいま、思っている。あのときとはいつ。


 「ゆりは自分が自分だと感じるまえのことをおぼえているかい」


 なにを問われているのか、あなたにはみえていない。


 「ゆりはどこからさきを自分だと思っているかな」


 なにを答えればいいのかが、あなたにはみえない。


 たとえば、あなたの両親がまったくの別人の男と女だとして、そのあいだに生まれたとすると、そのあいだに生まれたあなたはそれでもあなたとかんがえるのかということ。わかりづらいかな、言い換えるとあなたの両親を男2と女3だとする。男2と女3から生まれた5の人があなた。ではまったく別人の男5と女4から生まれた9の人なら、あなたといえるとかんがえるかということ。


 ゆりというのは、ぼくがおくった仮の名だからあなたでなくてもその名でよばれたら、よばれた者はゆりとなる。だがその名でよばれた者があなたであるわけではない。たとえばあなたには名前がないとする。名前がなくてもあなたはあなたとしてある。名前というものは親が決めて良いことになっていて生まれてからあるかぎられた期間に名前を届け出ないとならないことになっている。これは決まり、国の決まりとして破ることのできない法、それは物事にある一定の秩序を与えるもの。


 「ゆり、これから語ることにかたちをあたえるように、描きやすいように、ぼくが発した音をこころにひびかせて」


 あなたはぼくの発した言葉を心で繰り返した。


「いいかい、それでは、はじめる。目をとじたあなたは、これからことなるせかいに入る」


 心で言葉を繰り返したあなたはそっと目を閉じた。


 あなたは、生まれた。あなたが生まれたのにあなたの両親があなたに名前をつけずにあなたが生まれたことも届けずにあなたを家から一歩もださずにいまのあなたになるまで育てた。あなたの両親はだれにもあなたが生まれたことをつたえずに二人の秘密としていままであなたを育てた。あなたの両親を乗せた飛行機が落ちた。あなたの両親はここからいなくなった。あなたはもう両親のちからでは生きていけない。あなたはテレビでそのことをしった。あなたのことをだれもしらないけど、あなたは家のなかで育てられているあいだにテレビから自分が生きている外のことをある程度しっている。テレビの画面越しに見たり、聞いたりしていた。いまのあなたの現実がこれ、かんがえて、あなたはこれからどうする。


 あなたはかんがえることができないという顔をしている。


 あなたの現実がこれで、これであるあなた、つまり家のなかで幽閉されているあなたと、これ以外のあなた、つまり家のなかで幽閉されることのないあなたはどちらもあなたといえるか。


 幽閉されているあなたと幽閉されていないあなたはなにもことなることはないとおもえるか。


 幽閉されていたあなた、つまり、これと、幽閉されていないあなた、つまりこれ以外のあなたを取り巻く環境はまったく同じで、なにもことなることはないといえるか。もっといえば、この小説を手にしてここまで読んできたあなたと、この小説にであわずにぼくが描く魔術のせかいをまったくしらないあなたはまったく同じあなただといえるか、あなたはどこまでがあなたなのか、今日のあなたと明日のあなたはまったく同じあなただと、あなたはいえるかい。


 泣きそうな顔をして、こころに描いたぼくをあなたはみている。


 おそらくあのとき、鏡が目のまえにあれば、ぼくもいまのあなたと同じような顔をしてあのそらをみつめたのをしった。でも、ぼくがみたのは鏡ではなく、まったくことなる顔、微笑を浮かべたぼくと同じ顔。彼をはじめてみたときのことをあなたの顔は思いださせた。


 「ゆり、物語をつづけるかい」


 まぶたをとじた顔であなたはちいさくうなずいた。


 だれにもしられていない状況であなたは幽閉されている。だが、数時間後、幽閉されている家の扉を叩く音がする、部屋は鉄柵がされていてなかからはあけられない。だれにも発見されなければあなたは死ぬ、しかし発見されればあなたはこれまでとはまったくことなる、しらないせかいに触れることに。迷える状況ではないのにあなたは迷っている。幽閉されている部屋の扉がひらいた。男のようだ、あなたのしらない男。男はあなたにたずねた。


 「だれ」


 たずねられてもあなたは答えることができない。目のまえの男にあなたはたずねようとした。あなたはでもできない、あなたには声がなかった。あなたの様子をみて、男はきづいた。


 「声がでないんだ」


 近づき、男は鉄柵の扉をあけようとした。扉には鍵がしてあり、ひらかない。あなたは壁を指差し、手を振り下ろす。あなたのうごきにきづいた男が壁を見ると鍵らしきものがぶら下がっていた。手に取ると、男は鍵穴にさした。音がして鍵がひらく、扉をあけ、男は手にした携帯電話の機能をメモ帳に変えて名前は、と打ち込んであなたに携帯電話をわたした。


 あなたは二文字、ない。とメモにされた画面に記入して返した。男はいった。


 「ないか、名前はない、というんだ」


 うなずいてから、あなたはきづいた。名前ができたことに。ない。あなたはこころのなかでよんだ、ない。わたしはない。


 柵からでると男は、部屋を覆っていた真っ赤なビロードの布を剥いでわたした。あなたはその身になにも纏っておらず真っ白な肌をさらしていた。真っ赤な布を受け取り肩からかけるように巻いてはじめてあなたは男に笑顔をみせた。


 あなたは自由になった。戸惑っている、あなたにはなにもなかった。手に入れた自由の変わりに拘束を外された不安が足枷のように柵からでることを拒ませる。あなたの様子をしばらく観察したあと、男はいった。


 「ない。一緒にくるか」


 返事をするかわりにあなたは男の手にふれた。不自由が当然となっていたあなたには、はじめて得た自由がおもすぎてうけとめられない。男はあなたのまえを歩いている、あなたは生まれてはじめて鉄柵の外に足を踏み出す、足がふるえてしらずに頬にしずくが流れる。うごけないあなたの手をつかみ男は唇をあけた。


 「ない。あなたはわたしの物。ないは、わたしの奴隷となれ」


 震えはとまった。歩きだす、ひらいていた部屋の扉から外にでるとそこは真っ暗く長い廊下、男はさきを歩いている、足音だけがひびいている、足音をたよりにみえない姿を追いかけた。男があなたをよんでいる。あなたはこたえるように急ごうとするのに足が思うようにうごかない。あなたはこれまで走ったことがない、狭い部屋のなかで生きてきたあなたは走る場所も、走る必要もなかった、走る意味があなたのなかになかったから、走れないことにきづかなかった。あなたはきもちをうごきに変えていく、真っ暗くさきのまったくみえない場所でそのさきになにがあるのかもわからないのにおおきく息を吸い込み歯を食いしばり、手をおおきく振って足にちからを込めてみえないなにかを蹴り上げるようにまえに、すこしでもはやく、すこしでもおおきくまえに、あの声がする場所に行きたい、行く、必ず行く。


 あなたは走っている。やさしい声を追いかけて。どのくらい走ったか、走ったことがなかったあなたが走ったのだ、距離はわずか、ときはまるで止まっているのではと感じさせるくらいに流れを感じられなかった。


 歩いていた、泣きそうなきもちを身体に満たしながら。いない、声がしなくなっていた。闇のなかで一人きり、淋しさと怖さが同時にからだに染み込んできた。たすけて、たすけて、ふいにきづいた。たすけて欲しいのに、たすけて欲しい相手の名前をしらない、たすけて欲しいのに、声がでない。さけびたい、名前をさけび、たすけをよびたい、あなたはだれ、あなたの名前は、あなたの名前をおしえて、あなたの名前をさけびたい。


 まぶしさに目がくらんだ。長い廊下だと思っていた場所はさきのみえないただの白い空間に変わっていた。扉が立っていた。空間に一つだけ、白い扉。扉には把手がない、まるで紙のような薄い扉。あなたは感じていた、扉をひらくには。迷うことなく。


 描いていると一章が長ければ長いほどときを置くとそのさきが描けなくなるということが起こる。すでにはじめはわすれているし、おわりをかんがえられもしないからどこを通過して辿り着けば良いのかもわからなくなるということが迷う原因だとぼくはしっている。


 遥か彼方が生まれたときに知恵を描いた小説はひらかれ、理解という読者が真実という頁をめくる。それがどのような物語でも登場人物の性格の基盤は親から受け継ぐ、親が林檎なら林檎が生るし、親が梨なら梨が生る。林檎の木から梨の実は生らないし、梨の木から林檎の実は生らない。自分をしりたいと思えば親をしればいい、親から生まれたのが自分、親と自分は似ているもの、でもまったく同じではない。


 親はことなる二つのものから子を生むから親と子は似ているところと、異なるところができる。


 あなたの親は美しいかい、美しい外見で美しい内面で美しい行動をとれる人かい。あなたはなぜ美しさに惹かれる。もっている物は欲しがらないことは子供を見ているときづく、もたないから欲しくなる、美しい外見、美しい内面、美しい行動、だれにでも得られるものはかたちにも、ちからにもならないもの。もたないという実感ならだれにでも得られる。あたえられているものは欲してもあたえられることはない。もとめられているものなら、欲すればあたえられる。あなたは欲するものをもとめさまよう。欲するのはもたないからと、きづくために。


 「珈琲のおかわりはどうかな」


 微笑み、軽く手をあげてあなたはきもちをあらわす。


 「そう。では命の水を飲みにでかけようか、太古のこの星へ」


 もっともはじめに生まれた物語を語るためにぼくたちはどうしてもひらかないとならない本がある。その本を意識することなく人は本能と名づけた。


 立ち上がり、透かし模様を編みこんだ窓掛けをあけて、ぼくは外を見た。


 「空も晴れているみたい。ふだんは稲光がすごくて、雷が鳴りひびく危ない所だからここは。外に行くにはいまが好機」


 ここまで口にしてあなたを見ると、すこし顔が引いている。


 本棚替わりにしている白い棚に積まれた本のなかからちいさな文庫本を探し、見つけた。


 白い薄手のトレーナしか着ていないからなにか上に羽織ろうと探した。黒いジャージの上からゆるめの黒パンをはいてトレーナの上には黒いコートを着込んだ。まだきっと夜は冷え込むだろうと予測して。あなたはさきに外にでている。


 「ここに来る途中できづいたかな、建物のすぐといっても歩いて五分くらいのところに公園がある。そこに行く。そこでこの本に書かれている、せかいでもっとも古いといわれている物語について語る」


 手にした文庫本を軽くふってみせて、あなたに向かって足をはやめた。建物の外にでるための一階玄関の硝子張りの扉をあけると遠く藍の空にはいくつかの白い星が見える。目のまえは広めの道で道を脇に見ながら曲がると細い路地に。ぼくの後を黙ってあなたはついてきている。これから向かう所をしらないあなたがぼくよりさきを歩くことはできない。


 このことなるせかいに、あなたは目隠しされたまま連れてこられた。だからこのことなる世界のここまでの道程をあなたはしらない。それはあなたが現実に生まれてきた道程をしらないのに似ているとは思わないかい。あなたはいつ、自分になったのかしっているだろうか。いったいどこからが自分だとはっきりと断言できるかとか、かんがえたことあるかい。あり過ぎるほどに、ぼくはある。


 どうしてあなたのせりふが、ぼくの口からしか語られないのか、理由がわかるかい。うごく絵の登場人物が話さなかったらどうなるかということをかんがえると答が解けていく。


 声優がいらない。声優がうごく絵ですることは感情の表現。ぼくはこの小説で情景により心理を表現するという難しい技巧に挑んでいる。本に描かれる心理と現実にあなたのなかで生まれる心理のズレがあなたに新しい扉をひらかせる音となる、つまり訪れは音ズレと鳴る。


 路地を左に曲がりまた大通りに出る。あとはこの大通りを真っ直ぐ歩くとすぐそこに図書館が見える。図書館の横に目指す公園がある。散歩するにはよい公園で、夜だというのに人がまばらに歩いている。


 仕事の帰りにぼくはこの公園のまえの道路をよく通る。仕事柄、朝早かったり夜遅かったりまちまち。終電が走り去った後、前の道路をひたすら歩いて帰って来ることもある。駅は近くても、決められた時間が過ぎれば電車はうごいてくれない。


 公園につくと噴水がでていた。もうすこし奥に進む。木で出来た椅子がある。目のまえはおおきな溜め池。暗くてよくみえないが昼間だと魚が泳いでいるのが見えるくらい池の水は濁り切ってはいない。


 あなたは椅子に腰かける。周りの人達をきにするでもなくきもちを膨らませ、ぼくは声を上げる。


 「文明がどこからはじまったのかしってるかい」


 あなたの行動は変わらない。しらないのだから首を横に振ることしかできない。


 「どこかの国の言語で複数の河の間という意味の所だといわれてる」


 そうなんですか、それと魔術とどう関係するんですか。という、うたがいの問いをあなたは軽く顔に浮かべた。それにこたえてことばをつづける。


 「もっとも古い物語がどこで語られ、どんな物語であったかをしることは人がとおくすぎさったときにおいて物事をどのようにかんがえていたかをしる手がかりを得るということにつながるとても大切なこと。古い物語はどこの国の物語でも神話になる。つまり人が語りたかったのは神の話ということ」


 ことばを聞いて、あなたはすこしかんがえている、だからまた問いかける。


 「ゆりは、魔術がほんとにあるとおもうから、魔術がかけれるようになるという帯を巻いた本を手にしたんだよね」


 あなたはうなずく。


 「では、魔術とはだれにたのむことでかかる術だとおもっているかな」


 あなたの顔がわからないという答をしているのが白い電灯の暗がりのなかでも見て取れる。


 「魔法とか魔術とかという名前についている魔ということばや文字はなにを表しているのだとおもってる」


 あなたの顔がわからないという答を深くしていく。


 「わからないのなら、時間をあげるからかんがえる」


 あなたはかんがえはじめる。その間にぼくは洗面所に用を足しに向かう。この公園の洗面所は時間が来ると使えなくなるから使える間に用を足しておこうとかんがえるでもなく勝手に足が洗面所に向かっている。本能には体は従順にできている。それに逆らうと怒りが込み上がる。まったくよくできた仕組みの本をあたえてくれたものだな。


 用を足して、空を見つめていた。月が雲にかかりきえかけている。生まれてからこれまでぼくは神とよばれるものを追いかけた。神からあたえられた一見真っ白いだけの本の、綴じられた糸を解いて白いページをバラバラにして紙にもどした。しかし、しった。もっとも古い紙に当たるものは粘土。つたえられたかぎりの事実から割り出す、どこでどうまちがって辿り着くから悪魔が生まれるのか。もっとも多くの人に読まれ、書かれていることが真実だとしんじる人も多い聖書とよばれる本には要約するとこのような内容のことが書かれている。悪魔がしらせたのが知恵の実の真実で、その実を囓って人は神から災いを受けた。聖書より前に語られた物語には、紙に書かれる前の神の姿が描かれている。つまりそれはその時代の人のこころの姿ということになる。ぼくはそうかんがえ、なけなしの薄給でこの文庫を古書店で買った。あなたはどのくらいかんがえるのだろうか。かんがえがまとまったら次の章をめくること。第四章は答からはじまる予定だから。一応、もう一度つたえておく。この本を読んでいるという事実はあなたがぼくの弟子になっているという現実。魔術とは本来、師匠と弟子が向かい合いながらこころのふれあいから、志の方向を受け取りただしく辿り着くように師匠が道標をおしえながらあの場所につながる道を案内していくもの。道を誤ると、二度ともどれないという結果を招きかねない本当はとても危ない、こころを操作し制御するための方法と技術。それを本を読むだけで、しかも小説を読むだけでつたえようとするのだからこのこころみはとても難い。でも、安心していい。ぼくも現実に本から学んで魔術師となった。なれないことはない。ぼくがその証。それにこれは秘密だけど、あなたはあそこから舞い降りる彼に見初められ、この本を手にした。


 これは大切だから繰り返す、与えられているものは欲しても与えられることはない。求められているものなら欲すれば与えられる。あなたは欲するものを求めさまよう。欲するのは翼を、異なる羽をもたないからときづくために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る