第二章 3

 引っ越した家で泣いてる。取りこわされる家を見てた、ユメ見てる。ユメ、ぼくいる。ユメ、もう一人ぼくいる。ぼく、ないてる、ぼく見てる。


 「ぼくいけない、ぼくいけない」


 ぼく、きく。


 「ゆるして、ぼく、なにもしてない」


 ぼく言う。ぼく、悪くない。ぼく、あやまる、悲しい。あやまる、目さめた、ユメ、ぼく、消えた。


 「はじめる」


 声、聞こえた。


 朝。ぼく、学校行く。学校行きたくない、毎日、毎日、行きたくない、学校キライ、みんなキライ。


 声、聞こえる。よわい人、ぼく、よんでる、声でない、苦しい。こわい人、毎日、お酒飲む、あばれる。よわい人、毎日いたい、なく。ぼく、こわれている、言われた。こわい人、たたいた。よわい人、こわい人、つきたおした。こわい人、よわい人たたいた。よわい人、こわい人切った。こわい人、赤くなった、よわい人、ないた。こわい人、ないた。


 ぼく、いらない。聞いた。時計、止ってる。声、聞こえる、こわい人、くる、ぼく、おなかいたい。


 学校行く。アオ色。空。歩く。学校、見える、おなかいたい、校門、足止る。つぶれたヘビ、ぼく見る。ヘビ、ぼく。黒木君、ミンナ、ぼくたたく。ぼく、なく。ミンナ、わらう。


 ぼく、学校入った、教室、ちがう先生、黒板、ジシュウ、書く。黒木君、ぼく見てる。ぼく、にげる、できない。先生いない。黒木君、来る。ミンナ、ぼく見る。教室、出口、ふさがれる。ぼく、ベランダ、走る。黒木君、追いかける。ぼく、ベランダ、とび下りた。


 ぼく、死ぬ。死ぬ、こわくない。ユメ、白い光、見た。やさしい声、ぼく、白い光、いる。


 歩く、高いビル、見つけた。かいだん、上がる、ドア開けた。アオ、色。空。雲、流れる。


 ぼく、へり立つ。学校見える、目つぶった。とび下りる、かんじる、だれか見てる、目開けた。マンション、下。子ども見てる。子ども、ぼく。ぼく、ぼく見てる。わらった、こわい、かいだん下りる。子ども、いない。ぼく、家帰る。帰る道、楽しい時、思い出した。ぼく、ともだちできた。あめふる。あかいかさ、こどもたってる。そとでた。あめ、あがった。こどもわらった。ぼく、なにもきいてない。こども、いった。


 「ずっと、むこう」


 こどもかえる。ぼく、ちいさくなるこどもみてた。ゆうきと、やねとんで、あそんだ。ぼく、あしすべる、おちた。ふしぎ、おきる。ぼく、ういてる。ゆっくり、おちる。ゆうき、わらった。いちど、あった。ぼく、ゆうき、がっこうはいる。ゆうきあそばない。ぼく、悲しい。思い出した。


 ねこ、鳴く。ふり向く、いなくなった。黒ねこ、消える。


 「さよなら、クロ」


 悲しいよわい人、ぼく見る。学校、電話する。よわい人、先生来る、言う。どこか行く、ぼく、部屋こもる。先生、来る、黒木君、来る。よわい人、アイスクリーム出す、あやまる。先生、わけわからない。黒木君、ぼく見てる。先生、黒木君、あやまれ言う。黒木君あやまる。にらんでる。先生、話してる。アイスクリームとける。二人、食べる。帰る。こわい声する。なく声する。ぼく、ねむる。


 朝晴れてる。おなかいたい。家、にげる。教室、黒木君、おこってる。


 「とけたアイスなんか出すな」


 つくえける、ミンナわらう。早く帰りたい。


 やすみ時間追いかけられる、走る、にげる、学校終わる、にげる、追いかける、つかまる。用具室、入れられる。黒木君いる、バットもってる。ぼく、手足つかまれる。黒木君言う。


「お前にばつをあたえる」


 バット、おしりたたく。いたい、悲しい、なく。黒木君、ミンナ、わらう。ミンナ、いない。


 ぼく、帰る、雨ぬれる、弱い人、テレビ見てる。ぼく、部屋こもる。悲しい、ねる。目さめる、まっくら、体いたい、あつい、ふるえる、動かない、おしりあつい、いたい、せなかあつい、苦しい、声でない、頭いたい、白い光、見える。光、消えた。ユメ、どこかわからない、子どもたちが手をつないで、一人の子どもをとりかこんでいる、ぼくは手をつながない、だれか、ぼくの手をにぎった。子どもたち、手をつないだまましゃがんだ。子どものまわりをまわり出した、しゃがんでいる子どもが立ち上がり、うしろにいるぼくを見た。子ども同じ顔をしている、同じ顔がわらう。なにかを、いった。


 小鳥のさえずりが聞こえていた、目を覚ます、まぶしいひかり、はじめてありのままのひかりを見ていた。目をつぶった。目をとじるとあった雲のようななにかがなくなっていた。ひかりがある。えたいの知れないよろこびがわきあがった。きづくと、ひかりは見えなくなっていた。なにかが、起こった。思った時、あついいたみが走った。体をはいずった生きてるようないたみ、上にむかい、ぬけるようにきえていった。なぜかバットでたたかれたいたみを思い出した。黒木君のわらう顔がはっきりと見える。なにかわからなく、おかしくて、わらった。


 名前をよばれた。服をきがえランドセルをせおうと、ぼくはふゆかいなカゴをあけた。見上げながらゆっくり歩いた。あつい日ざしが心地よく、空は青い。

 曲がり角を曲ろうとした時、黒ねこが頭をよぎった。かわいたアスファルト、足を止めた。


 クロが死んでいる。ガラス玉のような目がぼくを見ている。思いがあふれた。ダンボールに入れられていた目もあいてない鳴くことしか出来ない子ねこは、はこからはい上がろうとしていた。すてねこを見る度に家につれ帰った。あいつはおこったが、けっきょくかった。めすねこが子をうんだ。あいつがうまれた子をすてるといった。クロがいなくなった。けれど、子ねこはきえた。


 「クロごめんな、クロゆるして」


 かたくかたまった死がいを庭にうめた。なみだが地面をぬらす、わきあがるかんじょうに体がふるえ、なきながら歩いた。ゆうきが前を歩いていた。いつからか横にならんでいた。ぼくらはなにも話さないまま歩きつづけ校門をぬけた。教室に入る時、ゆうきが口を開いた。


 「ほんとのいたみはあたえられたものしかわからない」


 うなずき、ろうかを歩いた。教室のドアをひらいた。じゅぎょうは始まっていた。黒木がニヤついた。ぼくのなかでなにかがかわった。


 チャイムが鳴った。そそくさと立ち去ろうとする先生と同時に教室の後のドアをぬけた。かいだんを下りて行くのを見て、ろうかを走った。後からふみ鳴らす音がひびく、ふかかいな感覚があった。追いかけて来るヤツ、まちぶせしてるヤツ、が、どこにいるか見えなくてもわかる。チャイムが鳴るのが時計を見なくてもわかった。ぼくはつかまらなくなった。いつも、やすみ時間中をにげまわり、学校中を走った。教室にいるのは先生がいる間だけだった。



 ちがうクラスの先生が黒板になにか書いていた。黒板をたたくチョークの音にねむくなり目をとじた。せなかをたたかれ、目がさめた。ニヤけた黒木の顔があった。


 「多田君、ゲームしよう」


 せなかをたたく。


 「やめてください」


 いやな目をした。


 「やめてくださいじゃない、ゆるしてくださいだろう、ゆるして下さいと言ってなけばゲームは終わるんだよ」


 せりふが終わる。数人がはしゃいだ。


 「なけ、なけ」


 ぼくを見ている。黒木がせなかをたたく。たたかれてもぼくは悲しくない。しつようにたたく。頭のなかで声がした。立ち上がりすわっていたイスを持ち上げた。おびえた目を向ける。おかしくて、イスを頭にたたきつけた。うずくまり動かなくなった。黒いかみがぬれ、黒木がわらった。勝ちほこった顔が見下ろした。ゆめを見たのか、ぼくはゆかにたおされ、ないていた。


 四日後、黒木が死んだ。自転車で、車にひかれた。クラスメートがそうしきによばれた。みんながないている。明日には、みんなわらう。黒木が黒いわくのなかでわらっている、はじめて話した時のやさしい顔。黒木が転校して来たばかりのころ、おとなしかった。いつだったか、ぼくがかぜで学校をやすんだ後、黒木はかわっていた。ぼくをムシした。みんなからもムシされた。だれも黒木にさからえなくなっていた。ある日、ゲームは始まった。毎日、つづいた。ただ、悲しかった。白黒の黒木はわらっている、ほんとにおかしくて、こころからわらう。


 わらい声が遠くから聞こえる。窓から雨に濡れた海が見える。眠い、高校をさぼり朝早くから乗りたくもない電車に乗っている。海岸線をなぞるように電車は走っていた。車窓に広がったなにげなく見ていたにじんだ青が、いつしか小学六年生だったあの時の晴れ渡った冬空に変っていた。


 運動場のすみ、登り棒の上で遊んでいる。息を白くした長友が楽しそうに笑う。腕を押さえられた時の顔にだぶる、バットでたたかれたぼくを見て長友は笑った。なにかがきこえ、蹴り落した。長友が足を押さえて泣く。おかしくて声を出し笑った。長友は足の骨を折り転校した。あの時追いかけ回した者たちを追いかけ回して殴った。土下座をさせる。苦しくて涙をこぼす顔を笑いながら地面に擦りつけ、夢から覚めた。


 電車が駅に着いていた。田舎町のちいさな駅の改札を出ると雨があがっていた。派手な色をしたバスが数台、目に入った。病院の方へと向かうバスを探しながら会ったこともない女をおもった。死を前に愚かなことを願った老女にどんな罵詈雑言を浴びせようかと考え笑みがもれる、鈍く輝くステンレスの把手をにぎり、車内に入った。席はガラガラで先頭の椅子に座るとすぐに冷めた女の声で自動音声が流れ、バスはおおきく揺れ、うごきだした。


 疲れていた。夕闇に浮かび上がる四軒目の借り家を目にした瞬間、感じてなかったはずの緊張が解け、自嘲した。アルミサッシのドアを滑らせる。真っ暗の玄関を過ぎると多数のバカ笑いがきこえた。


 「どうだった」


 女はテレビを見ていた。振り返りもせず口をひらいた。


 「あぁ、わすれた」


 うなだれ泣き伏せる白髪混じりの頭が暗闇に映され、きえた。


 「海をみていた」

 「そう」


 女は笑った。テレビからきこえた下らない台詞に反応した。


 「昔、住んでいた家があった場所に行った。よく似た人を見た、バスに乗ろうとしていた。ぼくもそのバスに乗った」


 「そう」

 「あなたが鏡台に隠している写真、あれに写っている女によく似ていた」

 「な、」

 「雨が降っていた、生まれた病院の前で女は降りた。おおきなお腹をしていた。やめればよかったのに、女がうんでしまったから、ぼくは」


 振り返った青ざめた顔に、微笑んだ。


 「夢だよ。みたんだ、あなたがお腹をおさえ泣いていた。あの時、殺されたあの時から、まっていた」


 テレビからテープのような爆笑がした。女にはきこえてなかった。


 「あの人をうんだ女もあなたと同じ顔でぼくを見た。いま、思い出した」

 「え、あ、なにが、どうして、」

 「すべて決まっている、夢なんだ。みんな、死ぬ」


 ひどく頭が痛く、きもち悪いのに、嬉々としてことばにした。微笑みを消し、背を向ける。部屋にもどると吐き気と目まいがして倒れた。冷たい、なにかがふれていた、なにもみえない。手で探る、狭い、壁のような、冷たいなにかにふれながら足をうごかす、段差、なだらかな階段のようななにかを歩く、冷たさは痛みに変わっていた、やみを手探りで進む、いつしか、くり貫かれた氷を歩いているような痛みの感覚が薄れ、なにかにさわっている感覚が、上がっているのか、下っているのかも、どうして進もうとするのかもわからなくなっていた。疲れた足を引きずる。夢なのに意識がある、かすかな光が空いた。光が、目があけられない、すこしずつ目をひらいた。白い空間を歩き出した。裸足で氷原に立っているような痛みが甦る、麻痺した足の感覚が、白いやみのあいだに染み込み、建物のような物が冷たく輝く。長い廊下を進んだ。氷のような椅子に座る、きいたことのある声をきいた。


 泣き声で目を覚ました。寒い、体が冷えている。咽喉がガラガラだ。感覚が甦る。記憶、白いシャツを着ている、水槽の赤い金魚が口をひらくのを見ている、背を向けて浮いた。幾度となく夢を見る、自転車の前後の二本のブレーキが同時に切れたあの時も、泣きながら目を覚ました。暗闇に、切れた記憶を手繰る、見た夢を思い出せない。


 こころにここを描いて、どのようなおもいを感じたのか、こころは水のようなもの、器のかたちによりどのようなかたちにもなれる。


 ぼくにはあなたがどのようなかたちのおもいを描いたのかしりようがない、そのおもいをことばに出したものを耳にするまでは。


 いくつかの前例のかたちを思い出す、一人はこころがちぎれそうと、もう一人はすごく胸を打たれたといった。


 あの女の人達はなにがちぎれそうになり、なにが胸を打ったのか、そんなことをおもいながら顔を見る。


 あなたはあの女の人達のしらないことをしるが、まだ、しらない。この短編が現実にあった夢であることを、ぼくがことなるせかいのとびらとなる輪郭を描かないように序章から書いていることを。感じたなにかを行動にして描くように、未読の書類にカーソルをかさね、かたちの合いようのない短編をもう一編、あなたはめくる。

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